Johannem Kyssingher(1400年頃WormsかMainz近郊)
1
Wilhelmi Kissingher(1400年頃WormsかMainz近郊)
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キッシンジャーは英語読み。この姓の現在のドイツにおける分布は、ヘッセン州南部とラインラント=
プファルツ州南東部の州境地帯に集中している。詳細は、ヘッセン州ではダルムシュタット=ディーブルク(Darmstadt-Dieburg)郡、グロース=
ゲーラウ(Groß-Gerau)郡、オーデンヴァルト郡(Odenwaldkreis)、ヴェッテラウ郡(Wetteraukreis)、ラインラント=
プファルツ州ではマインツ=ビンゲン(Mainz-Bingen)郡、アルツァイ=ヴォルムス(Alzey-Worms)郡、ドナースベルク郡(Donnersbergkreis)、
ヴォルムス市に多い(以上の郡の中でマインツ=ビンゲン郡が最も高い分布比率を誇る)。この集住地は600年以上前から存在しており、上掲の
古姓に挙げた2例はその地の記録である
1。米国のヘンリー・キッシンジャーの家系とは無関係。又、バイエルン州中東部の
シュヴァーンドルフ(Schwandorf)にも現在多く分布するが、1942年の統計ではそれが無い。逆に同統計では、ポーランドのポズナニに多く見られる。
語形からして、地名に由来する姓だが、元になったと考えられる現存するKissing(en)という名の場所が、現在の苗字の集中地域とかけ離れており、
直接関係が有るのかは不明。古い廃村の名前や消失地名に因む可能性も考慮するべきかもしれない。尚、キッシンジャーの姓の元となった地名は
判明している(②を参照のこと)。
①地名姓。バイエルン州シュヴァーベン地方アイヒャハ=フリートベルク(Aichach-Friedberg)郡の町キッシング(Kissing)の名に由来。
地名の変遷は以下の通り。
Kisingas(763年)
2
Kisinga(972/976年)
3
Adalbero de
Chissingin(1085年:人名)
3
pro eo quod Bueshlinum de
Kyssingen(1329年)
4
他にも、
Chissingen、
Kissingen、
Kissingin、
Khissing(en)等の綴りで記録が有るが、詳細な年代が
確認できなかった。どちらにしても、男名キーソ(Kiso)
5、キッソ(Cisso)
5に所属接尾辞
-ingが接続して生じた(-ingasは複数主格形、-ingin及び-ingenは複数与格形)。この接尾辞をある人物の名前に接続すると、その人物の所属物、
例えばその人物の子孫や地所の名前を作ることが出来る。例えば、カロリング(Karoling-)王朝の家名は、王朝の開祖カール・マルテル(Karl
Martell)の名に由来し、「カール一族の人」を意味している。従って、この地名は「Kiso、Cisso一族の地」を意味している訳である。男名の由来は、
古高独gīsil「矢、槍の柄、杖」
6若しくは古高独gīsil「人質、証人」
6の短縮形gis-を第一
要素に持つ男名、例えばギースベルト(Gisbert)
7、ギースブランド(Gisbrand)
7、
ギーセマール(Gisemar)
7、ギースムンド(Gismund)
7、ギーソルフ(Gisolf)
7の短縮名ギーソ(G(h)iso)
5の高地ドイツ語方言形である。
この方言では、ゲルマン祖語の語頭の有声閉鎖音(d, b, g)が対応する無声音(t, p, k)にシフトした。例えば、英day「日」,dale「谷」に対応する
独Tag「日」,tal「谷」(いずれも高地ドイツ語起源)が、標準語形のドイツ人の姓ビルンバウム(Birnbaum:原義「洋ナシの木」)、バウマン(Baumann:原義
「農夫」)に対し、そのバイエルン方言形に由来する姓ピルパマー(Pirpamer)、パウマン(Paumann)がある。d→tの変化は、これを被った語彙が
標準語化する程、高地ドイツ語圏全域に及んだが、b→pの変化は限定的に留まった(古文書には頻出。前述の様に固有名詞に残存するケースが多い。
例えば地名パッサウ(Passau←Castra Batavia)等)。g→kの変化は更に限定的だが、今でもオーストリア方言では語頭のgを無声で読まれる。
cf.キスリング(Kisling②)
尚、②のバイエルン州のバート・キッシンゲン(Bad Kissingen)地名は全く別の成立を持ち、語源上無関係である。混同しないよう注意が必要。
[ONC(2002)p.346]
②地名姓。米国の第56代国務長官を務めた外交官、政治学者ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger:1923.5.27 Fürth
(バイエルン州)~)の姓。父ルイス(Louis K.)は1887年2月2日に生まれた。教師であった。Wikipedia英語版によると、
ヘンリーの高祖父(つまり、祖父の祖父)マイアー・レープ(Meyer Löb:1767~1838)が1817年にバイエルンの町バート・キッシンゲンの名から、姓Kissingerを付け加えたとある
(ドイツ語版にも同様の記述がある)
8。実際、この一族の末裔が開いているサイトによると、Meyer Löbの家族が
ニュルンベルクやカイザースラウターンといった都市に向かって移動してる間に立ち寄ったバート・キッシンゲンの名を取って、1813年に姓としたと
ある
9。Meyer Löbは妻マリアンネ(Marianne(旧姓David-Stahl):1783~1812)と前年に死別しており、キッシンゲンで
マリアンネの末の妹シェーンライン(Schoenlein:1786~1846)と再婚したようである。
先祖縁の地である、バイエルン州北部ウンターフランケン地方バート・キッシンゲン(Bad Kissingen)郡の都市バート・キッシンゲンの
地名の歴史上の変遷を、ドイツのバイエルンの地名学者ライツェンシュタイン(Wolf-Armin von Reitzenstein)の著書より引用し、以下に
列挙する。
Chizziche(801年:9世紀写本)
10
Kizziche(801年:12世紀写本)
10
Chizichi/
Kizzech(803/804年)
10
in villa
Chizzinge/in pago
Kizzingen(822年(前者は9世紀写本、後者は12世紀写本))
10
Ketzicha(840年)
10
Kizicha(907年)
10
Kyzege(1279年)
10
Kissige(1394年)
10
Kyssingen(1581年)
10
この地名の古形は極めて難解で、非常に物議を醸す形をしている。取り敢えず古い形から人名に由来するゲルマン系の-ing(en)地名ではない
ことは明らかである。どちらかと言うと、ゴール=ロマン系の人名に由来する-(i)acum地名の様相を呈している。然し、バイエルン北部のウンター
フランケンに-(i)acum地名が存在する例が他に確認出来ない。当地に最も近いこのタイプの地名はマインツ(Mainz)であろうが、それでも100㎞も西にある。
取り敢えず、-(i)acum地名はドイツではライン川河畔位にしか見られないので、その可能性は殆どゼロだろう。
ライツェンシュタインは語源について以下の様に記述している
10。
"シュネッツ(J. Schnetz)
11は文証されていないケルト語の個人名キトゥス(*Citus)に、同じ言語で所属を表す接尾辞-acumが後置した形Kit-iācaを
地名の祖形と想定する。然し、彼は同時にスラヴ語に由来する可能性も指摘している。即ち、スラヴ語の*kys「酸っぱい」に由来するとする説だが、
形の上で困難がある。所属接尾辞-ingは二次的。"
シュネッツの最初の説は、先に指摘した-(i)acum地名説の事である。後者のスラヴ語説は、ロシア語で麦芽を発酵して作るアルコール飲料のクワス(露kvas)
と語源上関係しており、古教会スラヴkyslŭ,露kíslyj,セルボ=クロアティアkȉseo,チェコkyselý「酸っぱい」
12の語源で
あるスラヴ*kyslŭ「酸っぱい」
13の接尾辞の無い形*kys-に由来すると見るもの。これが正しいなら、英語のcheese
「チーズ」やカゼインナトリウムとかの独Kaseinと同根ということになる。然し地名の古形に見える2番めの子音-z-は/ts/(ツの子音)で、sよりも
発音労力のかかる子音である。従って、s→z[ts]という音変化が起きるのは、かなり異常なことである。ライツェンシュタインが形の上で問題が
あるとしているのは、この点に関してであろう。また、意味の上からも少々とっぴ過ぎると言わざるを得ない。
バート・キッシンゲン市内西部にガーリッツ(Garitz)という地名があり、まるでスラヴ語地名の様な綴りなので、キッシンゲンの名もシュネッツが
指摘するようにスラヴ語由来かとも思った。然し、Garitzの初出は
Gahart(1340年)で、後半要素が中高独hart「森」に由来するドイツ語起源の
地名である
14。他の周辺にある地名ではスラヴ語に由来しそうなものは見つからない。キッシンゲンをスラヴ語起源と見るのは無理が有りそうだ。
私も勝手にでっち上げたスラヴ人の個人名*Chytek(スラヴ*chytati「摑む」の語根に指小辞-ekが付いた)に由来する可能性は有りはせんかと妄想したが、
この可能性は殆ど無いと考えるべきだ(音韻的にはシュネッツの説より良いと思うんだけれども)。地名の語源は不明とするほか無い。
所で、『Oxford Names Companion』はバーロー(Hans Bahlow)の説を採用する。それによればkis(s)「湿地」に由来するとしている。然し、
これはバーローのお気に入りの「何でもかんでも湿地説」に他ならず、いわゆるトンデモである。kis(s)「湿地」などという正体不明の単語(欧州の
言語ではその様な語彙は何処にも無い)で片付けるべきではない。仮にこの単語が実在したとしても、先のシュネッツの第二説と全く同じ音韻上の
難点を抱えている為(s→zz[ts]は有り得ない)、度台無理な話である。『Oxford Names Companion』のドイツ姓の記述は恐らく資料不足が原因か、バーローの説に依拠している比重が高い。バーローの研究は
職業姓・ニックネーム姓に関して秀でた結果を挙げているが、地名(姓)の語源に関しては、他の研究者・専門家諸氏とは完全にかけ離れた
独自路線を突っ走っており(ドイツ国内で彼の説に追従する学者は見た事が無い)、得られるものは殆ど皆無である。
[Guggenheimer(1992)p.406,ONC(2002)p.346]
1 Josef Friedrich Abert "Repertorium Germanicum: Verzeichnis der in den päpstlichen Registern und Kameralakten
vorkommenden Personen, Kirchen und Orte des Deutschen Reiches, seiner Diözesen und Territorien vom Beginn des Schismas bis zur
Reformation."(1991)p.471 この記録の同箇所にWormesteteとかMaguntという地名が見える。れぞれヴォルムスとマインツの古形。他にも、HedernやJuninghenという
地名が見えるが、何処のことかさっぱり判らない。
2 Georg Thomas Rudhart "Aelteste Geschichte Bayerns und der in neuester Zeit zum K

nigreiche Bayern
geh

rigen Provinzen Schwaben, Rheinland und Franken."(1841)p.537
3 http://de.wikipedia.org/wiki/Kissing
4 Historischer Verein für Schwaben "Zeitschrift des Historischen Vereins für Schwaben und Neuburg. vol.4"
(1877)p.158
5 Förstemann(1966)sp.516
6 Köbler ahdW G項p.162
7 Förstemann(1966)sp.517-518
8 http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Kissinger
9 http://familytreemaker.genealogy.com/users/l/e/v/Elizabeth-A-Levy/FILE/0001page.html
10 Reitzenstein(2009)p.31
11 オーストリアの文献学者ヨーゼフ・シュネッツ(Joseph Schnetz:1873~1952)のこと。ドイツ語圏の地名の研究を行った。
12 Buck(1949)p.1034、http://en.wiktionary.org/wiki/sour
13 Černych(1993)vol.1 p.391-392
14 Winkler(2007)p.62 第一要素は、Winklerは中高独gāch「突然の、急斜面の、急な、荒々しい」(cf.独姓ホルンガハー(Horngacher))と
想定している。即ち、Garitzは「坂森」を意味することになる。この説はWikipediaドイツ語版Garitz項にも見え、ハック(Heinrich Hack)"Garitz –
Ein Heimatbuch"(1986)からの引用である。ハックが最初に唱えたのだろうか。実は、Wikipedia独語版は別の説を主説として挙げている。
こちらも興味深い説なので、ここに紹介する。それによると、1186年に当時のフルダ修道院院長が関わった土地の譲渡の記録に見える
Gerhartisという地名を初出とする。これは男名Gerhartの属格形で、「Gerhartの地」の意である。確かに、フルダとバート・
キッシンゲンの間には、人名の属格形に由来する地名が腐るほどあり(例えば、Eckarts, Weiperz, Zeitlofs, Vollmerz, Herolz, Bellings, Hilders, Wickers, Libhards, Sterbfritz等)、
この地名もその類型に属す。然しながら、古地名Gerhartisはフルダ東部近郊のオーバーヴァイト(Oberweid)にある廃村ゲルハルツ(Gerhartz)に
比定するツィックグラーフ(Zickgraf)の説があり、寧ろこちらの方が語形から見ても正しいと思われる(Günther Wölfing
"Das Prämonstratenserkloster Veßra: Urkundenregesten 1130 - 1573."(2010)p.46)。
執筆記録:
2011年12月15日 初稿アップ
2011年12月19日 スペルミスを一箇所訂正。