Keynes ケインズ(英)
概要
中ラcatanus「セイヨウネズ」に複数語尾が接続して生じたフランス北部の地名より。「杜松(ネズ)の生える地、杜松森」の意。
詳細
Guillaume de CahagnesWillelmus de Cahainges(1141年Northamptonshire)1

地名姓。イングランド南部ドーセット州に集住する地域特色の強い姓。1881年当時は、同州ドーチェスター(Dorchester)市に最も多く分布 していた。英国のあまりに有名な経済学者、数学者、ジャーナリスト、政治家ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes:1883.6.5ケンブリッジ~1946.4.21Tilton (イースト・サセックス州))の姓として知られる。彼の父ジョン・ネヴィル(John Neville K.)も経済学者で、1852年10月31日にウィルトシャー 州(ドーセットの北隣)のソールズベリ(Salisbury)で生まれた。その父ジョン(John K.)は1805年10月1日にドーセット州(詳細な出生地は 確認されていない様である)に生まれた2。ジョンは10代の前半にブラシ職人の家に年季奉公人として弟子入りした。彼は余暇に園芸植物の育成に費やすことで、 木と豚毛を加工する退屈な仕事から開放されていた。彼は以前から自分の趣味を生業とする事を決めており、20代のとき花の展示会で 入賞したらしい3

姓は以下に挙げるフランス北部のノルマンディーにある地名に由来する姓で、ノルマン・コンクエストによって英国にもたらされた。
●カエーニュ(Cahaignes)(仏オート=ノルマンディー地方/ウール県/レ=ザンデリ(Les Andelys)郡/エコー(Écos)小郡/カエーニュ村)
Cahagnes(1141年)4, 5
Cahonnie(12世紀)4
Cahainnes(1184年)6
Cahaniæ(1199年)4, 5
Chaengnes/Kaheignes/Cahengnes(1239年)1, 4
Cahennes/Kahennais(1251年)4
Kahaignes(1253年)1, 4
in territorio de Kahenneis(1254年)1
Caaignes(13世紀)1, 4
Cahengnæ(1272年)4
Quahannes/Koannes(1293年)1, 4
Quehaingnes/Quahaingnes/Quehaignes(1354年)4
Quehagnes(14世紀)4
Chehaignes(1411年)4
Quehengnies(1432年)4
Cheagne/Quehagne(1638年)4

●カアーニュ(Cahagnes)(仏バス=ノルマンディー地方/カルヴァドス県/ヴィール(Vire)郡/オネ=シュル=オドン(Aunay-sur-Odon)小郡/ カアーニュ村)
Chaiines(1135年)6
Chaaines(1155年)5, 7, 8, 9
Kahaignæ(1203年)5, 6, 7, 8, 9
Chaengnes(1250年)8, 9
Kahaines(1270年)8, 9
Quahaines(1273年)9
Cahaignes(1460年)9
Cahangniæ(1471年)9
Caheingnes(1637年)9
Cahengnes(1640年)9

●シェーニュ(Chaignes)(仏オート=ノルマンディー地方/ウール県/エヴルー(Évreux)郡/パシィ=シュル=ウール(Pacy-sur-Eure)郡/ シェーニュ村)
Chains(1156年)10
Chaagnes(1181年)5, 7, 10
Kahagnes(1189年)5, 10
Cahaniis(1199年)7
Kaengnes(1247年)10
Cheignes(1450年)10
les Chengnes(1464年)10
Chahaignes(年代不明)10

又、事によると以下の地名に由来する可能性もありか。
●シャエーニュ(Chahaignes)(仏ぺ=ド=ラ=ロワール地方/サルト県/ラ=フレシュ(La Flèche)郡/ラ=シャルトル=シュル=ル=ロワール (La Chartre-sur-le-Loir)小郡/シャエーニュ村)
Chahania(9世紀)5, 11
Chahannae(1070年頃)11
Kahannae(11世紀)5, 11
Chaanae(12世紀)11
de Chaignes(1330年)11
de Chahennayo(1368年)11

いずれも中ラcatanus「セイヨウネズ(Juniperus communis)、ビャクシン(柏槙)類の木(Juniperus)」(文献上の記録は7世紀のスペインにおける ラテン語文献。多くの文献では古典ラテン語の単語の様に扱っているが、中世ラテン語である)12, 13からの 派生語に由来すると考えられている14。古フランス語では母音間のtは有声音化→摩擦音化の変化を経由し、 最終的に/h/に弱化し、やがて発音されなくなった。この弱化したtの最後の残滓がhという綴り字として、現在も地名に残っているのである。 接尾辞に関しては、ラテン語の集合名詞を作る接尾辞-eaが後続すると見るネグルの説と7、ラテン語で何等かの 植物が生えている場所を示す名詞を作る接尾辞-etum15(cf.伊姓アルボレート(Alboreto))が後続したと見る グレーラーの説が有るが5、後述する様に単なる複数形を示しているだけと見られる。いずれにしても、 「杜松(ネズ)の生える地、杜松森」の意味。

中ラcatanusはケルト語からの借用と考えられており、古プロヴァンスcade「ネズの一種」12(>仏cade 「ビャクシン類」)はその後裔。ポコルニーの印欧語辞典ではcatanusの起源をPIE語根*kē(i)-「鋭くする、 研ぐ」に遡らせている16。現在の学説では、この語根は*keH3-という再建形に修正されており、 これは後に*kō-という形に発達する。この語根に何等かの接尾辞(私の勘では多分、分詞や形容詞を派生するPIE*-t(o)-ではないかと思う )が接続した*kōt-という拡張形に更に女性名詞を形成する接尾辞-ā(<*-eH2-)が後続した *kōtā-が、古プロヴァンスcadeの起源ではなかろうか。PIE*kōtā-はケルト祖語*kātā-に発達する。この形がガリアの俗ラテン語に借用され、更に母音の長短の 区別が失われ、母音間の無声子音が同化作用により有声化し*cadaの形となり、更に語末母音の弱化によってcadeの形に至ったと 説明できる。中ラcatanusは女性名詞形成語尾ではなく、指小辞が後続したケルト*kātān-からの発達であろう。音韻の面では申し分の無い 結構いける提案だと思う。意味上の理由に関しては、尖った葉っぱに着目した命名だと推察される。このケルト語から生じた語彙としては、西cada「杜松(トショウ)油の出るネズ(enebro de la miera)」 17,カタルーニャcàdec(木の名前)17の対応があるが、これ以外に見つからない。 スペインでは地名Montcadaの第二要素にも見える。然し、ケルト*kātā(n)-を語源と 想定できる現役のケルト系言語の単語は、探したが見つからなかった18。もしかしたら、ケルト系ではない別の印欧語や、古イベリア語の 様な非印欧系の土着言語の借用も有り得る。特に後者の場合だと、語源の解釈は限りなく不可能に近くなる。

一方、モルレはカタニウス(*Catanius)という古いゴール=ロマン系の男子名に由来するとしている19。この名前はケルト*katu- 「戦い」(<PIE*kat-「戦う」)に指小辞が後続して生じた名前のラテン語形カタヌス(Catanus)から派生した名前と思われる(マルピコス説)。

さて、どちらの説が正しいか・・・。実は、フランス語には植物名に複数形語尾-esを接続して地名を作る方式が見られる。例えば、 仏frêne「トネリコ」より地名フレヌ(Fraisnes)、フラニュ(Fragnes)、フレーヌ(Frênes)、仏fougère「シダ」より地名フジェール (Fougeres)、フシェール(Fouchères)、フキエール(Fouquières)等、枚挙に暇が無いほど見つかる。カエーニュ(Cahaignes)を 初めとする上掲の地名もこの類型に属す地名であろう。つまり、多くの杜松が生えている事から、「杜松森、杜松の林」を意味する 地名ということになる。但し、歴史的に見てこの「杜松」を意味する単語の使用例が、固有名詞以外ではイベリアとガリア南部に限られ ている点がこの説の心許無い点ではある。一方、人名由来説は接尾辞-esを後置して地名を派生する例を私は確認していないので、一先ず保留としておく (ドイツでは属格語尾-esを人名に後続して地名を派生する例が存在するので、フランスにもあるかもしれない)。

尚、上掲の苗字の古形一覧に挙げたWillelmus de Cahainges(ウィリアム・ド・カエーニュ)は、ノルマン朝の武将の一人。ノルマン朝第3代 イングランド王ヘンリー1世(在位:1100年-1135年。ウィリアム征服王の息子)の死後、ヘンリーの娘のマティルダと、ヘンリーの姉の息子 ブロワ伯エティエンヌ(英語名:スティーヴン)との間に王位継承戦争が起こった。ウィリアム・ド・カエーニュはマティルダ側に参じて 戦った騎士で、1141年2月2日のリンカンの戦い(battle of Lincoln)で活躍しエティエンヌを捕虜にしている。
[Reaney(1995)p.80,Bardsley(1901)p.155,ONC(2002)p.341,Morlet(1997)p.157]
1 Auguste Le Prevost, Léopold Delisle, Louis Passy "Mémoires et notes de Auguste Le Prévost pour servir à l'histoire du département de l'Eure."(1862)p.457-459
2 http://www.stanford.edu/group/auden/cgi-bin/auden/individual.php?pid=I7955&ged=auden-bicknell.ged
3 Phyllis Deane "The life and times of J. Neville Keynes: a beacon in the tempest."(2001)p.1
4 Blosseville(1877)p.43
5 Gröhler(1933)p.185 本書はシャエーニュ(Chahaignes)をマイエンヌ県に存在するとしているが、東隣のサルト県の誤り。
6 http://fr.wikipedia.org/wiki/Cahagnes
7 Nègre(1990)p.94
8 Tengvik(1938)p.79
9 Hippeau(1884)p.53
10 Blosseville(1877)p.49
11 Beszard(1910)p.303 1368年の記録Chahennayoは、モルレ(Marie Thérèse Morlet)によれば、サルト県のシャアネ(Chahannay) という別の地名の古形に比定している(Morlet(1985)p.58)。
12 小学館ロベール仏和大辞典p.344
13 Corominas vol.1(1980-1991)p.570
14 Vial(1983)p.115f.、ONC(2002)p.341、Gröhler(1933)p.185、Astor(2002)p.1293、Nègre(1990)p.94
15 丁度日本語の「桐生」「柳生」「麻生」「蒲生」等の地名(姓)の接尾辞「-生(フ)」に意味的に対応する。
16 Pokorny(1959)p.541-542
17 "Zeitschrift für romanische Philologie. vol.73"(1957)p.337
18 「ネズ」の意では、スコットランド=ゲール語ではaiteann,aitionn,staoinと、iubhar「イチイ」を用いた複合語がある。ウェールズ語では merywen,コーンウォールmerewen。
19 Morlet(1985)p.58

執筆記録:
2011年9月2日  初稿アップ
PIE語根Ke-yn-es: 1.*kō-「鋭くする、研ぐ」; 2.*-no- 分詞・形容詞・名詞形成接尾辞; 3.*-es 複数語尾

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