Tannhäuser タンホイザー(独)
概要
①古高独*tan,中高独tan「森」+古高独,中高独hūs「家」から構成され、「森里」を意味する地名に由来する姓。或いは「樅の木村」の意。
②男子名Tago(古高独tag「日」に由来)の単数属格形Taginと古高独hūs「家」より構成される地名より。
③男子名Dando(語源不明)の単数属格形Dandanと古ザクセンhūs「家」より構成される地名より。
詳細
Lupold Tanhuser(1246年Augsburg(バイエルン州))1
Jacobea Tanhuserin(1320年Rathausen(スイス、ルツェルン州):修道女)2
Hânin der Tannhúser(1371年Eßlingen(バーデン=ヴュルテンベルク州))3
Chunrat der Thanhawser(1383年、バーデン=ヴュルテンベルク州)4
Ruger und Hans gebrüder die TanhawʃerRuger und Hans die vorgenanten Tanhawʃser(1406年Ensdorf(オーバープファルツ))5
Hanns Tanhawser(1420年Wien(オーストリア))6
marg. tanhusserin uxoris steffani tanhussers ac erhardi tanhuser patrui(1453年Aargau(スイス))7
Wernher danhayser(1453年Eßlingen)3
hainr. tanhewser(1487年Eßlingen)3
Balthasar Tanhawser(1492年Scheifling(墺、シュタイアーマルク州))8
Georgius Tonhawser(1501年Wien)9
Franntziss Thanhawser haubtman(1519年Klagenfurt(墺、ケルンテン州))10
Sixtus Tanhußer Junior(1532年Altensteig(バーデン=ヴュルテンベルク州):聖職者)11

地名姓。主にドイツ語圏北部。異形にThannhäuser、Dannhäuser、Thannhauser、Tannhauser、Dannhauser、Tannheiser、Thannheiser、Dannheiser等。 後述する以下の地名に由来するが、語源により3系統に分かれる。本姓は、中世ドイツの詩人タンホイザー(Tannhäuser:1200年頃 Tannhausen (Oberpfalz)~1266年頃)(ファーストネームは伝わっていない)で有名。ワーグナーのオペラ『タンホイザー』の主人公として知られる。彼は、 神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世の身辺で創作活動を始めた事が知られ、又、第六次十字軍にも参加した(1228/29年)。その後、オーストリアの 好戦公フリードリヒ2世の宮廷で活動、1246年の公爵の死後は東ドイツの各宮廷を渡り歩く放浪生活をおくった12。 この詩人は、根拠が有るのかどうか今一解らないが、シュトゥットガルト市の東に位置する オスト=アルプ郡タンハウゼン(Tannhausen)村の出身とされており、彼の場合は最も有り触れた①が語源。又、大抵の上記各姓の語源も ①と見られる。一方、②と③の地名は比較的最近までかなり異なった綴りを維持しており、これらの地名が起源の苗字が存在する可能性は 稀有か、或いは全くゼロとも考えられるが、一応語源を挙げておく。
①古高独*tan「森」(古高独tanesel「野生ロバの一種」の第一要素)13,中高独tan≪男性・中性名詞≫「森、モミの木の森」 14(>独Tann「モミの木の森」)+古高独hūs「家、住居、寺院」15,中高独hūs「家、住居、家庭」 16に由来する。或いは、第一要素は古高独tanna≪n語幹女性名詞≫「樅、唐檜、松」13, 中高独tanne,tan(n),danne「樅(の木)」17(>独Tanne)に由来する場合も有るかもしれない。よって、「森村、森里」、或いは 「モミの木村」が原義。以下、各地名を列挙す。

●独南西部バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト行政区域オスト=アルプ郡(Ostalbkreis)のタンハウゼン(Tannhausen)村
Sigeboto de Tanehusen(1145年(?):人名)4
Siboto de Tanhvsen(1215年:人名)4
Ott(o) de T(h)anhusen(1262年:人名)4
in Tanhusen curiam villicalem(1270年)4
Danhusen(1300年頃)4
Otto de Tanhausen(1311年:人名)4
Vlrich von Danhausen(1347年:1477年写本、人名)4
Tanhußen(1360年)4

●独南西部バーデン=ヴュルテンベルク州テュービンゲン行政区域ラーヴェンスブルク(Ravensburg)郡アウレンドルフ(Aulendorf)村の地名Tannhausen
この地名は今日まで中世の記録が発見されていない18。恐らく、比較的最近の移動地名であろう。

●独南東部バイエルン州ニーダーバイエルン行政区域ディンゴルフィンゲン=ランダウ(Dingolfing-Landau)郡アイヒェンドルフ(Eichendorf)村の 小地名タンハウゼン(Thanhausen)
古名確認出来ず。

●独南東部バイエルン州オーバープファルツ行政区域ティルシェンロイト(Tirschenreuth)郡ベルナウ(Bärnau)村の小地名タンハウゼン(Thanhausen)
Siboto de Tanhusen(1215年:人名)19
初出のSiboto de Tanhusenなる人物はチェコ西端の町ヘプ(Cheb:独名Eger)の1215年の記録に現れ、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世とレーゲンス ブルク司教コンラート(Konrad)の交換契約の公証人の一人である。中世には既に彼の家系はベルナウのタンハウゼンの貴族領主となっており、16世紀 以降は家名をタンドルファー・ツー・タンハウゼン(Tandorfer zu Thanhausen)と名乗った19。 Siboto de Tanhusenは綴りと年代から、既出のバーデン=ヴュルテンベルク、オスト=アルプ郡のTannhausen村の初出形とされる 人物と同一人物と見られる。ティルシェンロイトはヘプの南25㎞に位置し近い。Siboto de Tanhusenがオスト=アルプ郡のTannhausenの 出身であれば、彼の姓を仲介した移動地名ということになる。

●独南東部バイエルン州オーバープファルツ行政区域レーゲンスブルク(Regensburg)郡ヴェンツェンバッハ(Wenzenbach)町の 小地名タンハウゼン(Thanhausen)
in manum Polonis in villa que vocatur Tanhusa(863~882年)20, 21
シュヴァルツ(Ernst Schwarz)は「森の集落(に)(bei den Waldhäusern)」の語義と説明している20。初出形は後述の アルトマンシュタイン村のタンハウゼン(Thannhausen)の古形とする見解もある22。ただ、この初出記録は レーゲンスブルクの古文書に見え、同文章中に見える別の地名Chuningesdorfは、ヴェンツェンバッハ町内の小地名ゴナースドルフ(Gonnersdorf)に 比定されてもおり20(但し、音韻的にはこの比定には問題が有る)、ヴェンツェンバッハのThanhausenとする説に分があると 思うので、これに従った。1280年にも記録が有るらしいが23、綴りが確認出来ない。

●独南東部バイエルン州オーバーバイエルン行政区域アイヒシュテット(Eichstätt)郡アルトマンシュタイン(Altmannstein)村の 小地名タンハウゼン(Thannhausen)
Tanhusun(1071年)24
Thonhausen(1137年)23

●独南東部バイエルン州ニーダーバイエルン行政区域ケルハイム(Kelheim)郡リーデンブルク(Riedenburg)村の小地名タンハウゼン(Thannhausen)
Thanhusen(1245年)25
Tanhasen |sic|(1248年)25
Fridericus de Tanhůsen(1272年:人名)26

●独南東部バイエルン州オーバーバイエルン行政区域ベルヒテスガーデン(Berchtesgaden)郡ラウフェン(Laufen)村の小地名タンハウゼン(Thannhausen)
cum manu Reginberti locum Tounhusa(927年)27
Tounhuson(927年)23
Tonnhusa(930年)28
Tanhusen(10世紀)29
この地名はもっと念入りに調査する必要が有る。恐らく別語源の地名。

●独南部バイエルン州オーバープファルツ行政区域ノイマルクト・イン・デア・オーバープファルツ郡フライシュタット(Freystadt)町の 小地名タンハウゼン(Thannhausen)
フライシュタットの公式HPに「樅の木村(Siedlung bei den Tannen)」の意とし、既に7世紀から見られる地名だという30。 然し、綴りが確認出来ない。

●独南部バイエルン州ミッテルフランケン行政区域ヴァイセンブルク=グンツェンハウゼン(Weißenburg-Gunzenhausen)郡プフォーフェルト (Pfofeld)町の小地名タンハウゼン(Thannhausen)
Tanhusun(年代未記入)25
Tanehusen(1204年)25
独Wikipediaでは1075年初出という。別資料で年代未記入のTanhusunが、その初出形か。この1075年にアイヒシュテット(Eichstätt)司教グンデカル2世 (Gundekar Il.)が、聖バルトロマイを記念して当地初となる教会を献堂しており31、その記録に見えるものだという 32

●オーストリア南東部シュタイアーマルク州ヴァイツ(Weiz)郡の村タンハウゼン(Thannhausen)
古名確認出来ず。村の公式HPに村史のページが有るが、殆ど何も書かれていない。書きかけのようだ。

●独南部バイエルン州ミッテルフランケン行政区域ヴァイセンブルク=グンツェンハウゼン郡ベルゲン(Bergen (Mittelfranken))村タールマンスフェルト (Thalmannsfeld)の小地名ダンハウゼン(Dannhausen)
Danhusen(1343年)25
この地名はもっと念入りに調査する必要が有るが、資料が見つからず詳細不明。語頭子音D-が本来的であるのなら、別語源と見るべき。

●独南東部バイエルン州オーバープファルツ行政区域レーゲンスブルク郡ヘーマウ(Hemau)町の小地名トーンハウゼン(Thonhausen)
Tanhusa(10世紀)25, 33
Tanahusum(1050年)25, 33
Tanehusen(1160年)25, 33
Tanhawsen(14世紀末)34

●独南東部バイエルン州オーバープファルツ行政区域アンベルク=ズルツバッハ(Amberg-Sulzbach)郡ウルゼンゾレン(Ursensollen)村 の小地名トーンハウゼン(Thonhausen)
Tanehusen(1166年)23

●独南東部バイエルン州ニーダーバイエルン行政区域ランツフート(Landshut)郡プフェッフェンハウゼン(Pfeffenhausen)村の小地名トーンハウゼン (Thonhausen)
古名確認出来ず。

●独南東部バイエルン州オーバーバイエルン行政区域フライジング(Freising)郡ヴォルファースドルフ(Wolfersdorf)村の小地名トーンハウゼン (Thonhausen)
Tanahusum(1050年頃)23
Tanhusen(1257年)23

●独南東部バイエルン州ニーダーバイエルン行政区域ケルハイム郡アッテンホーフェン(Attenhofen)村の小地名トーンハウゼン(Thonhausen)
古名確認出来ず。

●独東部テューリンゲン州アルテンブルク郡(Altenburger Land)の村トーンハウゼン(Thonhausen)
独Wikipediaでは出典を明示して1181~1214年が初出としているが、綴り不明。

今、6ヵ所のトーンハウゼンを列挙したが、古名が不明なものの中には別語源の地名が含まれる可能性が有る。例えば、ヘッセン州カッセル郡 トレンデルブルク(Trendelburg)村ゴッツビューレン(Gottsbüren)にかつて存在した小地名トーンハウゼン(Thonhausen)は、
Tunhosen(1300年頃)35
Oberntunhusen(1368年)35
Thunhosen(1442年)35
と綴られており、全く起源が異なると見られるからである。

尚、ポーランド南西部のドルヌィ・シロンスク県ヴァウブジュィフ(Wałbrzych)市内のスタルィ・ズドルイ(Stary Zdrój)地区にも、 かつてタンハウゼン(Tannhausen)の地名が有り、これに由来している場合もありうる。
[Gottschald(1982)p.486, Zoder vol.2(1968)p.719, Kohlheim(2000)p.660, Berger et Etter(1961)p.351, Brechenmacher(1928)p.184]
②独南部バイエルン州シュヴァーベン行政区域ギュンツブルク(Günzburg)郡の町タンハウゼン(Thannhausen(Schwaben))
Taigenhusen(1106~1122/1108/1172/1186/1274年)23, 36, 37, 38
Taginhusen(1109年)36, 37, 39
de Tagenhusen(1160年:1495年写本)36
Tainhusen(1338/1356年)36, 39
Taynhusen(1360年)23, 36
Taenhusen(1362年)23, 40, 41
Thainhusen(1417年)23, 42
Thainhaußn(1495年)36
Thainhausen(1496年)36
Dahnhausen(1700年頃)36, 39
Thannhausen(1844年)36

第一要素は古高独の男子名タゴ(Tago)の単数属格形Taginと古高独hūs「家、住居」の複数与格hūsun,hūsonに由来し、「Tago(人名)の家々・集落(に)」が原義 36, 39。Tagoという人名はフェルステマンの古ドイツ人の個人名辞典には掲載されていないが43、 1179年オーストリア北東部の都市クロスターノイブルク(Klosterneuburg)でTago de partizの人名で見出される44。 人名は古高独tag「日、時間」45(英dayと同語源)を第一要素に持つ様々な二要素複合名の短縮形であった。 地名の現名までの変化は不規則で、本来であれば*タインハウゼン(Teinhausen)という名前になっていた筈である。14~15世紀の綴りはその本来の姿を 現している。最初は前舌母音iが直前のgを硬口蓋化させ半母音[j]に転じさせ、これが更に後続のiに吸着し消失し、第一音節に/ai/の 二重母音が生まれた。ここまでは規則的である。所が、1700年の綴りでは-ah-の綴りが現れており、この時点では長母音の/a:/と発音されていたと 考えられる。どの様な経緯を経てこの発音に至ったか、説得力のある説明が出来ない。 /ai/→/a:/の音変化は同じバイエルン州でも北部のニュルンベルク~バイロイトなどフランケン地方で見られるが、南西部のシュヴァーベンの本地名では 場所的に合わない。又、綴り上の-ai-が長母音/a:/を表わす表記と誤解されて、-ah-の綴りに入れ替わったかとも考えたが、 -i-で直前の母音字母の長音を表わす表記は独西部のラインラントの書記法(例:Voigtと書いて「フォークト」と読ませる類)であり、やはり場所的に 問題が有る。何か別の単語との連想から語形が変化したのかもしれないが、詳細不明。
③独中部ニーダーザクセン州ノルトハイム(Northeim)郡バート・ガンダースハイム(Bad Gandersheim)市の小地名ダンハウゼン(Dannhausen)
Dandanhusi(1007年)38
Henric de Dandenhusen(1229年:人名)38
Dannenhusen(1419年)38
Dandenhusen(1568年)38
Danhausen(1600年頃)38
Dannenhausen(1678年)38

-nd-→-nn-のドイツ語でよく見られる同化現象が起きている。第一要素は語源不明の古ザクセン語の男子名ダンド(Dando)46 の単数属格形Dandanで38、第二要素は古ザクセンhūs「家」47(英houseと同語源)。従って、 原義は「Dando(人名)の家々・集落(に)」。初出形Dandanhusiの語末の-iは、ラテン語の複数主格語尾-īに模したもの48。 現在の形は古ザクセンhūsの複数与格hūsun,hūsonからの発達で、後、高地ドイツ語の影響で二重母音化し-hausenに至った。かつての第一要素の 属格語尾部分は省略されて完全に失われている。尚、かつては①と同語源とする説が存在したが49、 古い形からこれが誤りであるのは明らかである。
こんなに沢山ある地名だとは思わなかった…、メチャクチャ疲れて、個々の地名を詳しく調べられなかった。他にも古文書叢書で何件か 古い綴りを見つけているが、現在のどの地名か同定するのに莫大な時間がかかるので、心残りだけど端折りました…。同名の地名は他にも有るようだけど、 調べるの大変なので割愛します…(同じような地名を20個くらい調べるのは精神的にキツイ…)。

リドリー・スコット監督の傑作映画『ブレードランナー』(1982年公開)のクライマックスで、敵の人造人間(レプリカント)の首領であるキャラ(ロイ・バッティ)が 死ぬ間際に語る台詞に"タンホイザー・ゲート(Tannhauser Gate)"という固有名詞が登場する。この台詞自体は、そのキャラを演じたルトガー・ハウアーのアドリブに よるものと言われており、タンホイザー・ゲートも彼の造語とされる事が多い。然し、1981年の前撮りの台本(pre-shooting script)で既に "Tannhauser Gate"の言及を含む別のモノローグが存在しており、ルトガー・ハウアーがアドリブでセリフを変更・追加したのは、最後尾の"そういう思い出もやがて時が来れば消える。 雨に紛れる涙のように(All those moments will be lost in time like tears in rain.)"の辺りらしい50

その死に際してのインパクトの強いセリフは強く印象に残るもので、その後のSF作品にオマージュとしてしばしばこの名が用いられる事となった。 良く知られたものでは、ガイナックスのOVA『トップをねらえ!』(1988~89年)、ポール・アンダーソン監督の映画 『ソルジャー』(1998年:脚本はブレードランナーのデビッド・ピープルズ)の台詞中に"タンホイザー・ゲート"の名が現れる。
◆中高独tan「森、モミの木の森」←古高独*tan「森」←?(中低独dan「森」)。語源不明。上掲のように、確実に同語源の単語は中低独danしか確認されて いない。英dean,dene「樹木の茂った深い谷」,中低独denne「野獣のねぐら、窪み、脱穀場」,古高独tenna「脱穀場」(←ゲルマン*danjō←PIE*dhen-yā-←(?) *dhen-「平面」)等と関係づけ、原義を「低地」とみる説もあるが51、不詳。古高独tanna「樅」(>独Tanne「樅」)とは、語源上無関係と見られるが、 逆に関係づける解釈もある。中高独tan「森」は中高独tanne「樅」と影響しあい、後に「樅の森」を意味するようになった。

◆中高独tanne,tan(n),danne「樅」←古高独tanna「樅」←ゲルマン*danwō(ō語幹女性名詞)「樅、唐檜」(古ザクセンdėnnia,danne「樅」(>中低独danne, denne「樅」))←PIE*dhanu-木の名(サンスクリットdhánvan-,dhánu(ṣ)-「弓」)52。ゲルマン語派内では、高地・低地ドイツ語に対応語があるのみで、 他の印欧語派ではインドにのみ見られる。祖語に遡ると想定するのは難が有るだろう。
1 Johannes Siebert "Der Dichter Tannhäuser."(1979)p.4
2 "Der Geschichtsfreund: Mitteilungen des Historischen vereins der fünf orte Luzern, Uri, Schwyz, Unterwalden ob und nid dem Wald und Zug. vol.71-73"(1916)p.46
3 Berger et Etter(1961)p.351
4 Reichardt(1996)p.236
5 Monumenta Boica vol.24 p.166
6 Johann Christoph Stelzhammer,Maximilian Fischer "Das gewesene Stift von St. Dorothea und die Pfarre Rossau mit der vom Lichtenthale."(1836)p.176
7 "Argovia. Jahresschrift der historischen Gesellschaft des Kantons Aargau. vol.6"(1871)p.387
8 Joseph Chmel "Regesta chronologico-diplomatica Friderici III. 1452-1493."(1840)p.794
9 David L. Sheffler "Schools and Schooling in Late Medieval Regensburg."(2005)p.350
10 Viktor Ritter von Kraus "Zur geschichte Oesterreichs unter Ferdinand I., 1519-22: Briefe und Aktenstücke zur Periode 1519-22."(1873)p.x
11 "Zeitschrift für die Geschichte des Oberrheins. vol.108-109"(1960)p.564
12 Reinhard Barth, Uwe Birnstein et al. "Die Chronik der Kreuzzüge."(2003)p.231
13 http://www.koeblergerhard.de/ahd/ahd_t.html
14 Lexer vol.2(1876)sp.1400
15 http://www.koeblergerhard.de/ahd/ahd_h.html
16 Lexer vol.1(1872)sp.1399
17 Lexer vol.2(1876)sp.1401
18 脚注1の文献p.2
19 Heribert Sturm "Historischer Atlas von Bayern: Teil Altbayern: Tirschenreuth."(1970)p.347
20 Ernst Schwarz "Sprache und Siedlung in Nordostbayern."(1960)p.106
21 Hans K. Schulze "Die Grafschaftsverfassung der Karolingerzeit in den Gebieten östlich des Rheins."(1970)p.167
22 Hans Walther "Zur Namenkunde und Siedlungsgeschichte Sachsens und Thüringens: ausgewählte Beiträge 1953-1991."(1993)p.200
23 脚注1の文献p.3
24 Georg Heinrich Pertz "Monumenta Germaniae Historica: inde ab anno Christi quingentesimo usque ad annum millesimum et quingentesimum. vol.7"(1846)p.247
25 http://www.boari.de/ortsnamen/thannhausen.htm
26 "Quellen und Erörterungen zur Bayerischen Geschichte. vol.5"(1857)p.249
27 E. Mühlbacher "Mitteilungen des Instituts für Österreichische Geschichtsforschung. vol.3"(1882)p.82
28 Max Höfler "Wald- und Baumkult in Beziehung zur Volksmedizin Oberbayerns."(1894)p.156
29 http://www.koeblergerhard.de/wikiling_1/townDirectory?page=2594
30 http://thannhausen.freystadt.de/hp1/Startseite.htm
31 Hans Wolfram Lübbeke, ‎Otto Braasch "Mittelfranken: Ensembles, Baudenkmäler, archäologische Geländedenkmäler."(1986)p.524
32 http://de.wikipedia.org/wiki/Thannhausen_(Pfofeld)
33 Förstemann(1863)sp.682
34 Stephan Acht "Mönche, Künstler und Fürsten: 900 Jahre Gründung Kloster Prüfening : Ausstellung 17. Oktober bis 22. November 2009 Museum Obermünster, Regensburg."(2009)p.77
35 Wilhelm Arnold "Ansiedelungen und wanderungen deutscher stämme: Zumeist nach hessischen Ortsnamen."(1881)p.409
36 Richard Dertsch "Historisches Ortsnamenbuch von Bayern: Schwaben. vol.1"(1953)p.15
37 Förstemann(1863)sp.662
38 NOB vol.5(2005)p.85f.
39 Erich Keyser "Bayerisches Städtebuch: Handbuch städtischer Geschichte. vol.2"(1974)p.664
40 Karl Heinrich von Lang, Maximilian Prokop von Freyberg, Georg Thomas Rudhart "Regesta sive rerum Boicarum autographa ad annum usque MCCC. vol.9"(1841)p.56
41 Taenhusenと共にDiuffenrietという地名が併記されている。後者は、恐らくThannhausen(Schwaben)の丁度南10㎞に位置する小地名 ティーフェンリート(Tiefenried)に対応すると見られる。
42 Richard Dertsch "Historisches Ortsnamenbuch von Bayern: Schwaben. vol.1"(1953)p.53
43 但し、同じ語源の別形による男名Dago、Dacco、Tacco、Takkoの名を録す(Förstemann(1966)sp.325)。
44 Maximilian Fischer "Merkwürdigere Schicksale des Stiftes und der Stadt Klosterneuburg aus Urkunden gezogen. vol.2"(1815)p.75
45 http://www.koeblergerhard.de/ahd/ahd_t.html
46 Förstemann(1966)sp.333
47 http://www.koeblergerhard.de/as/as_h.html
48 この初出形はラテン語文献中に、地名のみが箇条書きに列挙されている節で現われており、全て主格形で列挙されている。 他の前後に登場する古ザクセンhūs地名が全て語尾にラテン語の複数主格語尾-īを取っているが、 古ザクセンhūs「家」と同じa語幹中性名詞である-rod(「開墾地」の意)と-heim(「村、集落」の意)による地名は無語尾で 表記されている。これは、取りも直さずhūs地名が口語の古ザクセン語でも複数形で呼称されていた事を示している。
49 "Wertvolle Herkünfte forstlicher Baumarten in der Bundesrepublik Deutschland."(1967)p.170
50 http://en.wikipedia.org/wiki/Talk:Tears_in_rain_monologue
51 http://universal_lexikon.deacademic.com/23553/Tann
52 Pokorny(1959)p.234、http://www.koeblergerhard.de/germ/germ_d.html

更新履歴:
2015年1月22日  初稿アップ
PIE語根①Tann-häus-er: 1.(?)*dhen-²「平面」、又は (?)*dhanu- 木の名; 2.*keu-「覆う」; 3.語源不明
②Ta-nn-häus-er: 1.(?)*agh-²「日」、又は (?)*dhegʷh-「焼く、暖める」; 2.*-e/on- 名詞・形容詞形成接尾辞; 3.*keu-「覆う」; 4.語源不明
③Tann-häus-er: 1.語源不明; 2.*keu-「覆う」; 3.語源不明

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