チリの軍人、政治家アウグスト・ホセ・ラモン・ピノチェト・ウガルテ(Augusto José Ramón Pinochet Ugarte:1915.11.25
Valparaíso(チリ、バルパライソ州)~2006.12.10 Santiago)の姓。政治家アウグストの父はアウグスト・アレハンドロ・ピノチェト・ベラ
(Augusto Alejandro Pinochet Vera)といい、1891年チャンコ(Chanco:チリ中部マウレ州カウケネス県)の出身
1(西Wikipediaではバルパライソ
出身とする
2)。没年・没地は不詳。アウグスト・アレハンドロの父はマヌエル(Manuel T. Pinochet Letelier:生没年不詳)といい、
1819~1879年の間の生存が確認されている
3。マヌエルの父はホセ(José Manuel Pinochet Urrutia)といい、1807年出生
4。
ホセの父はギレルモ(Guillelmo Pinochet y Bravo de Villalba:1762~1823)と言い
5、ギレルモの父はギレルモ・アンセルモ
(Guillermo Anselmo Pinochet de la Vega:1728~1772)といい
6、ギレルモ・アンセルモの父はギヨーム・ド・ピノシェ(Guillaume de Pinochet)
と言う
7。
ギヨームは1695年フランス北西部ブルターニュ半島の町
サン=マロ(Saint-Malo:イル=エ=ヴィレーヌ県)に生まれ、
1742年にチリのカウケネスで没した。1695~1720年に数百人のブルトン人がサン=マロの船に乗ってチリやペルーに移住したことが有り、
ギヨームもその一人であった。更に、19世紀には数千人のブルトン人が南アメリカに移住している
8。政治家アウグスト・ピノチェトの
自伝によると、ギヨームは18世紀に商人としてチリに渡ったという
9。また、ブランパン(Jean-Pierre Blancpain)によれば、ギヨームは
1696年以前にコート=ダルモール県南西部の村
グワレク(Gouarec)の
生まれで、チリに渡ったのは1708年、ないし1709年のことだとしている
10。なんでも、この時期にブルターニュで飢饉があり、独身者のギヨームに
とっては、故郷に戻ることは躊躇われた様である(この時期にブルターニュ人が多く南米に渡ったのも、飢饉の所為なのかもしれない)。その後、
1718年チリでコンキスタドールのアメリカ大陸侵略時代に遡る家柄の出のウルスラ(Ursula de la Vega Montera)という女性と結婚した。
Pinochetは今でもフランスに残っている苗字で、コート=ダルモール県やギヨームの生誕地であるイル=エ=ヴィレーヌ県
といったブルターニュ半島に分布が集中している。フランス語ではピノシェと読む。同源異綴の仏姓にピニョシェ(
Pignochet)が有り、
やはりコート=ダルモール県に集住する珍しい姓である。語源はいくつか考えられるが、比較的信用できる二説を以下に挙げる。
Legier Pignochet(1541年Annemasse(オート=サヴォア県))
11
Jacques Pinochet(1586年Merdrignac(コート=ダルモール県))
12
Toussaint Pinochet(1671年Merdrignac)
13
①ニックネーム姓。仏pinoche「松ぼっくり、松毬(マツカサ)」に指小辞の-etが付加して形成されたもので、「小さな松毬」を意味する。恐らく、「小柄な人」
とか「松毬の様な頭の人」を指して、「松ぼっくりちゃん」とでも呼んだ渾名が起源となったものであろう。トスティ(Jean Tosti)は「ペニス」の意味の
可能性も示唆している。仏pinoche「松毬」自体は仏pin「松」に指小辞-ocheが接続して派生した語である。フランス語における指小辞-ocheは、初期は
あまり生産的な形態素ではなかったらしく、古仏や中世フランス語に遡る派生語ではfiloche「(紐や絹で作られた)薄い大きな織物」(1374年filoicheの
語形で初出
14),pioche「鶴嘴」(1400年pioiche「掘る道具」の形で初出
15),brioche「ブリオッシュ
(菓子パンの一種)」(1404年brioches(複数形)の形で初出
16)等、数語が見られるのみである
17。
生産力のある接尾辞となったのは19世紀になってからのことであり、特に20世紀に俗語や方言で広く用いられるようになった
18。仏pinoche「松毬」に至っては、文献に現れるのが更に遅いらしく、古仏辞典や中世フランス語辞典には掲載されて
いない語である。但し、人名(姓)としては15世紀に用例が見られる。
Jean Pinoche(1451年Aigues-Mortes(仏南部、ガール県))
19
指小辞-ocheの祖形は古典ラテン語では知られていない接尾辞-occaに遡るとも目されているが、はっきりした起源は明らかでない
17。後代ではイタリア語の指小辞-occhio(←ラ-culus:cf.英homunculus,carbuncle)からの借用と混淆してしまった
ようである
18。童話の主人公のピノッキオ(Pinocchio)の語源にもなっている伊pinocchio「松毬」は、伊pino「松」と
伊-occhio(指小辞)から形成された語である。ピノッキオはイタリア人の苗字としても実在し、ロンバルディーア州やピエモンテ州、シチリア州等に
多く見られる。伊pinocchio「松毬」の初出が何時かは判らないが、この語がフランス語に借用され仏pinoche「松毬」になった可能性もある。
一方、仏語ワロン方言では形態的に対応するpinaguè「子供」
20,pinoket「萎(シナ)びた、尊大な、横柄な」
20という語があり、こういった語とも何らかの関係が有る苗字かもしれない。又、フランス南西部ジロンド県ランゴン
(Langon)郡ル・シュド=ジロンド(Le Sud-Gironde)小郡の村ヴィランドロー(Villandraut)の小地名
ピヌシュエ(Pinouchet)に因む場合も指摘されているが
21、本地名の
古形が確かめられず、地名の語源は明らかでない。
[Morlet(1997)p.788, http://jeantosti.com/noms/p5.htm]
Jakemes Espinoke(1276年Tournai(ベルギー、ワロン地域エノー州))
22
Jehennet Espinoke(1278年Tournai)
23
Jakemon Espinoke(1279年Tournai)
24
Gilijs Pinnoc(1356年Asse(ベルギー、フランデレン地域フラームス=ブラバント州))
25
Jehan Espinoque(1412年、仏南西部(?))
26
Philippe Espinocke(1418年Bruxelles:聖堂参事会長)
27
②職業姓、ニックネーム姓。古仏e(s)pinoche, (e)spinache, espinage, espinoce, espinoiche「ホウレンソウ」
28の
指小形に由来する。「ホウレンソウ農家・商人」「ホウレンソウが好物の人」等を意味した渾名に因むものだろう。本語は英spinach「ホウレンソウ」の
語源となった語だが、一般名詞としては既にフランスでは13世紀中葉に用例が有るとの事で、また1388~1389年の文献資料にespinoiches(複数形)の
形で使用例が有る
28。上掲の通り苗字としてもかなり早い時期から出現している。又、先述の仏≪ワロン方言≫pinoket
「萎(シナ)びた、尊大な、横柄な」は、この「ホウレンソウ」の語に因むものかもしれない。
地名としてもフランス中北西部ロワール=エ=シェール県ヴァンドーム(Vendôme)郡モントワール=シュル=ル・ロワール(Montoire-sur-le-Loir)小郡
クリュシュレ(Crucheray)の小地名に
ピノシュ(Pinoche(s))がある。比較的古くから確認されている
地名で、資料によると1341年には記録が有る(但し、綴り不明)
29。また、年代は不明だが
Pinochiæ
30、
Spinocbiæ30(ママ:恐らく*Spinochiæの誤植(マルピコス註))の
古い綴りが確認されている。この二つの綴りはラテン語に模した形態を取っているので、1341年より更に遡る記録であろう。
祖形はS-を語頭に持つ形で、これが後に脱落したものとみられる。原義は「ホウレンソウの生える地」の意だろう。
モルレ女史の仏姓語源辞典によると、Pinochet姓の項で仏pinoche「松毬」は方言によっては別語源の仏épinoche「トビウオ」(←ラspīna「棘(トゲ)」:
細い体に因んだ命名)としばしば混同されるとしている。彼女は「トビウオ」の語義で説明を試みている訳だが、épinoche「トビウオ」の出現は遅い
ようなので、取りあえずは別語源(詳しくは後述)の古仏e(s)pinoche,(e)spinache「ホウレンソウ」由来説を採用しておく。
[Debrabandere(1993)]
◆仏pinoche「松毬」←pin「松」+-oche(指小辞:←(?)伊-icchio)←ラpīnus(o語幹女性名詞)「松(の森)、槍(原義「脂(ヤニ)の木」)」(オックpin,カタルーニャpi,西pino,葡pinho,
伊pino,フリウリ,ルーマニアpin)←PIE*pī-no-(ゼロ階梯+名詞形成接尾辞)←*peiə-「太った、膨らむ」(ギpítus「松」,ラpix「タール」(>英pitch「ピッチ、松脂」),中アイルランドīth「獣脂」,リトアニアpìkis「タール」,古教会スラヴpĭcŭlŭ「タール」,サンスクリットpītu-dāru「唐檜(トウヒ)の一種
(原義「脂の木」)」,アルバニアpishë「樅、唐檜、松の松明(タイマツ)」)
31。
ウェールズ,ブルトンpin,バスクpinu,英pine「松」はラテン語からの借用。「(動物性の)脂」→「(植物の)ヤニ」→「ヤニの出る植物、松」の転義。
松脂は松明の燃料に使われ、日本語の「松明(タイマツ)」も「焚き松」のイ音便に由来している。独Fichte「唐檜」は別語源(←PIE*peuk-「刺す」)だが、
英fat「太った」とは語源場関係が有る。
◆古仏e(s)pinoche,(e)spinache「ホウレンソウ」(英spinach「ホウレンソウ」)←古西espinaca「ホウレンソウ」(中ラspinachia,spinac(h)ium,spinarchia「ホウレンソウ」,古プロヴァンス
espinarc「ホウレンソウ」,中高独spināt「ホウレンソウ」)←アンダルシア・アラビアispināj,isbināḵ「ホウレンソウ」←アラビアisbāˊnakh「ホウレンソウ」←ペルシアaspanākh,ispanākh「ホウレンソウ」
(クルド≪北部方言≫siping「バラモンジン」)←(?)sipand(سپند),ispand,aspand(اسپند)「野生のヘンルーダ」←中ペルシアspand←イラン祖語
*spanta-「神聖な」(アヴェスタspənta「神聖な」(cf.アヴェスタAməša Spəntaアムシャ・スプンタ(神の名)))←PIE*kwen-to-(+分詞・形容詞形成接尾辞)
(英housel「聖餐、聖体」,リトアニアšveñtas「聖なる」,古プロシアSwentegarben(地名),ポーランドświęty「聖なる」)
32, 33。
ヘンルーダは南欧原産のミカン科の常緑小低木の名前である。これが、ホウレンソウの名に転用されたのが何故なのかは良く分からない。
ヘンルーダの香りは山椒に似ているので香りによる命名でもなさそうだが、この説を見て「掻きチシャ」と「チシャノキ」の
名前の関係性を思い出してしまった。「聖なる」→「ヘンルーダ」の意味変化は、
邪眼を退ける為にヘンルーダの燻蒸が行われたからだと英Wikitonaryは説明している
33。ヘンルーダの葉は香りが強く、ローマでも魔除けに使われた。
余談になるが、ホロコーストで悪名高い絶滅収容所のあったアウシュヴィッツ(独Auschwitz,ポーランドOświęcim)の地名は古ポーランド語の人名Oświętaに由来するが、
この人名はポーランドświęty「聖なる」の派生語である。上掲説が正しいのなら、英spinach「ホウレンソウ」とアウシュヴィッツは同根という
事になる。神聖なという意味を含む地名がホロコーストの中心的舞台になってしまったのは、歴史的に見ても言語学的に見ても皮肉としか言いようがない。
1 http://www.geni.com/people/Augusto-Alejandro-Pinochet-Vera/6000000000055052238
2 http://es.wikipedia.org/wiki/Augusto_Pinochet
3 http://www.geni.com/people/Manuel-T-Pinochet-Letelier/6000000000055112134
4 http://www.geni.com/people/Jos%C3%A9-Manuel-Pinochet-Urrutia/6000000006829824283
5 http://www.geni.com/people/Guillermo-Pinochet-y-Bravo-de-Villalba/6000000006829835211
6 http://www.geni.com/people/Guillermo-Anselmo-Pinochet-de-la-Vega/6000000008582520008
7 http://www.geni.com/people/Guillaume-Pinochet/6000000002454729141
8 http://breizhparasiempre.jimdo.com/le-projet-les-bretons-d-am%C3%A9rique-du-sud/les-bretons-d-hier/
9 Augusto Pinochet Ugarte "A Journey Through Life. vol.1"(1991)p.19
10 Jean-Pierre Blancpain "Immigration et nationalisme au Chili : 1810-1925 : un pays à l'écoute de l'Europe."(2005)p.48
11 "Les archives de Genève: Inventaire des documents contenus dans les portefeuilles historiques."(1877)p.276
12 "La très ancienne coutume de Bretagne avec les Assises constitutions de Parlement et Ordonnances ducales."(1896)p.30
13 http://www.odile-halbert.com/Paroisse/breton/Gaborel.pdf
14 http://www.cnrtl.fr/definition/filoche
15 http://www.cnrtl.fr/definition/pioche
16 http://www.cnrtl.fr/definition/brioche
17 http://www.cnrtl.fr/definition/doche
18 http://fr.wiktionary.org/wiki/-oche#fr
19 Académie de Nîmes "Bulletin des séances de l'Académie de Nîmes."(1881)p.140
20 Charles Marie Joseph Grandgagnage、Auguste Scheler "Dictionnaire etymologique de la langue wallonne. vol.2"(1880)p.225
21 http://jeantosti.com/noms/p5.htm
22 "Romanische Forschungen: organ für romanische sprachen, volks- und mittellatein. vol.25"(1908)p.75
23 ibid. p.77
24 ibid. p.87
25 http://belgian-surnames-origin-meaning.skynetblogs.be/archives/2012/07/index-15.html
26 "Archives historiques de la Saintonge et de l'Aunis. vol.32"(1902)p.46
27 Gabriel Wymans "Inventaire analytique du chartier de la Trésorerie des comtes de Hainaut."(1985)p.292
28 Godefroy(1880-1895)vol.3 p.532
29 "Annales de Bretagne et des pays de l'ouest, Anjou, Maine, Touraine. vol.109"(2002)p.21
30 Charles Métais "Cartulaire de l'abbaye cardinale de la Trinité de Vendôme."(1897)p.328
31 英語語源辞典p.1069、Pokorny(1959)pp.793f.、Watkins(2000)p.62、Buck(1949)p.530
32 英語語源辞典p.1325、Pokorny(1959)p.630、Watkins(2000)p.45、Buck(1949)p.1476、Černych(1993)vol.2 p.149
33 http://en.wiktionary.org/wiki/%D8%B3%D9%BE%D9%86%D8%AF#Persian
更新履歴:
2015年5月7日 初稿アップ