Jiménez ヒメネス(西)
概要
中世スペインの男名シェメノ(Xemeno)の父称に由来。男名はバスクseme「息子」由来とも、使徒シモン(Simón)の名由来とも言われるが不明。
詳細
Lope Scemenoiç(1099年Ayegui(ナバラ州))1

父称姓。スペインでは大変多い姓である。有名人としては、ノーベル文学賞を受賞したスペインの詩人フアン・ラモン・ヒメネス(Juan Ramón Jiménez Mantecón:1881.12.24 Moguer(アンダルシア州)~1958.5.29 Santurce(プエルトリコ))や、ドミニカ出身のプロ野球選手ケルビン・ ロヘリオ・ヒメネス(Kelvin Rogelio Jimenez:1980.10.27 サンチェス・ラミレス州~)等がいる。スペインではJiménezの綴りでは11番目に、 異綴のGiménezは80番目に多い2。他にも様々な異綴が存在し、ヒメネスと読むものではXiménez、Ximenes、他に ヒメネ(Jimene, Gimene)、ヒミニス(Ximinis)、ヒメナ(Jimena, Gimena)、ヒメネオ(Jimeneo, Gimeneo)、チメネス(Chiménez)、チメノ(Chimeno)、 チメニス(Chimenis)等の姓がある。X-のイニシャルをもつ形が古い綴り字を残している姓で、この形は専らカタルーニャで現れる。いずれも中世 スペインで用いられたシェメノ(Xemeno、Scemeno)という男の名前から派生した姓である。

男名シェメノには他にも様々な異形が存在していた。ドイツのロマンス語学者ベッカー(Lidia Becker(トリーア大学))博士の著作に、この 名前のヴァリエーションが列挙されている。以下にその一部を挙げる。
Gemeno(745年Asturias地方)3
Exigemeno(760年)3
Exemenus Didaz(907年)=Scemenus Didaci(931-950年)=Cemenus Didaci(年)3
Xemeno(920年)3
Exemeno(928年)3
Scemen presbiter(965年)3
Semeno(965年)3
frater Scemeno presbiter(967年)3
Eximinus abba(1080年)3

以下は第二名の用例である3
Lup Scemeniz(945年)3
Fortunio Xemeniz(951年)3
Scemenus Scemeniz(976年)3
Citi Semeniz(984年)=Cidi Eximenizi(988年)3
Pinniolo Xemeniz armiger regis(1019年)=Pinnolo Gemeniz(1043年)3
Suario Exemeniz(1050年)3
Diego Chemenez en Soria(1182年)3

この他にも膨大な量の異形が存在した。Sc-やX-という綴り字は、いずれも当時のスペインでは[ʃ]音を表した(Sc-の綴りはイタリア語に残っている) 。最初期の綴りにはG-を持つ形も見られるが、その理由は良く判らない。中世スペインでは前舌母音(i, e)が後続するgは、[ʃ]の有声音[ʒ]で 読まれていたので、Gemenoはジェメノだったと思うのだが・・・(素人目にはラgeminus「双子」に由来する個人名由来を疑うが・・・、どうなんだろう )。他にもドイツ語の様にシュ音([ʃ])を表すのにSch-の綴りを用いているものもある4。語頭にE-を持つ 語形は難題である。これはヒメネス姓の異形エイヒメノ(Eiximeno)姓に化石的に保存されている形である。ベッカーによれば、古い記録では 男名シェメノは北東部方言では語頭にE-を伴う形だけが、、北西部やバスク=ピレネー方言ではE-有りと無しの形がほぼ同頻度で現れるそうだ。 現在はEiximeno姓はカタルーニャ地方に見られる。この語頭E-の添加の原因としては、中世に公文書にラテン語でこの名前を表記する際、古典 ラテン語ではX-で始まる単語は存在しない為、ラテン語に見えるよう工夫を凝らして加えたもので、実際は発音されていなかったのではないかと するプエンテス(José Antonio Puentes Romay)の提案があるが、ベッカーは殆どあり得そうも無いとし、北西部やバスク=ピレネー方言でE-が 脱落したものとみる3。英語のスティーヴン(Stephen)に対応する中世スペインの男名が、北東部と北西部では Estebanoとか、Estefano、Esteuanoと綴られているのに対し、バスク=ピレネー地方や北部中域ではE-の無いStefanoやStephanoの形で現れる点や、 バスクezker(r)「左(の)」から西izquierda「左」が派生しているが、同じ語源のバスク=ピレネー地方に見られた古い人名(渾名・苗字に相当)に 語頭母音が消失している例が傍証として挙げられる(以下に後者の例をベッカーの著書より挙げる)。
Dominica Skierda(1028年)3
Petrus Skerra(1131年)3

さて後にシェメノという名が男名ヒメノ(Jimeno)に転じた。語頭子音の音変化、つまりシュー音の[ʃ]から無声軟口蓋摩擦音[x](独Bach(バッハ) 「小川」の語末子音)に音変化したのはかなり後代の事であった。セルバンテスのあまりに有名な著作『ドン・キホーテ(Don Quixote)』(1605年)が、 フランス語ではドン・キショット(Don Quichotte)、イタリア語ではドン・キショッテ(Don Chisciotte)で受け入れられているからである。即ち、 少なくともドン・キホーテの初版が出版された1605年までは、スペイン語の綴字xは[ʃ]で読まれていた。仏Wikipediaの『ドン・キホーテ』項 5に、この綴字と発音の問題に関して言及がある。それによれば、スペイン語の[ʃ]→[x]への転音は17世紀の 間に起きた事であるらしい。18世紀には[ʃ]の音価を示していた綴字xが綴字jに交代しているためである。旧書法のxは1815年の正書法の改定で jに取って変わったが、上記の様に固有名詞に古い綴りが残った。Giménez姓などG-を語頭に持つ形は、最初期の個人名記録Gemeno (745年)を継承する形ではなく、[ʃ]→[x]の変化と同じく、[ʒ]→[x]の変化を蒙って同音となってしまった前舌母音の前の綴字gに書き換えた ものの様である。従って、最も非語源的な綴りといえる。

兎に角中世にはシェメノという名前は様々な異形が存在していた。そのため、語源もはっきり判っておらず、様々な説が提唱されている。以下に 挙げてみる。

●イリゴージェン(Alfonso Irigoyen)が提唱する説(1995年)3
バスクseme「息子」6の急進的硬口蓋化形(expressiver Palatalisierung)のxeme(シェメ)に由来するとする 3。このバスク語に由来するという説は、英Wikipediaや仏Wikipediaにも採用されている7。 バスクseme「息子」の語頭子音sは無声舌尖摩擦音[s̺]。祖形は*(ti)ðeme「母の息子」8とされる。英Wikipediaに出典不明の 興味深い記述がある7。それによれば、バスク語の先祖か若しくは同系語と目されている死滅した言語アキテーヌ語で 書かれた碑文にSembeconnisという語が見えるそうで、この語との関係を示唆している(但し、他の資料では確認が取れない語形である)。

シェメノという男名はバスク人の王朝であるナバラ王国の貴族の名にも見え、また、後のアストゥリアス王国(後代のカスティーリャ王国の 前身となるスペイン北部に存在した国家)の王アルフォンソ3世(Alfonso III:848年頃~910)の后ヒメナ(Jimena:?~912)もナバラの 中心都市パンプロナの出身であった。ヒメナの名前はXemenoの女性形で、当時はシェメナ(Xemena)であったろう。中世に描かれた絵では、彼女の 名前がXemenergeと表記されている(下記画像向かって左の人物)。Jimenaは現在もスペイン人女性の名前として用いられる。 シェメノという個人名がバスク人のナバラ王国で最初に現れ、後にスペイン全土に拡散した事から、この名前がバスク語に由来するという 解釈はそれなりに説得力があると思う。


(オビエド(Oviedo)にある聖サルバドール大聖堂(Catedral de San Salvador)内にある絵(いつ頃描かれたものなのか判らなかった)。 絵の下の余白には、"? ADEFONSI REGIS ET XEMENE REGINE"(最初の単語は何だか私には判らない)と飾り文字で書かれている。「Alfonso王と Jimena王妃」ということだろう。regineはラrēgīna「女王、王女」の単数属格形rēgīnaeか?(regisはラrex「王」の単数属格形)。王の名は現代は Alfonso 3世とされるが、何故かこの絵ではAdefonsiになっている。興味深いが、調べだすと泥沼に嵌りそうなので、深追いするのは別の機会 (もしやるならAlonso姓の項で)にしたい。王妃の頭の上の文字XEMENERGEの後半の-RGEは、regine「王妃(の)」の略ということだろう)

●スペインの言語学者メネンデス・ピダル9(Ramón Menéndez Pidal:1869~1968)が提唱する説
『Oxford Names Companion』に引用されている10。それによると、ラテン語の文証されていない男子名スィミニウス (*Siminius)に由来するという。この人名の由来は定かでは無いが、次に挙げる印欧祖語で「1」を意味する語根から派生したケルト語人名との関連を 想定する説と軌を一つにしているように思う。

●印欧祖語*sem-「1」と関係付ける説
誰が言い出した説か判らないが、ベッカーの著書に見える3。それによれば、シェメノはケルト=イベリア語に由来し、 Samacia、Samaius、Samili、Semeliといった古い大陸ケルト語の個人名と関連し、印欧祖語*sem-「1」(cogn.英same「同じ」)に遡るという。

●新約聖書に登場する使徒シモン、シメオン(西Sim(e)ón)の名を語源とする説
これも誰が言い出した説かは判らないが古くからある説の様で、スペイン人の書いた苗字本ではこの解釈を採るものが殆どである 11。メネンデス・ピダルも有力視しているらしいが3、ベッカーや『Oxford Names Companion』は疑問視している。


以上の様な語源説があるわけだが、どれも決定的であるとは言いがたい。状況証拠からすると、イリゴージェンのバスク語由来説が優勢かもしれ ない。然し、ベッカーが言うように語頭にE-を持つ形が祖形であるならば、その語源は皆目見当が付かない。所で、スペイン語に良く見られる -ez接尾辞を持つ姓は、本来は中世に第二名として用いられた父称であった12。例えば、シェメノという名の 父親にドミンゴという息子が生まれた場合、息子の名はDomingo Xemenezといった。従って、当然第二名は世代ごとに変わる。この第二名は スペインでは13世紀頃に廃用となったが、姓として化石的に残った12。従って、ヒメネス姓は「シェメノ(Xemeno)の 息子」という意味になるわけである。
[Tibón(1988)p.225,Faure et al.(2009)p.443,Elián(2001)p.154,Alcántara(2004)p.119-120,ONC(2002)p.326]
1 www.ueu.org/download/liburua/Euskaldeiturategia.pdf
2 http://www.high-edu.tohoku.ac.jp/~mshigaki/apellidos.html
3 Becker(2009)p.455-463
4 http://www.panix.com/~gabriel/public-bin/showfinal.cgi/2412.txt
5 http://fr.wikipedia.org/wiki/Don_Quichotte
6 http://en.wiktionary.org/wiki/seme#Basque
7 http://en.wikipedia.org/wiki/Jim%C3%A9nez_(surname)、http://fr.wikipedia.org/wiki/Jim%C3%A9nez
8 Löpelmann(1968)p.xvi
9 余談だが、彼は中世スペイン文学の重要文献『我がシドの歌』の名付け親である。
10 ONC(2002)p.326
11 Tibón(1988)p.225,Elián(2001)p.154,Alcántara(2004)p.119-120はいずれも当説だけを採用している。Faure et al.(2009)p.443も 最有力視する。
12 Faure et al.(2009)p.XL-XLI

執筆記録:
2012年6月8日  初稿アップ
PIE語根Jimén-ez:1.語源不明;2.バスク語由来

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