概要
①バイエルンのグライズィング(Greising)(原義「*Grīso(人名:「灰色」の意)一族の所領地」)という地名に由来。
②オーストリアのグライズィング(Greising)(原義「梨川」、又は「ガレ場川、玉石川」)という地名に由来。
詳細
地名姓。米国出身のプロ野球選手(投手)セス・アダム・グライシンガー(Seth Adam Greisinger:1975.7.29 Kansas City(カンザス州)~)の姓。
ドイツ系で、ドイツ語ではグライズィンガーと読む。ドイツではバイエルン州に多い姓だが、中でも2ヵ所に分布が分かれている。一方はチェコに
国境を接するカム(Cham)郡とその周辺域、もう一方はバイエルン南部のガルミッシュ・パルテンキルヒェン郡やローゼンハイム郡といった
オーストリア国境に臨む一帯である。オーストリアでは、北部のオーバーエーステライヒ州東部ぺルク(Perg)郡にも多く見られる。
いずれにしても、グライズィング(Greising)という地名に由来する姓であるが、バイエルンのものと、オーストリアのものとでは、起源が
全く異なる。以下に詳述する。
①バイエルン州南東部のデッゲンドルフ(Deggendorf)郡デッゲンドルフ市内ミートラッヒング(Mietraching)にGreisingという小地名があり、この
地を発祥とすると考えられる。バイエルン内の苗字の分布も、当地からさほど遠くない。
Aber Greising LXX metzen hebern, ...(1240年)1
上記の記録はバイエルンの古文書叢書『モヌメンタ・ボイカ(Monumenta Boica)』36巻から抽出。モヌメンタ・ボイカの別巻にもデッゲンドルフ
(Tekendorf)付近の地名として全く同じ綴りで現れており2、どうも現在の語形は初形から殆ど変化していないらしい。
これらの古い語形から単純なゲルマン系の-ing(en)地名と判断できる。この手の地名の第一要素は大抵人名に起因している。当地名では、恐らく
古高独の男子名*Grīsoを起源に持つとみて間違いないだろう(まるぴこす説)。この男名は文証されていないが、擬ラテン語形のGrisusで用例がある
3。人名は古高独grīs「灰色の」4(>独《古語》greis「灰色の」)に由来する。古高独grīsは
稀だが二要素複合名にも用いられ、Crisulf3の名が記録にある(語頭子音g→kの変化は、ドイツ語圏南部方言を反映して
いる)。グリゼルダ(Griselda)という女名の第一要素も同じ。従って地名は、「グリーソ(*Grīso:人名、「灰色」の意)一族の所領地」を意味している。
[Gottschald(1982)p.220]
Andream Greiſenekker(1470年オーストリア)5
②墺ぺルク郡分布のGreisinger姓は、ぺルク郡の北隣のフライシュタット(Freistadt)郡(オーバーエーステライヒ州)内プレーガルテン(Pregarten)
町内の小地名グライズィング(Greising)に由来する。
Chunradus de Grusnik(1268年:人名)6
地名はスラヴ*Grušьnika6(*Grušĭnika)に由来する。元、スラヴ*gruša「洋ナシ(の木)」(露*grúša,ポーランドgrusza,スロヴェニアhruška,≪方言≫
gruška,チェコhruška:←?。語源不明)に接尾辞が付随して生じた派生語6, 7。固有名詞学者達によると、この派生語は
「岸に洋ナシの木が生える川、梨川」の意であり、本来は川の名で後に集落名に転用されたと唱える7。河川名自体は消失。
又、スロヴェニアgruh「瓦礫(Steingeröll, Schutt)」、gruša「大粒の砂、川原石(grober Sand, Schotter)」に由来する可能性も指摘している
7。その場合は「ガレ場川、玉石川」の意である。オーストリア東部に見られる稀姓グライゼネッガー(Greisenegger)も
同語源の苗字と思われる。
[Gottschald(1982)p.220]
◆古高独grīs「灰色の」←ゲルマン*grīs(j)az「灰色の」(古フリジアgrīs「灰色の」,古ザクセンgrīs「灰色の、高齢の」,仏gris「灰色の」)←PIE*ghrē-
(恐らく何らかの拡張形のゼロ階梯形)←*gher-「輝く、灼熱する;灰色の」(古アイルランドgrían「太陽」,古教会スラヴzĭrěti「見る」,リトアニアžerė́ti
「光を発する」)8。語根*gher-からゲルマン祖語形*grīs(j)azの詳しい派生過程が良く判らない。少し無理があるように
思える。ゲルマン語の本来語ではなく、ケルト語を経由しての借用かもしれない(PIE*ē→ケルト*ī(ゲルマンは*ē))。
1 "Monumenta Boica. vol.36"(1852)p.473
2 "Monumentorum Boicorum. vol.9 part.2"(1861)p.307の脚注1にみえる。残念ながら"Cod. III"という古文書のp.252からの引用と
あるのみで、年代が判らない。前後にTawsch(現Tausch)、Fronræut(現Frohnreut)、Reiprehting(現Reinprechting)、Simling(現Simmling)、Schathaim(現Scheidham)、
Tættengerg(|sic|:現Tattenberg)等のGreising周辺に見られる小地名が列挙されている。
3 Förstemann(1966)sp.551
4 Köbler ahdW G項p.256
5 Hieronymus Pez,Ottokar (von Steiermark) "Scriptores rerum Austriacarum veteres ac genuini. vol.2"(1725)p.436
6 Albrecht Greule et al. "Studien zu Literatur, Sprache und Geschichte in Europa: Wolfgang Haubrichs zum 65.
Geburtstag gewidmet."(2008)p.582
7 Hohensinner & Wiesinger(2003)p.122-123、Christa Hlawinka "Slawische Sprachspuren im Mühlviertel"(2009)p.64
(http://othes.univie.ac.at/5084/1/2009-05-25_9847452.pdf)
8 英語語源辞典p.594、Watkins(2000)p.30、Pokorny(1959)p.441、Köbler idgW Gh項p.34-35
執筆記録:
2012年5月20日 初稿アップ
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