概要
①中低独gnist「疥癬、発疹」,中高独gnīst「頭皮にこびり付いた汚れ、かさぶた」に由来し、「皮膚病のある人、汚い人」を表わす。
②中高独g(e)neiste,ganeist「火花」に由来し、「活気のある人、鍛冶屋」を意味する姓。
③独≪Idstein方言:男性名詞≫Gneist「バラ科バラ亜科キジムシロ属の多年草」に由来か。
④ポーランド北部の小地名Knis(独名Gneist)に由来。地名の意味は不明。
⑤独東部の町Kembergの小地名グニースト(Gniest:←古ソルブ*gnězdo「巣」)に由来。
詳細
ドイツ(プロイセン)の法学者、政治家ルドルフ・フォン・グナイスト(Rudolf von Gneist:1816.8.13 Berlin~1895.7.22同地)の姓。憲法作成の参考に
渡欧した伊藤博文らに法を教えた事で知られる。現在はベルリンやザクセンアンハルト州南部のハレ(Halle)市とその周辺域に分布が集中しており、
ドイツ北部に比較的多いといえる。南部ではミュンヘンにも多い。戦前(1942年)の記録では、ザクセン=アンハルト州ツァイツ(Zeitz)市のカイナ(Kayna)
等に多く見られ、大体今の集住地に同じだが、ポーランド北西部にも若干の分布地が見られる。語源により、数系に分けられる。
Hermannum Gnyst(1334年Kraków(ポーランド、マウォポルスカ県))1
Stanislaus dictus Gnyst, ... Stanislaus Gnyst(1373年Bocheń(ポーランド、ウッチ県))2
Heinricus Knaust(1537年Hamburg)3
Michael Gneust(1618年Maschwitz(ザクセン=アンハルト州Landsberg))4
①ニックネーム姓。中低独gnīst「疥癬、発疹」5,中高独gnīst「頭皮にこびり付いた汚れ、かさぶた」6, 7
,独≪チロル方言≫gneist「木端微塵、削りかす(kleingeschnittenes oder geschabtes zeug)」6, 7,独≪バイエルン方言≫
gnist「生ゴミ(quisquiliae)」7,独≪ライン方言:男性名詞≫Gneist,Gnaust,Gnast,Gnost「頭皮にこびりついている皮脂汚れ
(或いはかさぶた)、(特に皮脂や鼻水による)服の汚れ」8, 9(この単語はStielerという人によると、1482年に長母音を示す
gnîstの綴りが有る事が指摘されている)8に由来し、「かさぶたのある人、皮膚病のある人、フケや落屑(ラクセツ)の多い人、
汚い人」等を表わしたと考えられる渾名に由来する。
ドイツ西部のライン地方の方言には、上記語以外にも語頭子音が無声音化したKnies、Knas「((特に)べたべたした農場の)汚れ・ゴミ」という語も有る。
デュッセルドルフの郷土史家のシュポーア(Heinrich Spohr)の記事によると、以下のような事が書かれている。
"家屋の部屋の角隅を掃除しないとKnies「汚れ」が溜まり、また特に襟袖等の衣服の汚れの名称にもこの語が使われる。又、頭皮のかさぶたや
洗ってない耳の裏側のかさぶたも意味する。また、二人の人物が喧嘩しあっている様を表わす表現にもKniesの語が用いられる:
Dat Lissa hät ständech met dem Hännes Knies(リサはハンスといつも喧嘩している)。派生語のKniesbüüdelとかKniesterは、いずれも
「けちん坊、吝嗇家」だけでなく、「不潔な不精者」をも意味する。派生表現では、Knisterhannes「みすぼらしい守銭奴」という古い言い回しもある。
ゲレスハイム(Gerresheim)ではkniestech「不潔な、べとべとする」という形容詞が良く用いられている。14世紀以降、主にラインラントで
「物や体の表面についている汚れ」を意味するKnies、Kneis、Kneist、Knist、Gneistという語の使用例が確認されている。"
10
以上のように、「汚い人、みすぼらしい人」というイメージが付いた名前であることが分かる。
[Gottschald(1982)p.213, Zoder vol.1(1968)p.583, Kunze(2004)p.145]
②ニックネーム姓、職業姓。中高独g(e)neiste,ganeist「火花」11(>独Gneis「片麻岩」,Gneist「火花」)に由来し、「火花の
様にきらめく如く活気のある人」、或いは「鉄鍛冶屋」の様に「火花の出る仕事をしてた人」を表す姓。この語は低地ドイツ語には記録が無く(記録されて
いないだけかもしれない)、代わりに低独で「火花」を表わす語はvunke(=独Funke)とsparke(=英spark)の二語が知られている(逆に中低独sparkeの
対応語が高地ドイツ語には無い)。
[Gottschald(1982)p.213, Bahlow(2002)p.160, Heintze(1933)p.219, Pott(1859)p.676]
③ニックネーム姓。独≪Idstein方言:男性名詞≫Gneist「バラ科バラ亜科キジムシロ属の多年草の一種(silberfarbiges Fingerkraut:
学名Potentilla argentea)」8に由来する可能性もある。
H. de Gniets(1228年Hamburg)12
=Hinricus Gnist(1228年Hamburg)13
④地名姓。ポーランド北部ヴァルミア=マズールィ県ギジツコ(Giżycko)郡ルィン(Ryn)村の小地名クニス(Knis)、ドイツ語名グナイスト(Gneist)に
由来する。
Gneist(1507/1539/1790年)14
Gnieſt oder Knies(1785年)15
Knis(1883年)14
バルト語起源と考えられているが、詳しい語源は不明14。あまり古い記録が無く、古形も現名と殆ど同じで、解釈の妨げになっている。或いは、
ドイツ人の人名が基になった地名であるかもしれず、①と同語源の可能性もあるのではないだろうか。
[Gottschald(1982)p.213, Zoder vol.1(1968)p.583]
⑤地名姓。独東部ザクセン=アンハルト州東部ヴィッテンベルク(Wittenberg)郡ケンベルク(Kemberg)町ロッタ(Rotta)の小地名グニースト(Gniest)に
由来する(マルピコス説)。
bey dem wüsten Dorffe Gnyst(1323年)16, 17, 18
Kniest/Gnist(1388/1440年)16
Gnyst(1410/1528/1533年)16
Gnist(1442/1503年)16
Gnyste(1503年)16
Gnyest(1503年)16
Gniest(1555/1753年)16
Chniest(1577年)16, 19
Genist(1617年)16
Gneist(1791年)16
古ソルブ*gnězdo「巣」(高地ソルブhnězdo,低地ソルブgnězdo「巣」)に由来し、「巣のある場所」を意味すると考えられている16。
◆中低独gnīst「疥癬、発疹」←(?)中低独gnīden「擦る、つるつるにする、アイロンをかける」←古ザクセン*gnīdan←ゲルマン*gneidan,*gnīdan「擦る」。
cf.↓
◆中高独gnīst「かさぶた」←(?)中高独gnīten,gnīden「擦る」←古高独gnītan,knītan「擦る、踏み鳴らす」←ゲルマン*gneidan,*gnīdan「擦る」(古英gnīdan,
cnīdan「擦る、挽く、細かく砕く」,古ノルドgniða「擦る」)←PIE*ghneid(h)-「齧る、掻く、擦る」(拡張形)←*ghnei-(拡張形)←(?)*ghen-「齧る、引っ掻く」
(ギkhníein「滴る」,古教会スラヴgniti「腐る」,ラトヴィアgnīde「ぼろぼろの肌」,gnīda「虱の卵」(スラヴ語からの借用?))7, 20
。中高独,中低独gnīstは動詞からの派生と思われるが、どの様なメカニズムで形成されているのか今一解らない。音韻的に似たような形成条件が
見られる語としては英red「赤い」,rust「錆」があり、参考になりそうだ。
PIE*reudh-「赤い」→(o階梯)*roudh-→ゲルマン*raudaz「赤い」→古英rēad「赤い」→英red「赤い」
PIE*reudh-「赤い」→(ゼロ階梯+接尾辞)*rudh-sto-→ゲルマン*rustaz「錆」→古英rūst「錆」→英rust「錆」
古高独gnītan「擦る」はPIE*ghneid(h)-の正常階梯から、中高独gnīst「かさぶた」はそのゼロ階梯形に接尾辞の付いたPIE*ghnid(h)-st-から
生じ、後者は歯茎音の連続の為-d(h)-が消失して直前の母音-i-が代償延長されたとも考えられそうだ(私の勝手な解釈)。これが正しいなら、
PIE祖語に想定される「引っ掻く」の意味から、「かさぶた、落屑」の意味は自然に導き出せられるんではないだろうか。取りあえず、*ghen-「齧る、
引っ掻く」に遡らせる説が各所で見られるので、これに便乗して自分なりに説明を試みてみた。
◆中高独g(e)neiste,ganeist(er)「火花」←古高独ganeist(a),g(n)aneistra,gnaneist(a),gneista,gneisto,gnanisto「火花」←(?)ゲルマン*gaχnaistōn
(n語幹男性名詞)「火花」(古英gnāst「火花」,中蘭genster「火花」,古ノルドgneisti「火花」)←(?)*ga-(集合を表わす接頭辞:←PIE*kom「~のそばに、~と
共に」)+ゲルマン*χnaistōn「火花」←?。語源不明21, 22。
全く語源の明らかでない単語で、ドイツ語内での本語の歴史的語形は相当の混乱が見られる。上掲説はフィック(A. Fick)が1873年に提出した説で、
語頭のg-はゲルマン語の完了・集合分詞を形成する接頭辞*ga-(ラcom-「~と共に」と同語源)に由来すると見ている。フィックが第二要素の語頭に
摩擦音χ-を付加している理由は良く解らないが、『ヴァーリヒ独独辞典』等では、この「火花」を意味するゲルマン語とサンスクリットkana「火花」との
関係を示唆しており11, 23、この提案と関係が有ると思われる(PIE*kはゲルマン*χ(=h)に変化)。然し、文証されている
語形からは、これを裏付ける形は発見されていない。又、古英gnāstの対応や古高独でgn-で始まる形も多い事から、ゲルマン祖語形は*gnaistōnと
再建する事も可能であり、むしろこちらの方が自然ではないかと私自身は思う。ga-の様な形が現れたのは、本来的なgn-のg-がga-接頭辞の短縮と
誤解されて起きた過剰修正の可能性があるのではないだろうか。ゲルマン*gnaistōnからはPIE*ghnoi-st-が出力され、これは上掲のPIE*ghen-「引っ掻く、ポンと割る」の
拡張形*ghnei-の派生形と考えることが可能である。かなりこじ付け臭いが、火花が金属や鉱物が触れ合って出る事に注目した命名と取れなくも無い
(やっぱ、ちょっと胡散臭い・・・か)。*ghen-「引っ掻く、ポンと割る、齧る」に遡らせる説は既に誰かに唱えられていそうな気がするが、取り敢えずここではフィックの
従来説に従っておく。
尚、ゲルマン祖語形を*gan-eistaと区切り、第一要素をPIE*ghen-「引っ掻く」、第二要素をPIE*aidh-「焼く」(古英ād「火葬用の薪の山、炎」,ラaedēs「暖炉、神の
住みか」,Aetna「エトナ(Etna)火山」,ギaîthos「炎」,古アイルランドaed「炎」)(<*ai-「焼く」)より形成されると見るヨハンソン(Johansson)の説は
、今日受け入れられていない22, 24。古プロシアknaistis「火事」は、ゲルマン語からの借用。
◆古ソルブ*gnězdo「巣」←スラヴ*gnězdo(o語幹中性名詞)「巣」(露gnezdó「巣」,ウクライナhnizdó「巣」,ベラルーシhnjazdó「巣」,ポーランドgniazdo「巣」,
チェコhnízdo「巣」,スロヴァキアhniezdo「巣」,ブルガリアgnezdó「巣」,スロヴェニアgnezdo「巣」,セルボ=クロアティアgnijezdo「巣」)(変形)←
PIE*nisdós「巣」(ラnīdus「巣」,ウェールズnyth「巣」,英nest「巣」,リトアニアlìzdas「巣」,サンスクリットnīḍá「休息所」,アルメニアnist「巣」)←
*ni「下に」+*sed-「座る」25, 26。
英nest「巣」と同語源。語頭子音のg-や語根母音の-ě-が不規則だが、これはスラヴ祖語における*gnědŭ「栗毛の馬」,*gnětiti「火をつける」等、
他の*gně-を語頭に持つ語彙からの影響によるものと説明されている。他にも、スラヴ*gnesti「押す、圧縮する」,*gnĭsĭ「敵意」等の影響が
指摘されている25。
1 Franciszek Piekosiński, Józef Szujski "Monumenta medii aevi historica res gestas poloniae illustrantis. vol.4:
Liber Actorum, Resignationum nec non ordinationum civitatis cracoviae. 1300-1375."(1878)p.122
2 "Zbiór dyplomów klasztoru Mogilskiego przy Krakowie."(1865)p.71
3 Karl Eduard Förstemann, Gotthold Naetebus "Album Academiae Vitebergensis: Ab a.Ch. MDII usque ad a. MDLX. vol.1"(1841)p.165
4 Albert Osterloh "Chronik Mötzlich 2012."(2012)p.53
5 Lübben(1888)p.126
6 Lexer vol.1(1872)sp.1042
7 http://web.ff.cuni.cz/cgi-bin/uaa_slovnik/gmc_search_v3?cmd=formquery2&query=gnist&startrow=1
8 Joseph Kehrein "Volkssprache und wörterbuch von Nassau."(1891)p.168
9 原文語義説明:die Gniste fest auf der Kopfhaut sitzender (Grind oder) Hautschmutz: Schmutz auf Kleidern, bs. von Rotz und Fett.
10 http://www.aldeduesseldorfer.de/glossar.php?id=14
11 Lexer vol.1(1872)sp.735
12 Johann Martin Lappenberg,Anton Hagedorn "Hamburgisches Urkundenbuch. vol.1"(1842)p.424
13 Wilhelm von Hodenberg "Urkundenbuch des Klosters Scharnebeck: Lüneburger Urkundenbuch, 13. Abt."(1979)p.148
14 Rozalia Przybytek "Ortsnamen baltischer Herkunft im südlichen Teil Ostpreussens."(1993)p.121
15 http://reader.digitale-sammlungen.de/de/fs1/object/display/bsb10000858_00339.html?zoom=0.8500000000000003
16 現在Google Book検索で閲覧不可能になっている文献資料からの引用。資料名をメモっていなかった為、出典不明。
17 Christian Schoettgen, Georges Christoph Kreysig et al. "Diplomataria et scriptores historiae
Germanicae medii aevi, cum sigillis aeri incisis. vol.3"(1760)p.406
18 "Onomastica Slavogermanica. vol.19"(1990)p.202
19 Karl Pallas "Die Registraturen der Kirchenvisitationen im ehemals sächsischen Kurkreise: Die Ephorien
Wittenberg, Kemberg und Zahna. Erster Teil."(1906)p.294
20 Pokorny(1959)p.436-437、http://www.koeblergerhard.de/idg/idg_gh.html
21 http://www.koeblergerhard.de/germ/germ_h.html
22 de Vries ANEW vol.3(1958)p.178
23 Wahrig独独辞典 Gneis項
24 Gottschald(1982)p.213
25 Černych(1993)vol.1 p.195
26 http://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Proto-Indo-European/nisd%C3%B3s
更新履歴:
2015年1月31日 初稿アップ
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