Gulli(c)ksson グッリクソン(スウェーデン)
概要
「神+遊び」を意味する古ノルド語の男名グズレイクル(Guðleikr)に遡る。
詳細
Petro Gudleiki filio(1299年Nordfjord(ノルウェー西部)(?):兵士)1
Pär Gulliksson(1617年Vissland(ヴェステルノールランド県))2

父称姓。発音は/グッリクソン/。Gullikssonの綴りが一般的で、ヴェステルノールランド(Västernorrland)県に98件(内エルン シェルツビク(Örnsköldsvik)市49件、スンツバル(Sundsvall)市26件)、ストックホルム県に60件(内ストックホルム市18件) 確認される。Gullickssonの綴りはヴェルムランド(Värmland)県に8件確認される稀姓。また、グッリクセン(Gulli(c)kssen)の 姓もある。ノルウェーにも同源のグッリクセン(Gulliksen)姓があり、同国で261番目に多い姓。いずれも、「Gullikの息子」を 意味する(スウェーデンson「息子」)。グッリク(Gullik)3はスウェーデン、ノルウェー両国で現在も用いられている男名で、 本来はGudleik3という男名のノルウェー西部・スウェーデン北部方言形である。現在は方言形 Gullikの方が、Gudleikよりも多く用いられている。

いずれにしても、これらの名前は語源的には古ノルド語の男名グズレイクル(Guðleikr)4に遡る。 Guðleikrの原義であるが、後半要素は古ノルドleikr「遊び」5で、人名要素としては多くの場合 第二要素に用いられる(英語やドイツ語でも同様)。問題は第一要素であるが、古ノルドguð,goð「神」 6に由来するとみるのが最も妥当である4, 7。古ノルドgóðr「良い」 6に由来するとする説がハンクス(Patrick Hanks)の『Dictionary of American Family Names』に 掲載されているらしいが8、古ノルドgóðr「良い」を誤ってguðの形にしていたり、古ノルドleikr に「戦い、苦闘(fight, struggle)」という確認されていない語義を設定していたりと9、全体的に いい加減な説明がなされている。

また、ノルウェーの神学者ストゥイレン(Bernt Andreas Støylen)が著した洗礼名辞典のGudleik項によれば、名前の意味を 「戦いの遊び(stridsleg)」、「軍神の遊戯(stridsgudindens leg)」としているが3、これは第一要素を ゲルマン*ʒunþjō「戦い」とする解釈である。然し、実際には古ノルド語の対応形はgunnr「戦い」10で あり、この要素を持つ人名もGunhildr、Gunnar等、gun(n)-の形を持つ。ゲルマン*-nþ-は、古ノルド語で-nn-になったり、 -ð-になったりし、どういう法則性が有るのか良く判らない。例として、ゲルマン*munþaz「口」から古ノルドmuðr, munnr「口」の両形が、 ゲルマン*tanþ-「歯」から古ノルドtnn「歯」が、ゲルマン*sanþaz「真実の」から古ノルド sannr「真実の」が、ゲルマン*sunþa-「南の」から古ノルドsuðr「南の」が、ゲルマン*kunþaz「有名な」から古ノルドkunnr「有名な、 熟練した」が挙げられる。他のゲルマン語では*-nþ-[nθ]という二重子音の音韻変化は一種類に統一されているのに 11、古ノルド語だけ二種類の変化を持つ理由は筆者には判らないが(方言の問題かもしれない)、 この伝でいくと未確認の*guðr「戦い」という語が、古ノルド語に存在していたとみるのもあながち誤りではないと言える。 尚、この「戦い+遊び」という要素で構成された名前は、他のゲルマン語にも古高独グンデライクス(Gundelaicus) 12と古英グースラーク(Guthlac)13という語源上対応する名前がある。 但し、「神+遊び」の組み合わせでも、古ザクセン ゴドレーク(Godolec)14と古英ゴトラーク(Gotlac) 15の対応名が存在する(但し、こちらは「良い+遊び」とも解釈できる)。

以上の様に、どれでも有り得そうだが、語形と文証の点から第一要素は古ノルドguð「神」とみるのが妥当であろう。尚、Guðleikrの -ðl-という子音列が-ll-に同化したした理由は未確認。

Guðleikrは『聖王オーラーフの伝説(Saga Olafs konungs ens Helga)』(11世紀の実在のノルウェー王を題材とする。13世紀に成立)という 古い説話にも登場する名前である。同書49節に、Guðleicr、又はGvðleicrの形で見える16

ビル・ガリクソン(William Lee Gullickson)(1959.2.20Marshall(ミネソタ州)~)は米国の野球選手。彼の先祖がスウェーデン出自なのかどうかは 確認が取れなかった。いずれにしても、Gullicksonという綴りはスウェーデン・ノルウェー両国には見られないので、 元祖形のGulli(c)kssonの2つ連続する-s-の内、属格語尾を現す最初の-s-を取っ払って英語化したものと考えられる。
[Dictionary of American Family Names]
◆古ノルドguð,goð「神」←ゲルマン*ʒuðam(a語幹中性名詞)「神」((古)英,古フリジア,古低地フランク,古ザクセン,オランダ god「神」,古高独got「神」,ゴートguþ「神」)←PIE*ghu-to-m「(呪文で)祈られるもの、神」(*ghu-(ゼロ階梯形)+*-to-(分詞語尾)+*-m (中性名詞語尾))←*gheu(ə)-「呼ぶ、祈る」(サンスクリットhūtá-「祈られる」(<サンスクリットhū-「祈る」)) 伝統的な解釈だが、疑問点もある(後述)17
ワトキンズ(Calvert Watkins)は*gheu(ə)-「呼ぶ、祈る」ではなく、寧ろPIE*gheu-「注ぐ」に由来する説を唱えている。 以下にWatkins(2000)p.31に載っているコラムの抄訳(私の補足も織り交ぜてある)。「注ぐ」という語が宗教用語として重要な役割を果たしている。 「注ぐ」という行為は、「お神酒」や「生贄に液体を注ぐこと」や「埋葬の為に土を振りかける」といった宗教儀式と結びつく。 例えば、ギリシア語に見られる言い回しkhutē gaia「注がれた土」は、埋葬による盛り土を現す為に用いられた。 このkhutēはPIE*gheu-「注ぐ」の分詞形*ghu-to-「注がれた」に遡る。この*ghu-to-の中性形*ghu-to-mが、ゲルマン語に於ける 規則的音変化を経ればゲルマン*ʒuðamの形が得られる。先述のギリシア語の事実を鑑みると、このゲルマン語は埋葬の盛り土に 内在する霊を表していたのかもしれない。語根を*gheu(ə)-「呼ぶ、祈る」ではなく*gheu-「注ぐ」と見るには、2つの利点が有る。 一つは、ゲルマン*ʒuðamが中性名詞である事を説明できる(もし今日の「神」の感覚で作られた語彙であるならば、男性名詞の筈)。 今一つは、*gheu(ə)-が語根だと、語根末の喉音əが消失する際に代償延長を引き起こす為、ゲルマン語形が*ʒūðamになる 筈である(文証されるゲルマン語派内の全ての対応語は短母音である)。
結構説得力のある説明ではないだろうかと私は思う。確かに、「呼びかけ」に答えられるのは人格を持ったモノのはずであり、 それが無性の中性名詞というのも可笑しな話ではある(ただ*ʒuðamの母音の長短に関しては、何らかの単語との類推が働いて 短母音化したとも考えられるので、当てには出来ないだろう)。
所で、ゲルマン*ʒuðamとPIE*gheu-「注ぐ」を結びつける解釈は、ワトキンズが最初ではない。バック(Carl Darling Buck)の 著書に既にこの説が採用されているからである18。それによれば、*gheu-「注ぐ」の対応語である サンスクリットhu-「奉納物に注ぐ、生贄を捧げる(pour an oblation, make an offering)」を挙げて、「注ぐ」と「神」との 関係性を補強しているいる。この動詞がどの様な文脈で用いられているのか大変興味深いところである。一方、石川光庸訳著 『古ザクセン語ヘーリアント(救世主)』(2002)p.21にも次の様な興味深い記事がある。古ザクセンgod「神」の語源説として、 ①「呼びかけられるべき存在」、②「供物を捧げられるべき存在」、③「青銅で鋳られたもの」の三つを挙げているのだ。①は既出の 伝統的解釈である。そして②だが、前述のサンスクリットの動詞との関係が明白である。③も英ingot「金属の鋳型」の-gotが 他でもない*gheu-「注ぐ」に遡る事を考慮すれば、②も③も共にPIE*gheu-「注ぐ」を語根と想定している事が予想される。然し、 「青銅で鋳られたもの」というのは、何を指してのものなのだろうか。もしかして「青銅製の神像」が原義と想定しているのなら、 少々幼稚過ぎはしないか。
尚、現代のゲルマン諸語で*ʒūðamの末裔は独Gott「神」の様に男性名詞であるが、これはキリスト教普及下でラテン語の deus「神」やdominus「主」(いずれも男性名詞)の影響により性転換したもの(前掲の石川光庸(2002)p.17-18)。
1 Grímur Jónsson Thorkelin, Agnus Magnusson "Diplomatarium Arna-Magnaeanum exhibens Monumenta diplomatica quae collegit et universitati Havniensi."(1786)p.50 原文は以下の通り。"data dextra a Domino Petro Gudleiki filio XIV manada matbol prædii Eidi ad Nordfiordas pro XXI march."・・・Nordfiordasをノルウェー 西部のフィヨルドNordfjordと解釈した(確証は無い)。"Gudleiki filio"は「グドレイクの息子」の意で、Petroにかかる。 他のゲルマン語文献では、例えばRobertus filius Guthlach(英国1187年(Reaney(1995)p.199))の様に、大抵filius「息子」の 後に父親の名前を置くが、ここでは逆になっている。同文献の他の箇所でもそうなっているので、ノルウェーに於ける中世 ラテン語表記の習慣なのかもしれないが、中世ラテン語はさっぱりなので判らない。当時ノルウェーには姓は無いので 父称である。この一文はmanadaとかmatbolとか、訳の判らん単語が現れており訳せられない。この人物は他の文献にも現れて おり、そこにはmilite「兵士」とある(Peter A. Munch "Bergens kalvskind"(1843)p.95)。
2 http://www.farm.se/antavla/platser/Torp.html これも姓ではなく父称。
3 Støylen(1887)p.31
4 http://www.nordicnames.de/wiki/Gu%C3%B0leikr
5 Köbler anW L項p.7、de Vries anW. vol.6 p.351
6 Köbler anW G項p.21,p.30
7 http://www.vikinganswerlady.com/ONMensNames.shtml#God
8 http://www.ancestry.com/facts/gullickson-family-history.ashx このサイトの姓の語源 説明はハンクスの『Dictionary of American Family Names』を下敷きにしている。筆者は本書は所持していない(三巻本 なので邪魔になるのと、同じ著者の共著による『Oxford Names Companion』と内容が重複してる箇所が多い為)。
9 同語源の古英lāc「遊び、戦い、犠牲」と混同している可能性がある。
10 Köbler anW G項p.32
11 高地ドイツ語では-nd-に転じ、英語ではnが消失して直前の母音を延長させた(ゴート語は-nþ-のまま)。いずれも例外が無く、 有ったとしても特殊な事情による。例えば、独Süden「南」は-nd-への変化と合わないが、この語は低地ドイツ語からの借用。
12 Förstemann(1966)sp.566
13 Searle(1969)p.273
14 Förstemann(1966)sp.537
15 Searle(1969)p.557
16 Peter Andreas Munch,Carl Rikard Unger編"Saga Olafs konungs ens Helga"(1853)p.50
17 語語源辞典p.581、Watkins(2000)p.31、Pokorny(1959)p.413、Köbler idgW Gh項p.6、 Wahrig(1981)sp.1605
18 Buck(1949)p.1464-1465

執筆記録:
2011年3月29日  初稿アップ
PIE語根Gu-l-li(c)k-s-so-n: 1.*gheu-「(お神酒を)注ぐ」、或いは *gheu(ə)-「呼ぶ、祈る」; 2.*-to- 分詞・形容詞・名詞形成接尾辞; 3.*leig-³「飛び跳ねる、震える」; 4.*-és 属格語尾; 5.*seuə-¹「産む」; 6.*-nu- 動詞現在時制形形成接尾辞

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