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Sótnikov/Sótnikova ソトニコフ/ソトニコワ(露)
概要
露sótnik「(古代ルーシの)百人隊長」に由来する渾名Sotnikに遡る。
詳細
Ilejko Semënov syn Mytovcova Sotnikov (Илейко Семенов сын Мытовцова Сотников)(1493年ヴォログダ州)1
Volodimer Sotnikov syn Tolmačov (Володимер Сотников сын Толмачов)(1596年Moskvá(?))2
Vasilej Sidorov syn Sotnikov (Василей Сидоров сын Сотников)(1615/1616年Lívny(オリョール州))3
Onofrej Osilov syn Sotnikov (Онофрей Осилов сын Сотников)(1615/1616年Lívny)4
Trofim Frolov syn Sotnikov (Трофим Фролов сын Сотников)(1615/1616年Lívny)4

職業性。ロシアのフィギュアスケート選手アデリナ・ドミトリエヴナ・ソトニコワ(アディリーナ・ドミートリイヴナ・ソートニカヴァ)(Adelína Dmítrijevna Sótnikova(Адели́на Дми́триевна Со́тникова、英表記Adelina Dmitriyevna Sotnikova):1996.7.1 Moskvá~)の姓。 露sótnik(со́тник)「(古代ルーシの、又は16~17世紀ロシア国家の銃士軍の)百人隊長、コサック部隊の指揮官」に由来する渾名Sotnikに遡る。古代ルーシの 軍隊やコサックの歩兵は百人隊に分けられており、百人隊長が指揮した。ノヴゴロドやその近郊の住民は生業によって百人隊が分けられており、部隊は 例えば「客用百人隊(сотня гостиная)」「ラシャ作り百人隊(сотня суконная)」等と名付けられていた。

16世紀の古文書にSotnikが個人名として用いられている例がある。
Sotnik Andreev (Сотник Андреев)(1597年Moskvá:監視人)5
Sotnik Ignatĭev (Сотник Игнатьев)(1598年Moskvá:商人)5
ガンジナによれば、姓や父称としてのSotnikovは旧ヴォログダ郡の北東や南西で15~17世紀に法的証書に記録があるそうだ5
[Fedosyuk(2004)p.187,Tupikov(2005)p.394,Ganzhina(2001)p.449,Superanskaja et Suslova(1981)p.87, Vedina(2008)p.282,Gruško et Medvedev(2000)p.384]
◆露sótnik←古教会スラヴsŭtĭnikŭ(o語幹男性名詞)「百人隊長」(ギhekatontárkhēs「百人隊長」の翻訳借用)←スラヴ*sŭto(o語幹中性名詞)「百」 (露sto「百」(←古露sŭto),ウクライナ,ベラルーシ,ブルガリアsto「百」,セルボ=クロアティアstô「百」,スロヴェニア,スロヴァキアsto「百」, ポーランドsto,stu「百」,高地・低地ソルブsto「百」,古教会スラヴsŭto「百」)←(?)未知のsatǝm語*sũta-「百」(ルーマニアsută「百」)←*sunta-,*sunto- ←PIE*km̥tóm「百」6, 7

古教会スラヴsŭtĭnikŭから露sótnikへの過程での第一音節がoで現れるのは不規則。本来なら*stnikになると思うが、子音が 連続する不安定な形の為、スラヴ諸語で「百」を意味するstoの母音oに影響を受けて同化したものかもしれない(私、マルピコスの考え)。又、スラヴ*sŭto「百」 自体が異常な形で、PIE*km̥tóm「百」からは正則的にはスラヴ*sętoに至り、現代ロシア語では規則的に*sjatoという形に発達していた筈である。 成節ソナント(母音的機能を果たし、音節核を形成する子音)のm̥はスラヴ祖語では鼻母音のęに至ったからだ。実際、PIE*km̥tóm「百」の語源である PIE*dékm̥t「十」(ギdéka,ラdecem,ゴートtaíhun,リトアニアdešimt,サンスクリットdáśa(いずれも正則的な形))からはスラヴ*desęto「十」(露désjat', ポーランドdziesięć,古教会スラヴdesętĭ)という正常な形で表れている。又、スラヴ語と近縁のバルト諸語の「百」では 成節のm̥が規則的に-im-に発達した形を示している(リトアニアšimtas「百」,ラトヴィアsimts「百」)。この不規則なスラヴ祖語の語根母音-u-の出現については、 様々な説明が試みられてきた。

最も有名なのが、かなり古い時期のイラン語からの借用ではないかという説である。これは、AndreasとWackernagelという学者が発表したイラン語の 母音組織に関する学説に基づくもので、イラン祖語形を*sutǝmとみる。類例はドニエプル河の*Dŭněprŭ(スラヴ祖語形):Δάναπρις(Dánapris)を 挙げている。然し、イラン語では成節のm̥は-a-に至るのが他の単語からも疑いのないことであり、アヴェスタsata「百」,ペルシアsad「百」や、イラン語からの 古い借用語であるフィンランドsata「百」,ハンガリーszáz「百」,クリミア=ゴートsada「百」などいずれも正則な形で表れている。そもそも、イラン語のaが スラヴ語でŭ(短いu)の形で借用された確実な例が他に見つかっていない(上記のドニエプル河のΔάναπριςがイラン語である証拠は無い)。aとŭでは 音も全く違うので、借用時に入れ替わったとも考えにくい。従って、この説は放棄せざるを得ない。

シャフマトフ(Šaxmatov)の説によると、スラヴ*dŭvěsŭtě「二百」(露dvésti「二百」)という急激な形の中で*sŭtoという形が生じたとする。「急激な (аллегровый)」と言うのが何を意味しているのか 今一良く分らないが、恐らくこの複合語が長すぎるため、早口で読まれて弱化した形の第二要素から、*sŭtoを抽出・逆成されたと言いたいのだと思う(露Wiktionaryに 短い文でちらっと紹介されているだけなので、詳しい解釈の流れが解らない)。

他にKickersが、ギhekatón「百」の形からスラヴ*sęsęto「百」を想定しているが、*sęsętoから*sŭtoに変化するのは音韻的に無理がある。尚、ギhekatónは PIE*km̥tóm「百」からは直に発達した形とは思えないので、Kickersは多分PIE*sem-「1」が語頭にくっついた派生形から生じていると考えているのだろう (ギリシア語の形に限って言えば、結構面白い興味深い説だと思う)。

その他に、未知のsatem系の印欧語(前寄りで発音されるPIE*kを*sに硬口蓋化させた印欧諸語)から借用されたとする説がある。これはルーマニアの言語学者 パリガ(Sorin Paliga(ブカレスト大学教授、専門はスラヴ語))が1988年に提出した解釈である。その借用元の言語としては、トラキア語の北部方言ではないかと 彼は仮定している。この言語が話されていた地域(現在のルーマニア北部)は、スラヴ人の故地の近くであった。この地には、トラキア人の最後の残存勢力である カルピ(ロイ)族(Carpi(loi))が住んでいた。イタリアの印欧語学者のボンファンテ(Giuliano Bonfante(ラテン語、ヒッタイト語専門))等によると、 トラキア語は現代アルバニア語の先祖だと見做されている。トラキア人はその言語と文化を4世紀までは保持していたと考えられている。また、ほぼ同地域に 居住していた印欧系のダキア人の言語に由来する可能性もある。

印欧祖語の成節のm̥はトラキア語とダキア語では-um-で現れる。まずトラキア語の例を挙げる:トラキアbrynchos「弦楽器、キタラ」(←PIE*bhrm̥kos←*bhrem-「唸る」(独 brummen「ぶんぶん唸る」))(後続の軟口蓋子音[kʰ]の影響でmがnに同化している)。 次にダキア語の例:ダキア*skrumb「灰、燃えカス」(>アルバニアshkrumb「灰」,ルーマニアscrum「灰、鉱滓(コウサイ)」)(←PIE*skrṃb(h)-(前置鼻音化形)←skreb-(音位転換)←*(s)kerb-「曲がる」) (cogn.独schrimpfen「縮む」)(但し、異説あり)。

上記の例から、トラキア語とダキア語の初期段階で、PIE*km̥tómから最初に*sumt-という形が出来、その後mがtの影響で同化によりnに転じ*sunt-が生じたという仮定は一応 可能だろう。この後、-un-が鼻母音化して-ũ-、そして鼻音声が消失して単純な-u-に転じたとみなせば一応問題は解消できるのだが、 いかんせん、この鼻母音化のプロセスを示す例が他に無く、憶測止まりである。現代アルバニア語のqind「百」はラテン語からの借用であり、参考にならない。 また、アルバニア語自体は印欧祖語の成節の*m̥はeで現れる為(例:PIE*wīktī「20」→アルバニアzet「20」)、候補からは除外される。結論だが、 スラヴ祖語の*sŭto「百」が印欧語であるのは語形と語義両面から見て間違いない。然し、どの様な経緯を経てスラヴ語にもたらされたのか、その解明は 困難を極めている6
1 http://arc.familyspace.ru/catalog/Sotnikov
2 http://www.vostlit.info/Texts/Dokumenty/Russ/XVI/1580-1600/Desjatnja_novikov/text.htm
3 M. A. Macuk (М. А. Мацук) "Город ливны и Ливенский уезд в 1615/16 году: территория, население, землевладение, освоение территории уезда, тяглоспособность. vol.2"(2001)p.132 *5:ibid. p.136
4 ibid. p.136
5 Ganzhina(2001)p.449
6 http://ru.wiktionary.org/wiki/%D1%81%D0%BE%D1%82%D0%BD%D0%B8%D0%BA
7 Černyx(1994)vol.2, p.204、Vasmer(1964~73)vol.3, p.761-762

執筆記録:
2014年4月25日  初稿アップ
PIE語根Sót-n-ik-ov:1.*km̥tóm「百」;2.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;3.*-ī-(<-ih₂-) 名詞形成接尾辞;4.*-wo- 形容詞形成接尾辞

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