地名姓。ノルウェーのサッカー選手マルティン・ウーデゴール(Martin Ødegaard:1998.12.17 Drammen(ブスケルー県)~)の姓。同源異綴の姓に
ウーデゴール(Ødegård)がある。2012年の国勢調査では、Ødegård姓は4423人(ノルウェー国内第88番目に多い姓)、Ødegaard姓は2396人(同、167位)が
確認される大姓である
1。他にも、Øygarden姓(同、804人、610位)、Øygard姓(同、465人、1200位)も同語源。ノルウェー各地に存するØdegård(en)、
Ødegaard(en)等の地名に因む(-enは後置定冠詞)。
地名はノルウェーødegård「廃止農場、放棄農場」
2, 3に由来する。中世末期に伝染病の大流行等、様々な理由から
放棄された農場を指した語で、特に1349~1350年に欧州で大流行した
ペストが原因のものを表した
2。
放棄農場の概念自体は古ノルド語期(1370年以前)に既に存在して
いたが、この用語の初出は恐らく1425年以降のことで、更に文献で常用されるようになるのは1450年頃からであった。1200年頃までは、
ノルウェーは村落の発達段階にあり、農場の放棄も散発的に生じていたに過ぎない。1340年代は、特にノルウェー西部と北部で
漁村以外で放棄農場が多発していた事が、最近の調査から判明している。それは重税と土壌栄養分の消耗による土地の不毛化によって、
農民が農地を手放したのが原因であった。だが、放棄農場が一番発生したのは、1349~1350年のペストの大流行以降のことで、この伝染病に
よる人口減少が原因と見られている。この時、放棄された農場のうち、恒久的にその状態にあったものだけが、ødegård、或いはauðn、eyðijǫrð
(いずれも「荒地」の意)と呼称された。中世に運営されていた約6万の農場のうち、恐らく3万6千~3万7千が放棄農場となった。
この広範囲に広がってしまった放棄農場は、16世紀前半に各地で各々の時期に順次再開墾が進められるまで放置され、
ほぼ全ての地域で再開拓が完了したのは1660年頃であった
4。
『ノルウェー農場名辞典』には、派生語も含めØdegård、或いはØdegaardという地名が171件掲載されており、非常に有り触れた地名となっている。
この為、出自も多岐に渡ると見られ、ノルウェーではよく見られる苗字である。古い記録でも姓として見つかるかと思って探したが、
全く見つからない。ノルウェーは苗字が固定化された時期が遅く、古くは専ら父称が姓の役割を果たしていた。地名が個人識別に用いられる
様になったのは比較的最近らしく、中世末期の史料では殆ど父称(姓)だけが用いられている。ødegårdの語自体の成立が遅いので、本語が
人名に用いられるようになったのは、かなり最近ではないかと思う。以下にノルウェーの古文書校訂本から、一般名詞としてのødegårdの
用例を見つけたので、該当箇所の写真を掲載する
5。6行の文章中に3回現れるødegårdの綴りが全て異なっている。
ここに現われている放棄農場は、ノルウェー南東部のヘードマルク県西部の自治体
リングスアケル(Ringsaker)に存在したもの。
◆ノルウェーødegård「廃止農場、放棄農場」←古ノルド*eyðigarðr「放棄農場」←eyði「荒廃、荒地」+garðr「垣根、農場」(←PIE*ghor-to-←*gher-
「摑む、囲む」)←ゲルマン*auþjam(a語幹中性名詞)「荒地、荒野」(古高独ōdī「荒野、荒地」:cf.ゴートauþida「荒野、荒地」,古ノルドauðn
「荒地」)←*auþ(j)az「不毛の、人の住まない」(古英īeþe,ȳþe,ēaþe「簡単な、円滑な、難しくない」(>英≪スコットランド方言≫eath「簡単な」),
古ザクセンôthi「楽な、苦労のいらない、簡単な」,古高独ōdi「空の、見捨てられた、不毛の、楽な」,古ノルドauðr「不毛の、見捨てられた、空の」,
ゴートauþeis,auþs「不毛の、子供の無い、荒涼とした、見捨てられた」)←PIE*aut-「空の、孤独な」(ギaútōs「無駄に」,中アイルランドūath「恐ろしい」,
アルバニアhut「無駄に、空に、良く」)
6。
ポコルニーは更にPIE*aut-はPIE*au-「~から(離れて)」(cogn.英avatar「権化、アバター」)の拡張形と見なしている。ここでは私の判断で、
前置詞に接尾辞を付加した拡張形が形容詞に成るのは不自然ではないか感じたので(同じような派生例が有れば考えを変えるかも)、
PIE*aut-「空の」に遡及を留めるWiktionary英語版の説に従った
6。PIE*aut-「空の」の印欧諸語の対応にアルバニア
vet「彼(等)自身の」,vetëm「たった一人の」を含ませる説が有るが
6、こちらは寧ろギautós「自身の」(cf.英automatic
「自動の」)(←PIE*au-「~から離れて、再び」+PIE*to-「あれ、それ」)と同源で、ポコルニーの語源説と軌を一つにすると思われる。
これら「不毛な、荒涼とした、簡単な」を意味するゲルマン語は、英easy「簡単な」,ease「容易」との語源的関連性が19世紀末から指摘されている
7。ease「容易」は古仏aise,eise「便利、自由に身動きできるだけの空間、好機」(伊àgio「気楽、好機」も同語源)の
借用だが、それ以前の語源に関しては定説が無く、諸説入り乱れている問題の多い語である。これらの説の中で、古仏aise,英easeのグループと
ゲルマン*auþ(j)az「不毛の」の後裔語のグループを結び付ける説があり、これに従来語源の明らかでなかったゴートazēts「簡単な、楽な」,azēti「簡単、
容易、楽しみ」,アイルランドadhais「容易」が加えれている(ブルトンe(a)z「簡単な」も加える意見が有るが、私は単純に古仏aiseの借用ではないかと
思う)
7, 8。この説の正否に関しては語形に隔たりが有り、何とも言えない。そもそも何故、ゲルマン*auþ(j)azに
「不毛な」と「簡単な」という、全く関係が無いように見える語義が並立しているのか謎である。19世紀の英国の語源学者、文献学者のウェジウッド
(Hensleigh Wedgwood)は、古英ēaþe「簡単な」,古ノルドaudr「富」,ラotium「余暇」,スコットランド=ゲールadh「繁栄」,adhais,athais「余暇、容易、繁栄」,
ブルトンéaz,ez「便利、容易」,ウェールズhawdd「簡単な」等を同源と見なしており
9、この見解だと別語源のゲルマン
*auðaz「財産、富;裕福な」(人名の英Edwardの第一要素Ed-や独Ottoの語源)との関連性の方が強いと思う。
これ等の語彙を見てみると、ゲルマン*auþ(j)az「不毛の」とゲルマン*auðaz「裕福な」という殆ど対義語の関係にある語が、語形の類似から、少なくとも
互いの意味に影響し合い、言語によっては混交したのではないかと、私の様な素人は邪推してしまうが、どうなんだろうか。
1 http://no.wikipedia.org/wiki/Liste_over_norske_etternavn_p%C3%A5_%C3%98
2 "Årbok for Romerike Historielag. vol.1"(1953)sp.30f.
3 http://www.nob-ordbok.uio.no/perl/ordbok.cgi?OPP=%C3%B8deg%C3%A5rd&begge=+&ordbok=begge
4 https://snl.no/%C3%B8deg%C3%A5rd
5 "Diplomatarium Norvegicum. vol.3"(1855)p.711
6 http://en.wiktionary.org/wiki/hut#Albanian、http://en.wiktionary.org/wiki/eath
7 Auguste Brachet "An Etymological Dictionary of the French Language."(1882)p.21
8 http://en.wiktionary.org/wiki/ease
9 Hensleigh Wedgwood "Dictionary of English Etymology. vol.2"(1862)p.3
更新履歴:
2015年4月5日 初稿アップ