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概要
ケルト語で「戦ちゃん」、「長ちゃん」を意味する人名Jodocusの古仏形Josseを借用した古いドイツ人男名Josが、→Jost→Jobst→Jobsと変形して生じた姓。
詳細
Bastian Jobst (1485/1494年)=Bastiann Jobst (1491年)=Bastian Jost (1495/1498年)(ドレスデン市議会議員)
1
父称姓。アップルの創業者の一人として有名な、アメリカ合衆国の実業家スティーブン・ポール・ジョブズ(Steven Paul Jobs)の姓。姓自体は、彼の養子縁組先の夫妻の姓である。養父
ポール・ジョブズに関する情報はネットでも殆ど皆無と依然述べたが、再度調べてみた所、ネットの家系サイトで系譜の情報を得ることができた。
その結果、やはり養父はドイツ人の子孫であることがわかった。以下に先祖を遡ってみよう。家系サイトによると2 、
養父のフルネームはPaul Reinhold Jobsで、ミドルネームにドイツ語の男子名ラインホルト(Reinhold:原義「助言+支配する」)が
現れており、この時点で既にドイツ系であることが推測可能である。彼は、ウィスコンシン州ワシントン(Washington)で1922年11月22日に生まれた
(1993年にカリフォルニア州サンタ・クララ(Santa Clara)で亡くなっているが、奇しくも没地の名と奥さんの名(Clara)が同じである)。彼は、
高校を中退後、機械技術者として働いていた。彼の父はエドウィン(Edwin J.)といい、1897年9月1日ウィスコンシン州ミルウォーキー(Milwaukee)に
生まれた。エドウィンの奥さんの旧姓(Hackbarth)や、奥さんの母の姓(Suedke)を見ると、ドイツ系だらけである。エドウィンの父ルードルフ・カール
・ヨープス(Rudolph Carl Jobs)は、1864年9月30日、当時プロイセン領であったシュレージエン(ポーランド名はシロンスク)のシュヴァイドニッツ
(Schweidnitz)郡シュテファンスハイン(Stephanshain:ポーランド名シチェパネク(Szczepanek))村に生まれている。これよりも、三代遡る事ができ、
ヨハン・フリードリヒ・ヨープスト(Johann Friedrich Jobst)が最古の先祖で(これ以上は遡れない)、彼は1775年頃シュテファンスハインで生まれた。
どうも、ヨハン・フリードリヒの代で姓をJobstからJobsに変えたらしい(息子のヨハン(Johann)の姓はJobsになっている)。
養父の先祖が判明し、姓の古い綴りが確認できたおかげで、
ジョブズの姓のより正確と考えられる語源に辿り着く事ができるのだが、前回の記事で書いた旧約聖書の登場人物ヨブ(Job)3 に由来するという解釈が
誤りであることが判った。今回全面的に記事を修正し、再アップすることにした。究極的にはケルト語に由来している名なのである。
ヨープスト(Jobst)姓はバイエルン州に多く、特にレーゲンスブルク(Regensburg)一帯に集住している。
この名は本来男名であり、元もとの語形はヨースト(Jost)であった。ヨーストという男名が旧約聖書のヨブ記の主要人物ヨブの名の影響を
受けて、混成した名がヨープストとなのである。この2つの名前は古くは言い換え可能な個人名のヴァリアントとして機能していた。少し、例を
16世紀のドレスデン市議会議員のリストから挙げてみよう4 。
Jobst Bodecker (1564/1566/1572/1575/1577/1579/1581年)=Jost Bodecker (1570/1574年)
Jobst Kuntz (1579/1590年)=Jost Kuntz (1580/1592年)=Jobst Cuntz (1582/1584/1586/1588年)=Jost Cuntz (1594年)
更に、同リストの15世紀末の辺りを見てみると、この名が苗字として用いられている例が見え、やはり言い換えが現れているのは、冒頭に挙げた姓の古形欄の通りである。
また、中世後期ニュルンベルクにおいて、既にヨープストの異形として男名ヨープス(Jobs)の使用例が見られる。
Jobs Tetzel junior (1392年)=Jobst Tetzel (1438年)5
語源となったヨーストという名は、ラテン語の文章ではヨドクス(Jodocus)という名に書き換え可能であり、これらの名を通用する事が普通に行われた。
例を挙げてみると、Jobst Zenker =Jodocus Zenker (1471-1483年Zwickau(ザクセン州))6 がある。
ヨドクスという名前は、フランスはブルターニュ地方で7世紀に活躍したブルトン人貴族出身の聖人の名である(仏:Saint Josse(又、Judoc):
祝日は12月13日)。JodocusとJostでは全く語形が違うが、語形変化の最大の原因はフランス語を経由したためである。モルレによれば、最初ヨドクスの
名前から後期ラテン語で*Jodociusという名前が新たに作り出された7 。語尾に-i-が新たに付け加えられているが、
これは印欧祖語の形容詞派生接尾辞*-y(o)-から発達した
ラテン語における接尾辞で、形容詞的な意味を付加する機能がある。つまり、*Jodociusという名は「Jodocusの」という意味である。後に屈折語尾の
-usが失われた後、前舌母音i(或いは弱化したe)が後続する為、直前の軟口蓋子音[k](文字の上では"c")が硬口蓋化し[ts]、更に[s]に転じた。
更にフランス語では母音に挟まれた[d]は弱化が進み、[h]を経由して消失した。この変化を経た最終形態の名前がフランスのジョス(Josse)である。
個人名としては用いられている例は現在のフランスであるかどうか良く判らないが、地名や苗字に生き残っている語形である。この名前は、
中世のフランスでは様々な形で記録されている。フランス北部パ=ド=カレー県、モントルイユ(Montreuil)郡モントルイユ小郡に、前出の聖人
ヨドクスの名に因んだ地名サン=ジョス=シュル=メール(Saint-Josse-sur-Mer)の古形から、フランスにおけるこの人名の古形を見てみよう。
Sanctus Jodocus (8世紀)8
Sanctus Judocus (1127年)8, 9
Sanctus Judocus supra mare (1163年)8, 9
Saint Josse seur le mer (1245年)9
又、同郡エダン(Hesdin)小郡トルトフォンテーヌ(Tortefontaine)村にも、この聖人に因んだ地名サン=ジョス=オー=ボワ(Saint-Josse-au-Bois)という
地名がある。古形は以下の通り。
Sanctus Judocus de Silva (1127年)10
Saint Giosse el Bos /Saint Joce ou Bos (1407年)10
フランスの中世後期には、ヨドクスという名が民衆の言葉でジョセ(Josse、Giosse、Joce)という名に転じていた事が判る。この名前が、ドイツに
借用されてヨース(Jos)の形で定着した。例を挙げる。
Jodocus vulgo Jos Reichlin (1380年Konstanz)11
「Jodocus, 通名Jos Reichlin」
中世後期のドイツ語の男子名ヨースが、更に英justice「正義」と語源上関係する別起源のドイツ人男名ユストゥス(Justus)との
連想から、非語源的な-tが添加されてJostの語形が生まれたのではないかと思う(マルピコス説)。
Jodocusという名の語尾-oc(us)は指小辞(cf.カドガン(Cadogan)の-og-と同じ接尾辞。ここでは母音に挟まれた為、同化作用により問題の子音が
有声化し、[g]に転訛している)。第一要素Jod-はウェールズudd「長、領主(chief, lord)」12 と同語源の言葉である。この語はブリトニック諸語
(ウェールズ語、コーンウォール語、ブルトン語)では人名に多用される要素で、古ウェールズ語では例えば、ユドグワル(Judgual)
13 、グリプユド(Gripiud)14 (>英姓グリフィス(Griffith))、アリヒトユド(Arihtiud)
14 、モルゲトユド(Morgetiud)15 、ブレイドユド(Bleidiud)16 、
モルユド(Moriud)16 等枚挙に暇が無いほど見つかる。古ブルトン語ではウェールズudd「長」の対応語は確認されていないが、
人名要素としては頻繁に見え、ユドカント(Iudcant)17 、ユドカル(Iudcar)17 、ユドハエル
(Iudhael)17 、ユドマエル(Iudmael)17 、ユドリド(Iudrid)17 、
ユドワル(Iuduual)17 等があり、これ等の名の短縮名としてユデル(Iudel)17 、ユディク
(Iudic)17 、ユドン(Iudon)17 等が存在した。
ウェールズudd「長」は、アイルランドiodhnach
「武装した」18 との関連が指摘されており19 、印欧祖語*yeudh-「暴れる、戦う」に遡ると考え
られている13 。こうした事情から、人名ヨドクスやそこから派生したJo(b)st等の姓の原義を「戦士(Kämpfer)」とする説が
広く行われている20 。ウェールズudd「長」の原義を「戦士」と考えているのだろうか。ケルト語派内に残る同根語から
最大公約数的に語義を導き出すと、Iud-という要素は「戦い」という意味が想定される(脚注18も参照されたし)。或いは、ブルトン語と近縁の
ウェールズ語で「長」の意が残っていることから、この意味で解釈するのも良いと思う。指小辞がついているので、ヨドクス、ジョブズという名は
「戦ちゃん」、或いは「長ちゃん」見たいな意味の名と考えるのが無難だろう(どちらが正しいか特定するのは無理である)。
語根*yeudh-「暴れる、戦う」を先祖とする有名な名前に、インドネシアの政治家ユドヨノ(Yudhoyono)の名がある。この名はサンスクリット
の借用であるが、第一要素yudho-はサンスクリットyudh-「戦い」21 に由来し、更に印欧祖語の動詞語根*yeudh-のゼロ階梯
*yudh-に遡る(逆に上掲のケルト諸言語は、o階梯の*youdh-に遡る)。つまりジョブズ、グリフィス、ユドヨノと、一見すると語形からは全く関係が
無い様に見え、しかも地域的にもかけ離れた場所に存在するこれらの名が、語源的には同じ起源を持っている事が判る。他にも、英姓ジョイス(Joyce)、
オランダ姓ヨーステン(Joosten)22 もヨドクスからの派生、
英姓ジュール(Joule)とフランス姓起源の米姓ギクラス(Giclas:彗星の名で知られる)は二要素複合名のユドハエル(Iudhael)に遡る。
最後に、ややこしいので、印欧語根*yeudh-「暴れる、戦う」からジョブズ(Jobs)までの変遷をチャートで挙げおく。
PIE*yeudh-「暴れる、戦う」→→→→→→分岐してインド語派より人名ユドヨノ(Yudhoyono)が派生
↓←←←←←←o階梯
*youdh-
↓
ケルト*joud-V-「戦い」(Vは何等かの母音)
↓
古ブルトン*iud「長」(=古ウェールズiud,ウェールズudd「長、領主」)→→→→→→別要素が付加して英姓グリフィス、ジュールに分岐
↓
↓←←←←←←指小辞-ocが後続
古ブルトンJudoc(男名)(7世紀)
↓
中世ラテンJodocus(男名)(8世紀)
↓←←←←←←形容詞派生接尾辞-i-u-sを接続
後期ラテン*Jodocius(男名)
↓←←←←←←語末子音の硬口蓋化、母音間の[d]の弱化
↓
北フランスの俗ラテン,オイル*Johoce(男名)→→→→→→英姓ジョイス(Joyce)に分岐
↓
↓←←←←←←hが消失
古仏Josse、Giosse、Joce(男名)(Josseは1245年)
↓←←←←←←ドイツ語に借入
初期新高独Jos(男名)(1380年)
↓←←←←←←恐らく、別語源の男名Justusとの連想から、語末にtが付加される
初期新高独Jost(男名)→→→→→→蘭姓ヨーステン(Joosten)に分岐
↓←←←←←←旧約聖書の登場人物ヨブ(Job:ドイツ語読みは「ヨープ」)の名と混淆
初期新高独Jobst(男名)(1471年)
↓←←←←←←姓となる
Johann Friedrich Jobst(18世紀末のジョブズの養父の先祖)
↓←←←←←←改姓(語末のtをはしょる)
Paul Reinhold Jobs(養父)
↓←←←←←←養子縁組
Steven Paul Jobs(アップル創業者)
[Gottschald(1982)p.273,Kohlheim(2000)p.351,Bahlow(2002)p.251-252,Naumann(2007)p.151,Heintze(1903)p.152,Hellfritzsch(1992)p.112-113,
Schobinger et al.(1994)p.343,Schwarz(1973)p.151,Kunze(1998)p.165]
1 Otto Richter "Verfassungs - und Verwaltungsgeschichte der Stadt Dresden."(1885)p.414-416
2 http://www.geni.com/people/Paul-Jobs-Adoptive/6000000010484377127 を主に参照した。他には、
http://www.riazhaq.com/も参照。実父はシリア人の政治学者アブドゥルファター・ジャンダリ(Abdulfattah Jandali)、実母はジョアン・キャロル・シーブレ(Joanne Carole
Schieble)である。シーブレはスイス出自のアメリカ人の家系の人。養母のクララ・ジョブズ(Clara Jobs)の旧姓はハゴピアン(Hagopian)といい、
アルメニア系である。Hagopian姓はアルメニア西部方言の名で、Hakob(英James,Jacobのアルメニア西部方言対応形)の子孫を意味する。
Wikipedia日本語版では、養母の名がクララではなくクラリスになっているが(2011年10月7日現在)、Wikipediaの日本語以外の言語版や家系サイトではクララとなっており、
誤りであろう。<
3 10月7日にアップした前記事で書いた様に、原義はヘブライ語で「迫害された、苦しんでいる」「敵」「父(=神)はいずこに居わす」とする三説が
提唱されている。この内、前者二説は同じ語根に遡る解釈。
4 Otto Richter "Verfassungs - und Verwaltungsgeschichte der Stadt Dresden."(1885)p.423-426
5 Charlotte Scheffler-Erhard "Alt-Nürnberger Namenbuch."(1959)p.85
6 Bahlow(2002)p.251
7 Morlet(1997)p.543
8 Nègre(1990)p.420
9 Morlet(1985)p.109
10 Nègre(1998)p.1551
11 Bahlow(2002)p.252
12 Pughe vol.2(1832)p.603
13 Pokorny(1959)p.511-512
14 W. J. Rees "The Liber landavensis, Llyfr Teilo."()p.271
15 Reaney(1995)p.306
16 Philological Society (Great Britain) "Grammar of early Welsh."(1924)p.67
17 Loth(1890)p.407
18 この単語は確認できない。アームストロング編集のスコットランド=ゲール語辞典にiodhnach「勇敢な、戦争に関する、戦いの、槍の様な
(valiant, warlike, martial, like a lance or spear)」(Armstrong(1825)p.327)という語があり、恐らくこの事ではないかと思われる。この語は
スコットランド=ゲール†iodhna「槍、防御(lance, spear, protection, safeguard)」(ibid. p.327)からの派生。
19 John Rhys "Lectures on Welsh philology."(1877)p.97
20 Gottschald(1982)p.273,Kohlheim(2000)p.351,Naumann(2007)p.151等
21 Buck(1949)p.1372
22 江戸時代初期に我が国に漂着したオランダ人航海士ヤン・ヨーステン(Jan Joosten van Lodensteyn)の名でもある。日本Wikipediaでは
van Lodensteynが彼の姓としている。東京駅近辺の地名「八重洲(ヤエス)」はヨーステンの日本語音訳名「耶楊子(ヤヨウス)」から転じたものと言われている。
もしこれが正しいなら、ジョブズと八重洲が同語源という、事情を知らない人が聞いたら確実に「頭がおかしい」と思われそうな(既にジョブズと
ユドヨノやグリフィスが語源上関係が有る事自体、十分「頭がおかしい」レベルだろうけれども)、とんでもない事になってしまう。
執筆記録:
2011年10月7日 初稿アップ
2011年10月11日 第二稿アップ。養父の先祖が判明し、初稿で私が述べた語源が間違っていることが判明。全面的に改定した(というか、全然別物の
ファイルになってしまった)。更に面白い記事に仕上がったと思う。下に、旧稿のファイルへのリンクも残しておく。
2011年12月19日 スペルミスを一箇所訂正。
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