概要
①古伊mosolin(o)「モスリン」に由来し、「モスリン商人、織物業者、織工」の意。
②男名ジャーコモ(Giàcomo)の古い愛称形ジャコムッソ(Giacomusso)の頭音消失形ムッソ(Musso)に、二重指称辞-linoが接続して生じた男名に由来。
③伊《フリウリ方言》mussulin「堆肥、肥溜、ごみ」に由来。
④中ラmusolinus「牛の毛の色(恐らく、明るい灰色)」に由来。
⑤「ブヨ、蚊」の意の渾名起源という説あり(伊mosca「蠅」と関連?)。
⑥ゲルマン語で「Muezil(人名:「心ちゃん」の意)の地所」を意味するロンバルディーア州の地名Mussolengoに由来。
⑦Muntiusという人名に由来する説あり。
詳細
Ugolinus Mussolini(1218年Venezia(ヴェーネト州))1
Ugolinus de Musolinis(1293年Bologna(エミリア=ロマーニャ州))2
Jacobinus Mussolinus Cives Bononienses(1269年Bologna)3
Dominus Petrus Mussolinus de Arçelata(1299年Bologna)4
Nicholai de Musolinis(1337年Bologna)5
Alexander Mussolinus bononiensis(1563年Bologna)6
エミリア=ロマーニャ州、ロンバルディーア州、ヴェネト州、カンパーニャ州に多い。複数の語源説あり。特に①と②説が妥当。政治家ベニート・ムッソリーニの
場合は、他の示唆から①起源である可能性が高い。
①職業姓。古伊mosolin(o)「モスリン」7(>伊mussolina)に由来し、「モスリン商人、織物業者、織工」を表す姓。モスリンとは、木綿の
単糸で平織りした薄地の織物で、婦人服やカーテンに用いられた。元々、インドのベンガル地方で生み出されたもので、交易上、現在のイラク北部の都市モスル
(Mosul)を経由して欧州にもたらされた為、この都市の名に因んで名付けられた(語末の-in-は形容詞形成接尾辞)。欧州でも製造されるようになったのは17世紀から。
モスリン自体の最初期の記録は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』の最初の方に見える。版によって書かれている章が異なるが、"The most noble and famous travels
of Marco Polo"(1937)という英語版の第9章では、次のようにある。
"Mosull is a great Kingdome, in the which dwell many generations of people called arabies, ...There is made cloth of gold, and of silke,
which be called by the name of the Kingdome Mosulinus, ..."8
「モスルはアラビア人の全ての年齢層が住む大王国である。.....[中略]この王国の名に因んでMosulinusと呼ばれる金と絹で作られた織物が存在する。」
1309年のイタリア語版には次のようにある。
"E tutti li panni di seta e d'oro che si chiamano mosolin, si fanno quivi"7
以降、伊mussolina「モスリン」はmosolino(1345年)、musolini(1445年:複数形)、mucelino(1537年)、mussolino(1674年)、mussolini(1699年:複数形)といった語形で
文献に現れている7。
モスルの地名は、古代ギリシアの著述家・哲学者のクセノポーン(Xenophṓn:紀元前427年?-紀元前355年?)の著作『アナバシス(Anábasis)』III.iv.10に
Méspila(Μέσπιλα)とあるのが文献上の初出とされている9。『アナバシス』はクセノポーンがアケメネス朝ペルシアの王子小キュロス(英Cyrus the Younger:
?~紀元前401年)が兄に反乱を起こし、その麾下のギリシア人傭兵として参戦、敗退しペルガモンにまで撤退するその道中を描いた文献である。
その撤退途上で、クセノポーン等ギリシア人傭兵たちが住民であるメディア人の大半を殺害・略奪した都市がメスピラであった。
然し、現在の語形Mosul(アラビア語形al-Mawṣil(الموصل))はアラビア語のwaṣala「繋げる(relier)」(<語根:西セムw-ṣ-l「繋げる」10)に由来しており、これは都市の真ん中を流れるチグリス川に
ボートを繋げて橋を作ったことに因んだものとされている11。この動詞の受動分詞形mawṣulに由来か12。『アナバシス』のメスピラという地名が語源とは
考えにくい。
ファシズムの首領ベニート・ムッソリーニの姓もこの織物の名に因んでいるようだ。ニコラス・ファレルが著した伝記『ムッソリーニ』によると、
1600年以降プレダッピオ周辺に数多くのムッソリーニ姓の人々が暮らしていた。1922年にベニートが権力の座に着くと、著述家たちが彼の偉大な
先祖を見つけ出す為、家系調査をしたが何の成果もなく、たたボローニャ市の文書にモスリンを扱う商人だったムッソリーニ家について
たびたび言及があるのを発見しただけであったという(ベニートもボローニャと同じエミーリャ=ロマーニャ州のDoviaの出身)。ベニート自身は第二の自伝で
、自分をこの商人の子孫だと主張しており、この家系は
18世紀にロンドンで暮らした作曲家もおり、自分の音楽好きはその人物の影響もあるのだろうと綴っている。又、ベニートの父アレッサンドロが生まれた
モンテマッジョーレの農家に、1935年に掲げられた額に「1600~1900年、このコッリーナと呼ばれた農家で、ムッソリーニ家の農民であった世代が
暮らして働いていた」と書いてある13。
[Francipane(2005)p.547,Fucilla(1949)p.187,Rossoni(2000)mus項,Rapelli(2007)p.492]
②父称姓。男名ジャーコモ(Giàcomo)の古い愛称形ジャコムッソ(Giacomusso)の頭音消失形ムッソ(Musso)に、二重指称辞-linoが接続して生じた男名
ムッソリーノ(Mussolino)に由来する。この男名を持つ有名人に、ルネッサンス期のイタリアのミラノ一帯を支配する事になるスフォルツァ(Sforza)家の
始祖ムツィオ・アッテンドーロ・スフォルツァ(Muzio Attendolo Sforza:1369~1424)がいる。彼の本名はヤーコポ・アッテンドーロ(Jacopo Attendolo)といい、
ファーストネームは、その愛称形からジャコムッソ(Giacomusso)ともムッツォ(Muzzo)ともムツィオ(Muzio)とも呼ばれた14。
イタリア人男名ジャーコモは、後ラJacomus15の後裔。後ラJacomus(第二音節の母音oが短母音であることに注意)自体は、後ラ
Jacōbus「ヤコブ」の口語、或は方言における異形である(英語では前者からJames、後者からJacobが生じている)。
更にギリシア語のIákōbosを経由してヘブライ語のYaʿaqṓbh「ヤコブ」に遡る。ヤコブは旧約聖書の創世記25に登場する人物の名で、イサク(英Isaac)の次男、エサウ
(英Esau)とは双子の兄弟。人名はヘブライ‛âqêb「踵(カカト)」に由来し、「踵を摑む者、策略によって奪う者(supplanter)」を意味するという。これは、創世記25章の
ヤコブが双子の兄エサウの踵を摑んで誕生し、後にエサウの長子権を策謀によって奪う故事に基づく。但し、別の語源説もあり複雑なので別の機会に詳細を
述べたい。
イタリア語の人名に見られる指称辞-zio、-zzo、-ssoはいずれも同源で(方言の差異によるヴァリアント)、ラテン語の形容詞形成接尾辞-icius、-iceus
に遡る(つまり、Mussoliniという名は三つの指称辞が接続して形成されている)。
[Fucilla(1949)p.42,梅田(2000)p.43]
③居住地姓。伊《フリウリ方言》mussulin「堆肥、肥溜(letamaio, concimaia)、ごみ(immondizie)」16(14世紀から用例有)に由来し、
その様な場所の近くの住人に与えられた姓の可能性もある(マルピコス説)。mussulin「堆肥」は独≪アレマン方言≫motz「ごみ、泥、ぬかるみ(Schmutz, Schlamm)」
(Duden(2000)p.465)と関係のある語かもしれない。
④ニックネーム姓。中ラmusolinus「牛の毛の色(恐らく、明るい灰色)(del colore del pelame bovino (forse grigio chiaro))」7に
由来する(マルピコス説)。その様な色の服をいつも来ていた人物の渾名に由来している可能性がある。語源は①の「モスリン」と同源。
⑤ニックネーム姓。Fucillaの伊姓語源辞典の第13章「昆虫の名」項に、「ブヨ、蚊」の意を持つ姓としてヴェローナのMussolini姓を挙げている。この説は、
辻原康夫『人名の世界史』にも採用されているが、ラmusca「蠅」を語源とする伊mosca「蠅」と関連させた説と思われる。然し、伊moscaは方言形も含めいずれも
後半の子音クラスターが[sk]で現れており17、重子音の[ss]ではない。音対応の面から疑わしく、支持しがたい。Fucillaも
辻原も語源となった単語を挙げず姓を「蠅」の意味としか書いておらず、根拠が明らかでない。-ss-をとる方言形があるのかもしれないが、確認が取れない。
[Fucilla(1949)p.149,辻原(2005)p.75]
⑥地名姓。Fucilla本にイタリアの言語学者でミラノ方言の専門家であるケルビーニ(Francesco Cherubini)が指摘する説で、ロンバルディーア等イタリア北部によく見られる
ゲルマン語起源の地名接尾辞-engo,-ingoが-iniの形に転訛する事を挙げ、Mussolini姓はムッソレンゴ(Mussolengo)という地名に由来するケースを挙げる。Mussolengoは
ロンバルディーア州南西部パヴィーア(Pavia)県のコムーネ(地方自治体の市町村に相当)、モンテカルヴォ・ヴェルスィッジャ(Montecalvo Versiggia)内の
小地名。地名の古形は以下の通り。
Mucelengo(1692年)18
Muselengo/Musolengo/Muzolengo(18世紀初頭)18
地名はゲルマン語の所属を表す接尾辞-ingで形成されている点から、古高独の男子名Muezil19に由来していると考えられる(マルピコス説)。Muezilは古高独muot
「精神、勇気、心、魂、感情、意志」20(>独Mut「勇気」)を第一要素に持つ男名、例えばMuotfrid21、Muotgis
21、Muotheri21、Muothelm21、Muotliup21、Motwin
21等の愛称形の一つで、-zilという古高独の二重指小辞が接続して形成されている。従って、地名は「Muezil(人名:「心ちゃん」の意)の
地所」を原義とする。
尚、音韻的に-engo,-ingoが-ino(-iniの単数形)に変化するか疑わしいが、ケルビーニによればヴェローナ(伊北東部ヴェーネト州の都市)でその様な変化が見られた
という。この説自体は、『ケルビーニのミラノ方言=イタリア語辞典(Vocabolario Milanese-Italiano)第一巻』(1839)p.244に見えるもので(筆者マルピコスは
未見で、Fucilla本からの孫引き)、類例としてトスカーナ州の都市ルッカ(Lucca)の地名Corte Orlandiniと、その古形Corte Rodolengaを挙げる。Mussolengoという
地名に由来する姓が、上掲①や②の別語源のMussolini姓の影響を受けて語形が同化した可能性はあり得そうではある。
[Fucilla(1949)p.17]
⑦父称姓。スイスの言語学者エービッシャー(P. Aebischer)の説では、Muntiusという名前がMussolini姓の語源とする説を挙げるが、極めて疑わしい。
[Fucilla(1949)p.149]
1 "Le Carte Monselicensi Del Monastero Di S. Zaccaria Di Venezia: 1183-1256"(2009)p.109
2 Sarah Rubin Blanshei "Politics and Justice in Late Medieval Bologna."(2010)p.570
3 "Monumenti ravennati de' secoli di mezzo per la maggior parte inediti. vol.6"(1804)p.286
4 "Acta S. Officii Bononie ab anno 1291 usque ad annum 1310: Atti N. 1-569."(1982)p.259
5 Shona Kelly Wray "Communities and Crisis: Bologna During the Black Death."(2009)p.88
6 Gian Ludovico Masetti Zannini "Pittori della seconda metà del Cinquecento in Roma."(1974)p.11
7 Wolfgang Schweickard "Derivati Da Nomi Geografici (M-Q). vol.3"(2009)p.361-363
8 http://www.archive.org/stream/mostnoblefamoust00polo#page/28/mode/2up
9 http://oudl.osmania.ac.in/bitstream/handle/OUDL/14082/218236_Xenophon.pdf?sequence=2 のp.468f参照。尚、英WikipediaのMosul項には、
Mépsila(Μέψιλα)の形を挙げる。写本により語形が異なるのかもしれないが、Méspilaの形での使用の方が多いようだ。
10 http://web.archive.org/web/20071217131559/http://www.bartleby.com/61/roots/S394.html、
http://en.wiktionary.org/wiki/%D9%88_%D8%B5_%D9%84#Arabic
11 http://fr.wikipedia.org/wiki/Mossoul
12 http://firmani.hairyticksofdune.net/musarrif/musarrif.php?r1=W&r2=S&r3=L&r4=-&pv=a&iv=i&f=I 他に、
http://glosbe.com/fr/ar/connecter
13 ニコラス・ファレル(Nicholas Farrell)著、柴野均訳『ムッソリーニ』(Mussolini : A New Life)上巻p.27-28
14 theborgias.wikifoundry.com/page/Italy+-+Famous+Renaissance+Men
15 英語語源辞典p.747
16 http://www.friulinelmondo.com/assets/files/2010%20pubblicazioni/FriuliNM2052010.pdf のp.10。Guerrino Guglielmo Corbanese
"Il Friuli, Trieste e l'Istria: grande atlante storico-cronologico comparato. vol.1"(1983)p.416
17 ロマーニャ方言masca,バシリカータ,コルシカ,ロンバルディーア,マルケ,ピエモンテ,ヴェーネト方言mosca,モリーゼ方言mosche,
プッリャ(特にフォッジャ県)方言mòsche,フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア方言moscje,リグーリア,プッリャ(サレント南部),シチリア方言musca等。
中でも特殊なのはヴァッレ=ダオスタ方言moutsaくらい。参考:http://www.dialettando.com/dizionario/hitlist_new.lasso
18 http://www.comune.montecalvo.pv.it/LeFrazioni?Mussolengo
19 Förstemann(1966)sp.934
20 http://www.koeblergerhard.de/ahd/ahd_m.html
21 Förstemann(1966)sp.934-936
執筆記録:
2013年12月12日 初稿アップ
PIE語根①Mussol-in-i:1.セム語根w-ṣ-l「繋げる」;2.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;3.*-i 強意・現在・複数を表す語尾
②M-uss-ol-in-i:1.セム語根*?;2.*-ko- 形容詞・名詞形成接尾辞;3.*-lo- 形容詞・名詞形成接尾辞;4.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;5.*-i 強意・現在・複数を表す語尾
③Mussolini:1.語源不明
④Mussol-in-i:1.セム語根w-ṣ-l「繋げる」;2.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;3.*-i 強意・現在・複数を表す語尾
⑤Muss-ol-in-i:1.(?)*mu-「蠅、ブヨ」;2.*-lo- 形容詞・名詞形成接尾辞;3.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;4.*-i 強意・現在・複数を表す語尾
⑥Mu-ss-ol-in-i:1.*mē- ある特定の精神状態を表す語根;2.語根不詳;3.*-lo- 形容詞・名詞形成接尾辞;4.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;5.*-i 強意・現在・複数を表す語尾
⑦Mus-so-l-in-i:1.語源不明;2.*-yo- 形容詞形成接尾辞;3.*-lo- 形容詞・名詞形成接尾辞;4.*-no- 形容詞・名詞形成接尾辞;5.*-i 強意・現在・複数を表す語尾
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