Thiers ティエール(仏)
概要
①仏南部の同名地名より。地名はゴールtigerno-「主君」を語源とする人名由来か、直接由来して「主村」を意味する。
②仏北部の二ヵ所ある同名地名より。オイルtierce「三分の一税」に由来する地名。
③古仏Thiers(語源はゲルマン*þeudō「民」+ゲルマン*rīks「王」)という男名より。
④中仏tiers,古オックters,tęrtz「三番目の(人)」に由来し、「三番目の子」の意。
詳細
フランスの政治家ルイ・アドルフ・ティエール(Louis Adolphe Thiers:1797.4.16 Marseille(ブーシュ=デュ=ローヌ県)~1877.9.3 Saint- Germain-en-Laye(イヴリーヌ県))の姓。フランス南部に広く見られる。同源異綴の姓にティエール(Tiers)があり、やはり南部に多いが、 フランス北端のノール県にも集住地が有る(南部のものとは別語源であろう)。政治家のティエールは南部出身なので、①か④が語源であろう。

Willelmus de Tierno(1050年Thiers(ピュイ=ド=ドーム県))1
Bruna de Tierno(1274年Limousin(仏中南部))2
Bertrandus de Tiherno(1394年Saint-Flour(カンタル県))3

①地名姓。仏南部ピュイ=ド=ドーム県ティエール郡ティエール小郡ティエール(Thiers)市に由来。
apud Thigernum caſtrum(6世紀)4
quod adjacet Tigernenſi caſtello(6世紀)5
castellum Tigernense(6世紀)6
castrum Tigernum(6世紀)6
Tihernum(1373年)6
Tiernium(1392年)6
Thesaurarius Thierni(1392年)7
Abbas Tiherni debet ... Capitulum Tiherni debet(1467年)8

6世紀の地名の初出Thigernum、Tigernensiは、トゥール司教グレゴリウス(Gregorius)(538~593/594)の 著作"Gloria Martyrum"に見える。地名の原義は「*Tigernos(人名)の地所」9, 10。*Tigernosという人名はゴール語に由来するもので、 ゴールtigerno-「主君」11を語源とし、更にケルト祖語の*tegernos「主君」12に遡る。或いは、人名を経由せずに直接ゴールtigerno-「主君」に由来する地名で、 「支配者的位置にある村、主村(ville dominatrice, capitale)」を意味すると解する説もある6

600年近く前までは本地名の語末部分は-nで終わっていたし、この地名に因む姓も同様であった。これが、いつどの様な理由からnとsが置き換わった かは不明である。15世紀中葉以降の当地名の記録が欲しい所だが、資料が不足していて確認出来ない。この音環境下でオック語でnが脱落する事が有るのか私には解らない(探せばあるかも知れないが)。もしそうなら、 現形の-sは二次的に付随したものという事になるが、もしかしたら古オックters「三番目の」(④参照)という使用頻度の高い語からの 形態の類似から影響を受けて語形が転じてしまった可能性もある。そうなると、姓も地名の変化に合わせて語形が転じたのだろうか?

尚、記録によると上掲1050年の初出の人物はクリュニー(Cluny)修道院にティエール市域内にあったCarmis、Sivrac、Espentegni等の土地を献上 している1
[Morlet(1997)p.926, Germain et Herbillon(2007)p.958, Larchey(1880)p.459]

Jehan de Tiers(1371年Montequierque(ベルギー、ウェスト=フランデレン州Brugge近郊?)13)14
Coppins Thiers(1410年Ypres(ベルギー、ウェスト=フランデレン州))15

②地名姓。 仏北部ワーズ県サンリス郡サンリス(Senlis)小郡ティエール・シュル・テーヴ(Thiers-sur- Thève)村に由来。
apud Tertiam terram(1040年以前)16, 17
Tertia(1163年)16, 17
Tertium(1200年)16, 17
villam Tiert(1222年)16, 17
Tierz(1243年)17
juxta campos de Tercio(1264年)16, 17
Tiers(1278年)17
Tercium(1280年)16
Thiers(1283年)17
Tertio(16世紀)17

オイルtierce「荘園農産物に対する三分の一租税」18に由来し、後、同根同義のオイルtiersに置き換わったもの 16。オイルtierceは荘園で収穫する農産物、特に穀物の現品を三分の一収める十分の一税の一種であった。 この税が適用されていた耕作地の名称が始まりとみられる。本語はラテン語のtertius「三番目の、3分の1の」に遡り、更に英third「三番目の」 とは同語源。

仏北部ノール県ヴァランシエンヌ(Valenciennes)郡アンザン(Anzin)小郡ブリュエ・シュル・レスコー(Bruay-sur-l'Escaut)町の小地名 ティエール・ラ・グランジュ(Thiers-la-Grange)
この地名の古形は確認出来なかった。古い記録が無いので断定できないが、恐らくオイルtierce「荘園農産物に対する租税」に由来か。
[Morlet(1997)p.926, Germain et Herbillon(2007)p.958, ONC(2002)p.612]
③父称姓。古仏Thiersという男名に由来する。Thiers li Foulons(1295年Mons(ベルギー、エノー州))15 という男名用例が有る。男名は古仏Thieryという男名(例えば1374年にブリュッセルでThiery de Rochefortという人名記録有り 19)に古い主格語尾-sが接続して生じたものと見られる。古仏Thieryは古いドイツ人の男名Theodoric(us) 20がフランス語化したもの。人名はゲルマン*þeudō「民」+ゲルマン*rīks「王」よりなる。
[Germain et Herbillon(2007)p.958, Larchey(1880)p.459]

Guillebert le Tiers(1560年Harelbeke(ベルギー、ウェスト=フランデレン州))15

④ニックネーム姓。中仏tiers「三番目の;三番目の人」21に由来し、「三番目の子」を意味する。或いは古オックters, tęrtz「三番目の;三番目の人、農作物の三分の一を徴収する権利」22に由来し、「三番目の子」、或いは「三分の 一税徴収請負人」を意味する姓と考えられ、これが後に同源同義の仏tiers「三番目の」に置き換わった可能性が有る。従って②と同語源で、 英thirdとも同語源。
[Morlet(1997)p.928, Germain et Herbillon(2007)p.958, Larchey(1880)p.462, ONC(2002)p.612]
◆ケルト*tegernos「主君」(古アイルランドtigerna「主君」(>中アイルランドtigerna>アイルランドtiarna),スコットランド=ゲールtighearna 「主君」,マンçhiarn「主君」ウェールズteyrn「支配者、君主、王」,コーンウォールmyghtern「支配者(dominus)」23, ブルトンmachtiern「長、王子」24)←PIE*teg-es-no-s25(+接尾辞+名詞形成接尾辞+ 主格語尾)←*(s)teg-「覆う」。

ステゴサウルス(stegosaurus)のstego-「屋根」やデッキブラシ(和製英語deck+brush)のdeck「甲板」と同根。ケルト*tegernos「主君」の 印欧祖語の再建形がどの様な派生によるか良く解らない。*teg-es-no-sの-es-という接尾辞は、動詞語根に接続する行為名詞形成接尾辞*-e/os-を想定しているのだろうか。 この場合、有声音に挟まれたsがロータシズム(rhotacism)を起こしたと見るのだろうが、ケルト語で一般的な現象かどうかは 私にはよく解らない。語根*(s)teg-「覆う」に*-rno-という接尾辞が接続したとみる説もあるが26、この接辞も正体不明。 いずれにしても、この語根から生じたケルト *tegos「家、住居」(古アイルランドtech,古ウェールズ,古ブルトンtig)の派生語と考えられており、原義は「家長」と想定される 26, 27。同じ意味の発達を示す例に、ラテン語のdomus「家」の派生語dominus「主人、支配者」がある。
1 Alexandre Bruel "Recueil des chartes de l'abbaye de Cluny. vol.4"(1888)p.409
2 "Bulletin de la Société archéologique et historique du Limousin. vol.58"(1908)p.497
3 H. Champion "Mémoires de la Société de l'histoire de Paris et de l'Ile-de-France. vol.33"(1906)p.200の脚注4
4 Gregorius Turonensis "Sancti Georgii Florentii Gregorii Episcopi Turonensis Opera Omnia."(1699)sp.783
5 ibid. p.798
6 Nègre(1990)p.125
7 Ambroise Tardieu "Grand dictionnaire historique du département du Puy-de-Dôme."(1877)p.217
8 ibid. p.237
9 Vial(1983)p.125
10 Henri d' Arbois de Jubainville, Georges Dottin, Émile Ernault "Les noms gaulois chez César et Hirtius De bello gallico."(1891)p.177
11 https://en.wiktionary.org/wiki/tiern
12 "Cambridge Medieval Celtic Studies. vol.14-16"(1988)p.45
13 Montequierqueの地名は現存せず、消失地名と見られる。1413年にコルトレイク(Kortrijk)にてLouis de Montkerkeという 名の騎士の記録が有る。あるサイトにブルッヘ(Brugge) 近郊にMontkerkeの地名が有ったとの指摘が有る。これらの指摘からウェスト=フランデレン州に存した地名と考えられる。
14 "Bulletins de l'Académie royale des sciences et belles-lettres de Bruxelles. vol.10"(1843)p.266
15 Germain et Herbillon(2007)p.958
16 Nègre(1998)p.1498
17 Émile Lambert "Toponymie de Département de l'Oise."(1963)p.216
18 J. B. B. Rocquefort "Glossaire de la langue romane. vol.2"(1808)p.623
19 Christophe Butkens "Trophées tant sacrées que profanes du Duché de Brabant. vol.1"(1724)p.667
20 Förstemann(1966)sp.1188
21 http://www.cnrtl.fr/definition/dmf/tiers?idf=dmfXdXrmXtenbd;str=0
22 Levy(1909)p.363
23 Cambrian Archaeological Association "Archaeologia Cambrensis, the Journal. vol.7, part. 5"(1895)p.286
24 "Annales de Bretagne publiées par la faculté des lettres de Rennes. vol.2"(1886)p.403
25 Odense University Press "North-western European Language Evolution: NOWELE. vol.38-41"(1983)p.98
26 University of Edinburgh "Scottish Studies. vol.4"(1960)p.190
27 Buck(1949)p.1331

更新履歴:
2016年3月29日  初稿アップ
PIE語根①Thi-er-s: 1.*(s)teg-¹「覆う」; 2.(?)*-e/os- 行為名詞形成接尾辞; 3.(?)*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞
②Thier-s: 1.*tréyes「3」; 2.*-to- 形容詞・名詞形成接尾辞
③Thie-r-s: 1.*teutā-「部族」; 2.*reg-¹「導く、統べる」; 3.*-s 主格語尾
④Thier-s: 1.*tréyes「3」; 2.*-to- 形容詞・名詞形成接尾辞

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