キャリアアップ
概要
「Gomeric(人名:「人+王」の意)の丘・山」を意味する仏ノルマンディーにある地名モンゴメリ(Mongommery)より。
詳細
Hugo de Montgumeri =Hugo de Montgomeri (1086年Staffordshire:DB)1
Rogerius de Monte Gomerico (1086年)2
Arnulph de Mungumeri (1092年Pembrokeshire)3
Eadmer de Monte Gummeri (1130年頃Shropshire)4
Fulco de Mongomery (1273年Devon)5
Eliz. Mungumbery (1530年London)5
地名姓。カナダの小説家ルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery:1874.11.30 Clifton(カナダ、プリンス・エドワード島)~1942.4.24
Tronto)の姓。家系サイトによると、先祖の概略は以下の通り6 。彼女は、実業家・政治家のヒュー・ジョン(Hugh John Montgomery)とその最初の
妻クララ・ウールナー・マクニール(Clara Woolner M'Neill)の最初の子として1874年に生まれた。母クララは1876年9月14日に結核で23才の若さで
亡くなってしまう。ヒュー・ジョンは立法府議員の父ドナルド(Donald (Big) Montgomery)と母アン(Ann(旧姓Murray))の第四子(長男)として、1841
年10月28日に生まれた。ドナルドは同じ名前の父と母ナンシー(Nancy(旧姓Penman))の息子として1807年7月31日に生まれた。ドナルドの父ドナルド
(ルーシー・モードの曽祖父)は1760年スコットランドのキャンベルタウン(Campbeltown:キンタイア半島先端)にて生まれた。彼の祖父もキャンベルタウンの出身である。
彼の父ヒュー(Hugh M.)は1731年にスコットランドに生まれ、1824年カナダのプリンス・エドワード島で没しているので、ルーシー・モードの
高祖父の代でカナダに移住したことになるが、その移住時期や原因は良く判らない。
モンゴメリ姓は現在も英国ではスコットランドに分布が集中している。中でもラナークシャー(Lanarkshire:グラスゴー周辺)やヘブリディーズ諸島
(Hebrides:スコットランド北西の海に浮かぶ諸島)に多く、特にラナークの町マザーウェル(Motherwell)やヘブリディーズの町ハリス(Harris)
に集住する。この姓は、ノルマン・コンクエストによって仏北部ノルマンディーから英国にもたらされたもので、ノルマンディーのカルヴァドス
県にあるモンゴメリ(Mongommery)という地名に由来している。以下に、地名の所在地と歴史上の名の変遷を列挙する。
●カルヴァドス県リズィウ(Lisieux)郡リヴァロ(Livarot)小郡サン・フォワ・ド・モンゴメリ(Sainte-Foy-de-Montgommery)村とサン・ジェルマン・
ド・モンゴメリ(Saint-Germain-de-Montgommery)村の語源となった地名モンゴメリ(両村名の古形も挙げる)
Monte Gomeri (1032-35年)7, 8
de Montegomerico (1040年)7
de Monte Gumbri (1046-48年)7
de Monte Gummeri (1047年)8
Sancta Fides de Monte Gomerico (1244年)9
Sanctus Germanus de Monte Gomeri (1262年)10, 11
Sanctus Germanus de Monte Gommerici (1350年頃)10, 11
apud parochiam Sanctæ Fidei de Monte Gomerico (14世紀)12
Saint-Germain de Mont Gomeri (1723年)11
また、シュロップシャー州にもMontgomeryの地名(本来は城の名)があり、この地名に由来する可能性もある。地名の変遷は以下の通り。
Ipse comes construxit castrum Muntgumeri (1086年)13, 14
Eadmer de Monte Gummeri (1130年頃:人名)4, 13
Orderic Mons Gomerici /Rogerius de Monte Gomerici (1145年頃:人名)4, 13
ジョンストンによれば、ウェールズ語名はトレヴァルドゥィン(Trefaldwyn)で、ノルマン人の建設者バルドウィン(Baldwin)とウェールズtre「村、
農場、家屋敷」の合成語で「バルドウィンの家屋敷」を意味する4 。この名前が本来の名前で、後にこの城の城主となったロジャー・モンゴメリ
(Poger Montgomery:上記姓の古形欄の上から二番目の1086年の記録)の名を取って城名を改名した4, 15 。ロジャーは記録年代と名前からしてノルマン人であろうから、
彼の名を経由してノルマンディーのモンゴメリ地名が転用されたことになる。
いずれにしても、地名はノルマン人の人名ゴメリク(Gomeric)7 とラmons(属格形montis)「山、丘」の合成語で、「Gomericの
丘・山」を意味する。Gomericという人名は、古高地ドイツ語の男名グマリーヒ(Gumarich)16 、ゴマリーヒ(Gomarih)
16 に対応するフランク人の名前が、ノルマン人に取り込まれたものであろう。
第一要素はゲルマン*gumōn「人」(古低フランク*gomo「人」,古ザクセンgumo「人、男」,古高独gomo「人、男、英雄」)17 に由来する。ラテン語の
homō(語幹homon-)「人、男」(cf.ホモ・サピエンス(homo sapiens))と全く同じ構造・語源の単語で、原義は「大地に属すもの」。宗教改革
で有名なメランヒトン(Melanchthon)の姓の第二要素-chtonとも語源上関係が有る。
第二要素の-ric,-ri(c)hはゲルマン*rīks「王」18 (<
ケルト*rīg-「王(king)」)に由来する。この語は、PIE*reg-「真っ直ぐ動かす、導く」の母音延長階梯に由来するが、音韻上の理由でケルト語経由で
ゲルマン語に入ったとしか考えられない。印欧祖語の長母音ēをīに変化させたのは、ケルト語しかないからである。
所で、ゲルマン*rīks「王」は歴史時代の如何なるゲルマン系言語の中でも単独で用いられている例が無く、専ら個人名要素に使われているだけである。
PIE*-yo-という形容詞形成接尾辞が接続して派生したゲルマン*rīkjam「国、統治」19 (<ケルト*rīg-jo-
「国、権力」)が、古低フランクrīki「国、統治」,古ザクセンrīki「国、統治、権力、民」,古高独rīhhi,rīchi「国、統治、権力」19 や
現代語(英rich「裕福な」,独Reich「帝国」etc.)にも多く生き残っているのとは対照的である。もしかしたら、ケルト*rīg-「王」のケルト語における人名使用(例えば、アンビオリークス
(Ambiorix)、ガイソリークス(Caesorix)、ウェルキンゲトリークス(Vercingetorix))の方式を、ゲルマン人がそのままパクったのではないかと
思えてくる。派生語のケルト*rīg-jo-は一般語としてゲルマン語に溶け込む事が出来たが、元祖のケルト*rīg-「王」はそれにしくじったのだろう。
或いは、ゲルマン語に既に「王」を意味する本来語が既にあった事から(英king,独König,古英þēoden等)、あえて自国語にケルト*rīg-「王」を取り入れる必要が無く、一方
新概念である「国、統治、権力」を意味する語は持ち合わせてなかったので、ケルト*rīg-jo-「国、権力」は借用する必要性に迫られたとも考えられる。
そんな訳で、ゴメリクという男子名は「人+王」といった程の意味な訳である。ゴメリクを「人力」の意とする説も見られるが20 、これらの人名の
語尾に、ゲルマン語のja語幹名詞の名残である-iが見えない事から、ゲルマン*rīkjam「統治、権力」ではなくゲルマン*rīks「王」で解釈する
べきである。
[Reaney(1995)p.313,Harrison(1912-1918)vol.1 p.27,Bardsley(1901)p.538-539,ONC(2002)p.436,Morlet(1997)p.1014,苅部(2011)p.191]
1 Reaney(1995)p.313
2 English Historical Society "Gesta Regum Anglorum. vol.2"(1840)p.487-488
3 "Journal of the Cork Historical and Archaeological Society."(1899)p.4
4 Johnston(1916)p.373
5 Bardsley(1901)p.538-539
6 http://www.islandregister.com/montgomery1.html 又、以下のサイトもかなり詳しい。
http://thefamilyhistoryonline.com/Montgomery%20Genealogy.pdf
7 Nègre vol.3(1998)p.1668
8 Morlet(1997)p.1014
9 Morlet(1985)p.88 余談だが、前半要素のSancta Fidesという聖人名は「信頼」を意味している。マルフォイ(Malfoy)
の項参照のこと。
10 ibid. p.99
11 Hippeau(1884)p.254
12 ibid. p.253
13 Max Förster "Keltisches Wortgut im englischen: eine sprachliche Untersuchung."(1921)p.101
14 Paul Vinogradoff "English society in the eleventh century: essays in English mediaeval history."(2005)p.297
15 Harrison(1912-1918)vol.1 p.27
16 Förstemann(1966)sp.554
17 Köbler idgW Gh項p.46
18 Watkins(2000)p.70
19 Köbler idgW R項p.6 尚、英語語源辞典ではゲルマン祖語形を*rīkjazとja語幹男性名詞に作り
(後進の諸単語の殆どが中性名詞である為、ケーブラーが再建する*rīkjam(中性形)を私は採用した)、語義を「統治者(ruler)」とするが(p.1186)、
これはどうも誤りである様に思う。既に上で述べたとおり、ゲルマン語幹*rīk-ja-はケルト*rīg-「王」の派生形*rīg-jo-「国、権力」の借用である為、
そのまま「王、統治者」の意である筈が無いのでは・・・。形容詞形成接尾辞PIE*-yo-(ケルト*-jo-,ゲルマン*-ja-)が付随することで、「王」に
関わる諸々の事柄を表している訳で(だからその後進である諸言語の単語の意味が、「国、権力、民」等の意味を持つ)、「王」そのものでは無いだろう。
20 ONC(2002)p.436、苅部(2011)p.191、辻原(2005)p.60
執筆記録:
2011年10月3日 初稿アップ
PIE語根Mon-t-gome-ry:1.*men-2 「突出する」;2.*-ti-抽象名詞形成接尾辞;3.*dhégh-ōm「大地」
;4.*reg-「真っ直ぐ動かす、導く」
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