Spalletti スパレッティ(伊)
概要
①伊spalla「肩」の指小形に由来し、「肩幅の狭い人」「肩が傾いた人、背虫の人」を意味する渾名より。
②クロアチア南部の地名Split(伊Spalato)より。地名はギaspálathos「ハリエニシダ」、或いはラpalātium「宮殿」が語源とされるが不詳。
詳細
イタリアのサッカー指導者ルチアーノ・スパレッティ(Luciano Spalletti:1959.3.7 Certaldo(トスカーナ州)~)の姓。 イタリア中部に分布比重が偏っている姓で、特にローマ市、トスカーナ州フィレンツェ県チェルタルドやピサ県のモントポーリ(Montopoli in Val d'Arno)、マルケ州マチェラータ(Macerata)県コッリドーニア(Corridonia)等に多い。単数女性形起源のスパッレッタ(Spalletta)姓も あり、こちらはシチリア州中部~西部、ラツィオ州中部に多い。

Albertino Spalleta de Campitello(1232(?)年Mantova(ロンバルディーア州))1
Andrea Spaleta da Soava(1592年Verona(ヴェーネト州))2

①ニックネーム姓。伊spalla「肩」に指小辞-ettoがくっついて生じた渾名*Spalle(t)toの複数形に由来し、「肩の小さな人、肩幅の狭い人」を意味する。 或いは、伊≪モエーナ(Moena)方言≫spaléta「(片方の)肩が傾いだ(schiefschultrig)」3、伊≪ヴェローナ方言≫spaléta 「せむし(gobbetto, gobbino)」4、又はそれらと同語源の別地域の方言に由来し、「背骨が横に湾曲して片方の肩が傾いている人、背虫の人」を意味する渾名 *Spal(l)et(t)aに由来する。古姓記録では、男性名詞形の-oや-usの語尾を持つ形が殆ど見付からず、女性形の-a語尾での例が若干数見られるので、 「傾いた肩、背虫」の意味から生じた可能性が高いのではないかと思う。なお、上記のモエーナ方言の「傾いた肩の」の語義は、背骨が側面に 彎曲したり捻じれたりして発症する脊椎側彎症(セキツイソクワンショウ:英scoliosis)の症状を指したもの。人種に関係なく10代思春期の女性に発症しやすく、 この年齢の男性の発症率の5~7倍有る(幼児期の男女発症率は同等)5, 6。語尾が-aという女性形で現れているのも、それが原因と考えられる。

ファーストネーム(或いは渾名か)としての用例が中世末期のヴィチェンツァ(Vicenza)でのラテン語文献中に見られる。GoogleBookの スニペット検索で見付けた為、正確な年代は特定できないが、1083~1259年の間の記録である。引用する。
"item Friconus cum duobus suis filis de masnata eorum et sunt masculi; item Spaleta et Marana fratres eius; item Boganus et Iachimina eius sorore, nepotes suprascriptorum, et Albertum filium Ordani, quique sunt de eius masnata." 7
「条:Friconusと彼らの家族である二人の息子、男性。条:SpaletaとMarana、彼の兄弟。条:Boganusと彼の妹Iachimina、上記の孫。 Ordanusの息子Arbertus、彼の一族」(強調はマルピコスによる)

ここでは、SpaletaとMaranaの両名がFriconusの兄弟(fratres(複数主格形))であると言及されているので、-a語尾の女性名詞ではあるものの、 男性名として用いられている。ただ、この例でのSpaletaが「傾いた肩、背虫」「肩幅の狭い人」、どちらを意味するかは勿論明らかではない。
[Minervini(2005)p.463, Rapelli(2007)p.652]

dominis Jacobo de Spalleto(1281年Trogir(クロアチア、スプリト=ダルマチア郡))8
Leonardus de Spaleto(1322年Split(クロアチア、スプリト=ダルマチア郡))9

②地名姓。クロアチア南部スプリト=ダルマチア郡の主都スプリト(セルボ=クロアチアSplit,伊Spalato)の名に由来する。地名の複数形がその まま姓となる例が稀にあるので(例:地名インザーゴ(Inzago)→姓インザーギ(Inzaghi))、この地名に由来する可能性がもある。取りあえず、 以下に地名の歴史上の推移を挙げる。

Diocletianus haud procul a Salonis in villa sua Spalato moritur ...(381年:5世紀中葉写本)10, 11
Spalato(4~5世紀:出典、『ポイティンガー図(Tabula Peutingeriana)』(13世紀写本)(下掲写真参照))12
Spalatum(5~6世紀)13
Spaletum(5~6世紀)13
Aspalatum(5~6世紀)13
Spalation(700年頃)14
Spalathron(700年頃)15
Spalatrum(700年頃)16
Spalathon(年代未確認、8世紀?:原出典Guidonis Geographica)17
Spalatrum(998年)18
Spalatrum(1357年)19


写真は 『ポイティンガー図(Tabula Peutingeriana)』の第五セグメント(部分)。この地図は2007年にユネスコ記憶遺産に登録されている。 写真中央にSpalatoとあるのがスプリト。

地名はギaspálathos「ハリエニシダ、マメ科エニシダ族の植物(学名Calicotome spinosa)」20に由来し、この地一帯に 普通に見られるこの植物の灌木に因むとされている21, 22。長い間、当市の中核をなしている ディオクレティアヌス帝の宮殿に因み、ラpalātium「宮殿」が語源である地名と考えられていたが、誤りとされている。この誤説は東ローマ帝国皇帝コンスタンティノス7世 (10世紀)が提唱し、後に大助祭トマス(英Thomas the Archdeacon:1200年頃~1268年)によって記録されたものである22。 更に発展して、語頭のS-を説明するために、付近のサロナ(Salona:クロアチア南部ダルマチア郡)の地名を添加した"Salonae Palatium" 「サロナ宮殿」の省略形"S. Platium"から生じたという説22、"Spatiosum palatium"「広大な宮殿」(第一要素はラspatium 「空間」の形容詞spatiōsus「広大な」)の省略形から生じたという説21が生じている。

Wikipedia伊語版によると、当市は、ギリシアの植民地であったシチリア島はシラクサの僭主ディオニュシオス1世(紀元前432年頃~紀元前367年)の 治世下に、シラクサのギリシア人が交易拠点として建設した植民地が起源とされ、当時の名前はAspálathosと呼ばれたとされている23。 この情報自体は、Wikipedia伊語版で出典が明示されているので、確かなものらしいが、私自身は他の資料では今の所、確認できないでいる。 私が確認している地名の文献上の初出は、キリスト教の聖職者・神学者ヒエロニムス(Eusebius Sophronius Hieronymus:340年頃~420年)による エウセビオス(Eusebius Pamphili:263年頃~339年)の『普遍史(Chronicon)』の同名の続編(紀元後381年)に見えるもので、上掲の "Diocletianus haud procul a Salonis in villa sua Spalato moritur ..."「ディオクレティアヌスはサロナイ(Salonae)から遠くない スパラトゥム(Spalatum)にある自分の大邸宅(villa)で亡くなった」である。これ以上古い史料は確認出来ない。

所が、この381年の初出史料自体も中々の曲者で、写本によってSpalatoの部分の表記がまちまちである。今挙げた"in villa sua Spalato"の 表記を持つヒエロニムス『普遍史』は5世紀中葉成立のО写本、8世紀末~9世紀初頭成立のМ写本によるもので、10世紀成立のX写本は"in villa sua Aspalato"に作り、787~796年頃成立のL写本は"in villa sua palato"に作り、5世紀末成立のS写本とその系譜に属す他の 3写本では"in villae suae palatio"に作る11。後者の二系統の写本に関しては、ディオクレティアヌスが 亡くなった場所は「サロナイ近郊の彼の大邸宅の宮殿(palātium)で」という事になってしまう(確かに事実なのだが…)。

ローマ帝国属州ガリア・アクィタニア(現在の仏南西部アキテーヌ地方に相当)の著作家プロスペル(Prosper Tiro Aquitanus:390年頃~455年頃)の 著作『エピトマ・クロニコン(Epitoma Chronicon)』(455年頃)にも、
"Diocletianus haud procul a Salonis in villa sua Spalato moritur."11
とあり、О写本、М写本と内容が一致している(恐らく、プロスペルが引用したのだろう)。

これと同じ内容の記事が『511年ガリア年代記(Chronica gallica anno 511)』(511年)に見え、次のようにある。
"IX anno Constantini Diocletianus obiit Ophinio in villae suae palatio apud Salonas."11
「コンスタンティヌス帝在位9年目、オピニウスが執政官の年に、ディオクレティアヌスはサロナイ近郊の彼の大邸宅の宮殿で亡くなった」
ここでは、『普遍史』S写本系統の表記になっている。

東ローマ帝国皇帝コンスタンティノス7世のギリシア語による著作『帝国の統治について(De Administrando Imperio)』(949年)の中でも スプリトの言及がある。引用する(強調はマルピコスによる)。
"Οὗτος οὖν ὁ βασιλεὺς Διοκλητιανὸς καὶ τὸ τοῦ Ἀσπαλάϑον κάστρον ᾠκοδόμησεν, καὶ ἐν αὐτῷ παλάτια ἐδείματο"(第29章7-11)11, 24
「それから、その皇帝ディオクレティアヌスはAspalathosの町を建設し、そこに宮殿を建てた」

"Ὅτι τοῦ Ἀσπαλάϑον κάστρον, ὅπερ 'παλάτιον μικρόν' ἑρμηνεύεται, ὁ βασιλεὺς Διοκλητιανὸς τοῦτο ἔκτισεν εἶχεν δὲ αὐτὸ ὡς ἴδιον οἶκον, καὶ αὐλὴν οἰκοδομήσας ἔνδοϑεν καὶ παλάτια, ..."(第29章237-242)11, 25
「"小さな宮殿"を意味するAspalathosの町はディオクレティアヌス帝によって建設された。彼は自身の居城をそこに建て、その中に 宮廷や宮殿を建立した」
この記事が先述のコンスタンティノス7世によるラpalātium「宮殿」由来説である。「小さな宮殿」(παλάτιον μικρόν)としているが、 どこから「小さい」の意味が導かれるのか、その説明は無い。

以上の如く、ヒエロニムスの『普遍史』はディオクレティアヌス帝の死んだ場所に関してSpalato系とpalat(i)o系の2系統があることになる。 前者はディオクレティアヌス宮殿が建てられた場所の固有名を正確に言い当てており、こちらの方がオリジナルに近い形と見られている 11。ただ、上記のギリシア語由来説は、この地名の原形が語頭にA-を持つ事を前提としている。然しながら、A-の形が 現れる史料は、ヒエロニムス『普遍史』のX写本とコンスタンティノス7世『帝国の統治について』で、いずれも10世紀の成立であり、A-が無い Spalatoの形の方が500年ほど早く出現している。この状況はギリシア語由来説を不利にしており、無条件に賛成できなくしている。信頼性で言えば、 ギリシア語由来説もコンスタンティヌス7世の主張と大して変わらないレベルだと言えよう。A-の有無に関しては、ラテン語の前置詞ad「~へ、 ~へ向かって」が前置したad Spalatum「スパラトゥムへ」という言い回しが、膠着(単語同士がくっ付く事)によりAspalatumとなったか 11、或いは逆に原型がAspalatumで、異分析により語頭のA-が前置詞ad「~へ」と誤解され脱落したものとも考えられる。 結局のところ、スプリトの地名の語源・原義を特定するのは難しく、いずれの説も推論の域を出ないレベルである。尚、現在のクロアチア語形 Splitはラテン語形Spalatumの地格(英locative)26形Spalatīの語末母音īの影響によって生じた同化形Speletiに 由来すると見る説がある21
◆伊spalla「肩、背中」←後ラspatula(a語幹女性名詞)「広くて平たいもの、小さなヤシの葉、箆」(仏épaule「肩」,オックespatla「肩」,カタルーニャespatlla「肩」, 西espalda「背中」,葡espádua「肩甲骨、肩」,シチリアspadda「肩」,フリウリspale「肩」,アルバニアshpatull「肩」,cf.英spatula「箆、スパチュラ」, ルーマニアspatulă「スパチュラ」)(-ulaは指小辞)←ラspatha「剣、スパタ」27(cf.スパドリーニ(Spadolini))。 「箆状のもの」から「箆の形に似た骨、肩甲骨」の意味となり、更に「肩」、或いは「背中」の意味となった。

◆ギaspálathos「ハリエニシダ」←?。語源不明28, 29。プレルヴィッツ(Prellwitz)は前半要素as-をPIE*od-「匂いを 嗅ぐ」(cogn.英deodorant「消臭の」)に遡らせ(cf.ギosmḗ「香り、匂い」(→英osmium「オスミウム」))、後半要素-palathosはサンスクリットpúradhiḥ 「エニシダ(?)」と関係付け、原義を「匂いの強いエニシダ」と見ている28
1 "Atti e memorie Accademia Nazionale Virgiliana di scienze lettere ed arti. vol.1-3"(1908)p.82
2 Rapelli(2007)p.652
3 Johannes Kramer "Etymologisches Wörterbuch des Dolomitenladinischen. vol.6 (S)"(1995)p.332
4 Gaetano Leonello Patuzzi, Giorgio Bolognini, Alessandro Bolognini "Piccolo dizionario del dialetto moderno della città di Verona."(1967)p.221
5 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3011182/
6 http://www.sokuwan.jp/QandA.html
7 Franco Scarmoncin "I documenti dell'archivio capitolare di Vicenza (1083-1259)."(1999)p.141
8 Academia Scientiarum et Artium Slavorum Meridionalium "Monumenta spectantia historiam slavorum meridionalium. vol.46"(1951)p.119
9 Giovanni Lucio "De regno Dalmatiae et Croatiae. vol.6"(1666)p.378
10 Eusebius Sophronius HieronymusによるEusebius Pamphiliの『普遍史(Chronicon)』のラテン語訳:Romanorum, 273 Olympias 7-10 (http://www.tertullian.org/fathers/jerome_chronicle_06_latin_part2.htm)
11 http://www.academia.edu/7251159/Diocletian_s_villa_in_Late_Antique_and_Early_Medieval_Historiography_A_Reconsideration
12 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/50/TabulaPeutingeriana.jpg
13 "A collection of modern and contemporary voyages & travels."(1805)p.85
14 Joseph Schnetz、Marianne Zumschlinge "Itineraria romana. vol.2: Ravennatis Anonymi Cosmographia et Guidonis Geographica."(1990) p.55("Ravennatis Anonymi Cosmographia."(700年頃)IV 14-16, 18相当部分)
15 M. Pinder, G. Parthey "Ravennatis Anonymi Cosmographia et Guidonis Geographica."(1860)p.209("Ravennatis Anonymi Cosmographia."(700年頃)IV 16, 8相当部分)
16 ibid. p.380("Ravennatis Anonymi Cosmographia."(700年頃)V 14, 9相当部分)
17 ibid. p.542("Guidonis Geographica."115, 11相当部分)。Guidonis Geographicaの成立年が確認できなかった。著者のGuidoなる 人物はラヴェンナ(Ravenna)の人のようだ。
18 Paolo Paruta "Degl'istorici delle cose veneziane."(1718)p.85
19 "Istorici Delle Cose Veneziane: Che Comprende Le Istorie Veneziane. vol.1"(1718)p.329
20 http://www.perseus.tufts.edu/hopper/morph?l=a)spa%2Flaqos&la=greek&can=a)spa%2Flaqos0
21 Ana KODRIĆ, Marina MARASOVIĆ-ALUJEVIĆ "TOPONIMI ROMANSKOGA PORIJEKLA NA SPLITSKOM POLUOTOKU."(2008)p.93f. (hrcak.srce.hr/file/122873)
22 http://en.wikipedia.org/wiki/Split,_Croatia
23 http://it.wikipedia.org/wiki/Spalato
24 https://archive.org/stream/earlyhistoryofsl00consrich#page/n11/mode/2up
25 https://archive.org/stream/earlyhistoryofsl00consrich#page/10/mode/2up
26 所格とも訳される。ラテン語は一般的に主格、奪格、与格、対格、呼格の5格体制をとっているが、地名や場所を表す一部の 一般名詞に地格を持つ。単数地格の指標は-ī(或いは-e)。
27 http://en.wiktionary.org/wiki/spatula
28 Boisacq(1916)p.89
29 Chantraine(1968)p.126

更新履歴:
2015年2月15日  初稿アップ
PIE語根①Spa-l-l-ett-i: 1.*spē-²「長くて平らな木片」; 2.*-dh- 接尾辞; 3.*-lo-指小接尾辞; 4.語源不明; 5.*-i 強意・現在・複数を表す語尾

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