①ローマ氏族名Valeriusに由来する男名Valèreより。Valeriusはサビニ語で「強さ、力」を意味するValesus、Volususという男名に因む。
②ゲルマン語の男子名*Walaharīks(「異邦人+王」の意)に由来する聖人の名より。
フランスの作家、詩人、小説家ポール・ヴァレリー(Ambroise Paul Toussaint Jules Valéry:1871.10.30 Sète(エロー県)~1945.7.20 Paris)の姓。
1891~1915年の統計では、フランス国内669件のうち、コルシカ島北部のオート=コルス県に101件分布し、圧倒的な集住率を誇る。後にフランス南部の
諸県が続き、タルン県73件、コレーズ県54件、オート=ヴィエンヌ県50件という内訳である。ポール・ヴァレリーの出身地であるエロー県も南部。
これらフランス本土南部の分布はコルシカ島からの移民によるものかもしれないが、確認のしようがない。語源は後述の通り二系有るが、
ポール・ヴァレリーは南部出身なので、①が起源であろう。
Hieronymus Wallier(1634年Solothurn(スイス、ゾロトゥルン州))
1
Pierre Vualier(1685年La Flamengrie(エーヌ県))
2
①父称姓。フランス語の男子名ヴァレール(Valère)のラテン語化形に由来するとされる
3。この男名は古代ローマの名門貴族で
あったワレリウス(Valerius)
4氏族を
語源としている。Valéry姓の語末の-yの発生理由は良く解らない。ラテン語形のValeriusの屈折語尾-usを取り除いたものか、或いは属格形のValeriiに
由来するものか?。一方、コルシカ島分布のValéry姓の語末-yは、イタリア語の複数語尾-iに由来すると見られる。
氏族名Valeriusは古くはValesiusという語形で
5、これが古典ラテン語で生じたロータシズム(rhotacism)という音変化を受けて
s→rに転じた。Valesiusはこのローマ氏族の伝説上の創始者であるワレスス(Valesus)という人物の派生形容詞で、「Valesus(人名)の(子孫)」を意味する。
ワレススはウォルスス(Volusus)、ウォレスス(Volesus)ともいい
6、サビニ人の出身である。伝説ではサビニ族最後の王
ティトゥス・タティウス(Titus Tatius)と共にローマに移住したと、帝政ローマ初期の歴史家
ハリカルナッソスのディオニュシオスが著した『ローマ古代誌』第二巻46章の記事に見える
7, 8。彼は、
共和政ローマの第二代執政官(紀元前509年)を務めた
プブリウス・ワレリウス・プブリコラ(Publius Valerius Publicola:紀元前503年没)とその兄弟であるマルクス・ワレリウス・ウォルスス
(Marcus Valerius Volusus:紀元前505年執政官)とマニウス・ワレリウス・マクシムス(Manius Valerius Maximus:紀元前494年独裁官)の先祖と言われている
9。蛇足になるが、小説・映画の『ベンハー』に登場するメッサラ(Messalla)という人物の名も、本来はワレリウス氏族の
家名(cognōmen)である。
Valesus、Volesus、Volususというサビニ語男名は、サビニ語が所属する印欧語で解釈可能な名前で、印欧祖語の動詞語根*wal-「強い」に
動詞語根から中性の抽象名詞を形成する接尾辞*-os(弱格形*-es)(cf.
ダヴー(Davout))がくっついて生じた*wál-osから形成されたものと見られる。即ち原義は「強さ、力」。直接的には、ラvalēre「体力が有る、
壮健な、力を持っている」(←*wal-「強い」)という動詞の未文証のサビニ語対応語の派生名詞に由来するものだろう。一般的にはラvalēre「力を持っている」に
由来すると説明されている
10。形態的に見るとValesus、VolesusはPIE*wál-osの弱格語幹*wál-es-が主格や呼格等の
強格形にまで侵入して生じた形と思う。VolesusとVolususに見える最初の母音oは強格形PIE*wál-osの第二母音oの影響による同化の様に素人目には見えるけれど、
サビニ語が属するイタリック語派のウンブリア方言内における方言的な理由からa→oになったのかも知れない(ここら辺の所は、私はサビニ語は無知なので
何とも分からない)。o階梯語根形に*-os接尾辞が接続している異常な語形は、ラテン語のmodus「量、尺度」(cf.ラmodestus「控えめな、規律正しい」,
moderārī「制御する」)にも見られるので、語根*wal-「強い」のo階梯から生じた何らかのサビニ語語彙から、二次的に*-os接尾辞によって派生した単語が
元になっているのかもしれない。
Valeriusの名を持つ古い聖人が数人いる。例えば、ローマのキリスト教伝道師で287年にソワソン(Soissons)で殉教した人物、ドイツ西部のトリーア(Trier)の第二代司教(4世紀)、ラングル(Langres:仏西部オート=マルヌ県)司教代理(5世紀初頭)、
アンティーブ(Antibes:仏南東部アルプ=マリティーム県)司教(5世紀)、クースラン(Couserans:仏南部
アリエージュ県)初代司教(?~451年)等など。これらの人物に因むサン・ヴァレール(Saint-Valère)、サン・ヴァリエ(Saint-Vallier)の地名もフランスには多く、
彼等にあやかって洗礼名としてフランスで広まった。
[Morlet(1997)p.949, Cellard(1983)p.94, Larchey(1880)p.477]
Jehan Valery de Bosc-Roger(1320年Roncherolles-en-Bray(セーヌ=マリティム県))
11
Jean Walliery(1536年Dhuy(ベルギー、ナミュール州))
12
②父称姓。フランス北部の、特にソンム県のValéry姓はゲルマン語の男子名ワラハリークス(*Walaharīks:古高独Walherich
13)に
遡る。語源はゲルマン*Wal(a)haz「異邦人」
14(cf.
ヴァルヒ(Walch))とゲルマン*rīks「王」
15の合成語で、「異邦人+王」の意。構成要素から「異邦人を
治めた王」の意と解されそうだが、ゲルマン人の古い二要素合成名は、あくまで人名要素を二つドッキングしたものであって、要素間を意味上関係づけて
命名されたものではない。この人名は仏北部ソンム県アブヴィル(Abbeville)郡の自治体
サン=ヴァルリ・シュル・ソンム(Saint-Valery-sur-Somme:古名Leuconay)にある修道院の長を務めた
聖ヴァルリ(Saint Valery:622年没)の名でもある。彼の名はGualaric、Waleric、Walericus、Walaric、
Walarichとも綴られている。フランス北部では、彼にあやかってこの名前がしばしば用いられた。以下はその例である。
Walericus de Sorcy(1273年Amiens(ソンム県):商人)
16
Walricus Coneti(1461年Paris)
17
Sire Vuallery de leſcoſſe(1567年Thory(ソンム県))
18
(この人物の姓に関してはcf.
デコス(Décosse))
フランス語における転訛の為、①起源のValéryと混同された。
[Larchey(1880)p.477]
1 Carl Franz Haberer "Eydgenössisch-Schweytzerischer Regiments Ehren-Spiegel."(1666)p.147
2 "Bulletin - Société de l'histoire du protestantisme français. vol.8"(1859)p.524
3 Morlet(1997)p.949
4 研究社羅和辞典p.704 尚、『Oxford Names Companion』p.880に第二音節を長母音にしたValēriusの形を挙げるが、これは誤りである。
5 Doris Bayer, Ursula Haubner et al. "Biographischer Index der Antike / Biographical Index of the Classical World."(2001)p.973
6 Albert Schneider "Beiträge zur Kenntniss der Römischen Personennamen."(1874)p.11
7 Dionysius of Halicarnassus、Aeterna Press "The Roman Antiquities of Dionysius of Halicarnassus."(1968)英語訳
8 Georg Alexander Ruperti、Nicolas Eloi Lemaire "Sexdecim satirae."(1823)p.677の脚注182
9 Titus Livius "Ab urbe condita."2, 30
10 ONC(2002)p.880
11 "Histoire de la paroisse et commune de Roncherolles-en-Bray."(1865)p.105
12 Čécile Douxchamps-Lefèvre "Inventaire analytique des enquêtes judiciaires du Conseil de Namur. vol.1-2"(1966)p.35
13 Förstemann(1966)sp.1234
14 http://www.koeblergerhard.de/germ/germ_w.html
15 http://www.koeblergerhard.de/germ/germ_r.html
16 Great Britain. Public Record Office "Calendar in the Patent Rolls. Edward I. (1272-1281)"(1971)p.35
17 Jean de Launoy "JOANNIS LAUNOII, CONSTANTIENSIS, PARISIENSIS THEOLOGI, SOCII. vol.4"(1732)p.390
18 "Le grand Coustumier general. vol.1"(1567)p.clxxx
更新履歴:
2016年4月20日 初稿アップ