概要
①キリストの弟子の一人聖へロディオン(ギHērōdíōn:原義「英雄の小息子」←ギhḗros「英雄」)の名に由来する。
②ギrhódon「薔薇」に由来する聖ロドス(St. Rodos)という修道士の名前から。
③ギRhódos「ロドス島」(ギrhódon「薔薇」、又はフェニキアerod「蛇」由来説等あり)に由来する聖ロドス(St. Rodos)という修道士の名前から。
詳細
Stepanko Radionov syn Poluška (Степанко Радионов сын Лопушка)(1598年)1
Jakuš Rodionov (Якуш Родионов)(1611年)2
Tomilo Mixajlov syn Radionov (Томило Михайлов сын Радионов)(1615/1616年Lívny(オリョール州))3
ロシアのフィギュアスケート選手エレーナ・イーゴレヴナ・ラジオノワ(イレーナ・イーガレヴナ・ラディ(ヂ)オーナヴァ)(Eléna Ígorevna Radiónova (Еле́на
И́горевна Радио́нова、英語表記Elena Igorevna Radionova):1999.1.6 Moskvá~)の姓。
①父称姓。イエス・キリストの弟子の一人である聖へロディオン(へーローディオーン)(英St. Herodion(Herodian, Rodion),露Irodión(Иродио́н),ギHērōdíōn,
Hērōdianós, Rodíōn(Ἡρωδίων, Ἡρωδιανός, Ῥοδίων))4の名に由来する。この頭音消失形のギRodíōnが教会スラヴ語を経由してロシア語に男名として借用されたものが始まりで、
後にアクセントの無い第一音節のoが弱化して中舌化してaとなるロシア語内の音韻変化(アーカニェ)を経た形から生じている。
へロディオンという人名は、ローマ共和政末期から帝政初期にかけてパレスティナを支配し、キリストの誕生時に救世主の出現を恐れて幼児を
大量虐殺したと新約聖書に記されているヘロデ大王(英Herod the Great、ギHērṓdēs(Ἡρῴδης):紀元前73年頃~紀元前4年)の名の指称形である。ヘロデ王の名はギリシア語に由来しており、
ギhḗros「英雄、半神半人」に父称男性名詞形成接尾辞-ídēs(←?。語源不明)が接続して形成されており、「英雄の息子」を意味している。その指小形である
へロディオンは、「英雄の息子ちゃん、英雄の小息子」といった意味に訳せるだろう。従って、ラジオノワ選手の姓と「英雄」のヒーロー(英hero)は語源上
関係がある事になる。
ユダヤ国家(ヘロデ朝)を統治したユダヤ人のヘロデ王が何故ギリシア語の名を名乗っているのかというと、その出身国家であるハスモン朝(紀元前140~
紀元前37:ヘロデ朝と殆ど同じ地域を治めた)がギリシア文化(ヘレニズム)に傾倒したからであった。ハスモン朝初期の王名はヘブライ語であったが、
6代目のアリストブロス(Aristobulus)からギリシア語名に変わっている。
聖へロディオンという人物は我々日本人には馴染みが無い。私が調べた限りでは新約聖書の正典では記載が無いようである。聖書外典の『ローマ人への手紙
(ローマの信徒への手紙)』(英Epistle to the Romans)の最終章に、聖パウロが挨拶を送った21人の仲間の一人として挙げられているだけである(16:11)。
それによれば、パウロ自身が彼の事を自分の親類と語っており、その為パウロと同じく彼もタルソス(英Tarsos:ローマ帝国キリキア属州の州都で、現トルコ
南部メルスィン県タルスス(Tarsus))の出身とされている。彼の一生については次に挙げるような話が伝わっているが、いずれも出典が確認出来ず、
恐らく中世の間に新たに徐々に付け加えられていった伝説だろう。
伝承によれば、へロディオンは始めパウロの親族であったことから、彼につき従って布教の旅をした。後、ペトロとパウロによってパトラ(英Patras:現ギリシア中部
アハイア県の県都)の司教の任に充てられた(資料によっては、パトラでなくNeopatras、Neoparthia、Tarsusの司教とするものもあるらしい)。彼は熱心に
この地の異教徒やユダヤ人に神の言葉を説き、キリスト教に改宗させていったが、これが偶像崇拝者やユダヤ人の怒りに触れ、彼等から棒で殴られたり、
投石に遭うなどの暴行を受け、最後にはその一人からナイフで刺されて倒れこんだ。暴徒たちが去った後、神の力により傷一つ無く復活した。この後、
再びパウロの同行者として何年かを共にしたが、ローマに渡った時、ペトロが磔にされたのと同時に、皇帝ネロの命により斬首されたという(同時に
同僚の聖オリンポスも斬首された)5。
このパトラにおける布教と迫害、及びローマでの斬首が彼の事跡として知られるものでは唯一らしい。後者のエピソードは、ペトロが磔にされたという
記事の初出と考えられる正典外外伝の『ペトロ行伝』(英The Acts of Petro)には見えず、そもそもへロディオンの名前すら当文献中一度も出てこない。
1000年頃編纂のビザンティンの『バシレイオス2世のカレンダー』(英Menologion of Basil Ⅱ)では、へロディオン達が斬首されているシーンが
絵に描かれており、この頃までには少なくとも彼が斬首によって殉教したという伝説が成立していたと考えられる。
彼は結局同時に打ち首となった聖オリンポスと共に、七十門徒(シチジュウモント(英Seventy Disciples):十二使徒以外のキリストの直弟子で、二人一組になって
布教するようキリストから命ぜられた70人とされる)の一人として数えられた。
この様なマイナーで大したエピソードも無い人物であった為、彼の名は中世ロシアでも滅多に使われなかった。使ったのは大抵聖職者で、このことから
当時この名はエリート階層のものという印象が付いていたようである。だが後代になって、平民の間でも用いられるようになった。尚、アーカニェを
反映していない語源的綴りのRodiónv(a)という姓も現存している(但し、発音はRadiónov(a)と同じ)。
[Vedina(2008)p.377f., http://www.ufolog.ru/names/]
以下に挙げる②と③説は、ロドス(Rodos)というギリシア人男名に由来するとする説による。この男名に指称辞-iōnが付いて生じたのが、ギリシア人
男名Rodíōnとする。Rodosの名を持つキリスト教関係者としては、遠く離れた小島で一人で生活した聖ロドスという修道士がいる。この人物は、その死後に
記録から知られる様になった。彼は人々が俗世の快楽に耽り、霊魂に対する配慮を欠く罪を償おうとしていたらしいが、詳しい事は不明6。正教会における
祝日は1月17日。男名Rodosの語源として、以下の二説が挙げられている。
②ギrhódon(ῥόδον)「薔薇」(英rose等は、その後裔)に由来する。rhódon「薔薇」はアイオリア方言ではwródon(ϝρόδον)といい、いずれも古ペルシア*wṛda-「花」
(アヴェスタvarǝδa-「バラ」,ソグドward,パルティアwʾr,ペルシアgol「花、≪文語≫バラ」)の
借用である。以前は非印欧語起源と見られていたが、最近古英word「イバラの灌木」,ラrubus「イバラ」,アルバニアhurdhe「ツタ」と共に
PIE*wr̥dhos「野バラの一種(sweetbriar)」を立てて遡らせる説が出ている7。
[Vedina(2008)p.377f., http://www.ufolog.ru/names/]
③ギRhódos「ロドス島」に由来する。即ち、「ロドス島民」を意味する名。ロドス島の名前の由来は諸説あるが、一番有名なのは上記のギrhódon「薔薇」に
因むというもの。ギrhoía「ザクロ」に由来すると見る説もある。又、フェニキアerod「蛇」8と関係があり、ギリシア以前の土着語に
遡るとする解釈がある。恐らく、古代この島に蛇がよく見られたのだろうとされる。ロドス島の古い数個ある別名の一つにオピウサ(Ophiusa)
9, 10というのがあり、これはギóphis「蛇」に由来する名であると考えられので、この説はそれなりに信憑性はあると言える。
[http://www.ufolog.ru/names/]
◆ギhḗros「英雄、半神半人」←PIE*ser-ōs-(+接尾辞)←*ser-「守る」(ラservare「保つ、保持する」,リトアニアsárgas「護衛」,アヴェスタharǝtar-「守護者、護衛」)
11。PIE*ser-ōs-はワトキンズ(Calvert Watkins)によるが、その接尾辞-ōs-の機能は調べてみたが良く解らなかった。
1 Kjuršunova(2010)p.314
2 "Писцовые и переписные книги Старой Руссы конца XV – XVII вв."(2013)p.71
3 M. A. Macuk (М. А. Мацук) "Город ливны и Ливенский уезд в 1615/16 году: территория,
население, землевладение, освоение территории уезда, тяглоспособность. vol.2"(2001)p.131
4 http://en.wikipedia.org/wiki/Herodion_of_Patras、http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%98%D1%80%D0%BE%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D0%BD_(%D0%B0%D0%BF%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%BB_%D0%BE%D1%82_70)
5 http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%98%D1%80%D0%BE%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D0%BD_(%D0%B0%D0%BF%D0%BE%D1%81%D1%82%D0%BE%D0%BB_%D0%BE%D1%82_70)
6 http://www.ufolog.ru/names/order/%D0%A0%D0%B0%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D0%BD%D0%BE%D0%B2、http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A0%D0%BE%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D0%BD
この二つの資料の記事内容は殆ど全く同じである。どこの島に住んでたとか、いつの時代の人とか、個人を特定できる情報が何も書かれていない。
後者の露Wikipediaにも出典が明示されていない。本当に実在の人物なのだろうか…。
7 http://en.wiktionary.org/wiki/rose
8 Demetrios Protopsaltis "An Encyclopedic Chronology of Greece and Its History."(2012)p.252
9 http://classic.net.bible.org/dictionary.php?word=Rhodes
10 Joaquín Lorenzo Villanueva "Phœnician Ireland."(1833)p.71
11 英語語源辞典p.649、Pokorny(1959)p.910、Watkins(2000)p.76
執筆記録:
2014年4月25日 初稿アップ
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