Gide ジッド(仏)
概要
①古英gid(d)「歌、詩」と同語源の語を第一要素にとるゲルマン語二要素複合名の短縮愛称形Gid(d)oに由来。「歌麿、詩ちゃん」の意。
②古高独Wido(←ゲルマンwiduz「木、森」)の古フランス語形Guidoの転訛Gidoの別読みから派生。
詳細
Benedictus, filius Gidonis(1085年Nouâtre(アンドル=エ=ロワール県))1
Jehan Gido(1587年Lussan(ガール県))2

父称姓。カナ転写は他にジイド、ジードが有る。フランス南東部のブーシュ=デュ=ローヌ県に特徴的な姓で、1891~1915年の統計ではフランス全国63件のうち、 59件が同県に属す(93.65%)。同県内ではマルティーグ(Martigues)マルセイユ(Marseille)に多い。 フランスの小説家アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド(André Paul Guillaume Gide:1869.11.22 Paris~1951.2.19 同地)の姓。父親のポール・ジッド (Paul Gide)は1832年5月15日、フランス南東部ガール県 ユゼス(Uzès)に生まれ、1866~1880年パリ大学法学部でローマ法を専門とした教授を務めた3。その父、小説家の祖父タンクレード(Paul Tancrède Gide)は ユゼスの北10kmに位置するリュサン(Lussan) という村に1800年4月8日に生まれている2。タンクレードは1830年にユゼスの治安判事(juge de paix)となり、1839年から1867年に亡くなるまで裁判官や 裁判長を務めた。

その父、小説家の曽祖父ジョゼフ(Joseph Etienne Théophile Gide)はジャン・ジッド(Jean Gide)の長男として1750年に誕生した (出生地はリュサンの様である)。ジャン・ジッドは1723年の生まれで、リュサンで羊毛業者の請求書作成係、卸売業者を生業とした人物であった。 ジャン・ジッドと同世代のジッド家の人物はパリやロレーヌ地方、イタリアのジェノヴァに分家を設立した者がいる。ジャンの父親は誰かは解らないが、 父親世代にはテオフィリュス・ジッド(Theophilus Gide:1682年生まれ~1765年以降没)という名前の1710年にドイツに亡命したユグノーがいるが、 テオフィリュスには子供はいなかった。テオフィリュスの父はエティエンヌ(Etienne Gide)といい、羊毛の梳毛工(ソモウコウ)を生業とし、エティエンヌの父はテオフィル (Théophile Gide)といい、サージ(serge:主に梳毛を用いた綾織物)作り職人であった。テオフィルの世代でそれまで名乗っていたジド(Gido)という姓を フランス語風のGideに改めた。テオフィルの2世代前の先祖が、上掲古姓欄に挙げたJehan Gidoというリュサンの人物で、小説家アンドレ・ジッドの 遡り得る最古の先祖である2。この人物はリュサンの財産台帳(compoix:南仏で課税割当を決定する為に用いられた)に見え、急激に財を成し、小さな邸宅、 牧草地、農園、麻畑、葡萄園、其の他の二つの土地を所有し、納税義務者として組み込まれていた事が分かっている4

このGidoという古いオック語プロヴァンス方言の苗字は男性の個人名に由来しているが、最初の子音字母Gが本来的にどの様な音を表す為の綴字であったか という解釈の違いによって二つの説が提唱可能である。以下に述べる。

①G-が硬口蓋化音の[dʒ]を表したと見る解釈。フランスの言語学者モルレはジッド姓の語源をゲルマン人の男名Gido、Gidon(後者は斜格形からの発達)に 設定し、ゲルマン語のgid「歌(chant)」から生じた名前とする5。ゲルマン*gid-という語は古英gid(d),gied(d),ged(d)「歌、詩、格言、謎々、演説」6という 中性名詞の事だが、ゲルマン語では古期英語以外には完全一致する対応語が知られていない。ケーブラーは古英gada「同志、仲間」6と関係付けており、意味・形態の面で その解釈が最も妥当だと思われる。即ち、英gather「集める」等と同根で、PIE*ghedh-「一体化する、結合する」に遡るとし、古英gid(d)の原義を「(言葉を) 綴ったもの」と解釈する案で、「歌、詩、格言、謎々、演説」の諸義の発達にも合点がいく。

古英gid(d)「歌、詩」は英語では極めて稀にしか人名要素として現れないが、Ghida7、Gidheard7、 Gidmondus(697年Rochester(ケント州)司教)8の男名用例が有る。大陸のゲルマン系個人名にもこの要素が散発的に出現している: Giddo(847年Paris)9、Gidbert(1179年Montsaunès(仏オート=ガロンヌ県))10、Gidfrit(773年Bergamo (伊、ロンバルディーア州))9、Gidelmus(1122年、シチリア)11、Gidmannus(13世紀末、Wien近郊) 12、Gitmarus(1516年Dacia Ripensis) 13、Gidricus(1300年、イタリアのどこか)14、Gidwinus(1138年、ベルギー) 15、Gydoin9、Gidulfus(791年Salzburg(オーストリア))16等。

以上のように、この要素を含む人名は結構記録に見える。古英gid(d)の対応語が他の西ゲルマン語にも存在し、それが人名に残存したと考える事が一応 可能である。Gido(n)はこの要素を第一要素に持つ男名の短縮愛称形だった。従って、その後裔であるGide姓の原義は「歌麿、詩ちゃん、格言ちゃん」と 言った意味になる。
[Morlet(1997)p.460, Cellard(1983)p.38, Larchey(1880)p.192]

②一方、キリスト教新教徒史学を専門とするフランスの歴史学者カバネル (Patrick Cabanel:トゥールーズ大学現代史学教授)は、このオック語の古姓Gidoは"Guido"と発音されていた筈だと述べている4。 中世のフランス語における綴字法では、ゲルマン語から借用した[w]の音は当時のフランス語に存在しなかった為、近似音の[gw]が 当てられた。この[gw]という音は綴り字では大抵gu-で表記したが、後に音の簡略化から[w]が脱落して[g]に変化した為、ゲルマン語の[w]起源の 綴りがフランス語でgで表記される場合も存在した。例えば、12世紀末フランス西部ローヌ県のリヨン(Lyon)近郊の都市ヴォー(Vaulx-en-Velin)で次の様な記録が見える。

ante magistrum Anselmum et Gillelmum Falconis ... in domo Villelmi Falconis17
ドイツ語のヴィルヘルム(Wilhelm)に相当する名前。同一文内で異なる綴りが使われている(下掲写真参照)。


frater Guigo, claviger18frater Gygo, claviger19
ゲルマン*wigan「戦う」,*weigaz「戦い」20を第一要素に持つ男名の短縮名で、古高独Wigo21という 男名に相同。

そして、今回問題となっているGide姓の語源となり得る男名でも同様の例が見える。
Guido prepositus22Gido prepositus23
この男名は現代フランス語の男名ギー(Guy)に対応しており、イタリア語の男名グイード(Guido)も同語源である。古高独Wido24と いう男名に相同で、ゲルマン*widuz「木、森」20(英wood「森」)に個別化・特定化を表す接尾辞*-ōnが接続して生じた。これは*widuz 「木、森」を第一要素にとる男名の短縮愛称形としても機能したので、「森ちゃん、樹木ちゃん」みたいな意味の名である。ゲルマン語のWidoという男名が 古フランス語でGuido24として借用され、語頭子音の単純化でGidoという語形も異形の一つとして許容された。更にこれが 前舌母音iが後続している事から語頭のG-を誤って、或いは意図的に硬口蓋化音の[dʒ]で読まれて、現在のジッドと言う発音に転じた、と見なす事が出来る。

尚、『Oxford Names Companion』では仏姓Gideは語源不詳のゲルマン人の男名Gid(d)oに由来するとし、この男名はhild「戦い」という要素から構成される 二要素複合個人名の愛称形に相当するかもしれないとしている。記述の前半は判るが、後半は全く要領を得ない説明である。これは何が言いたいのかと 言うと、恐らく古高独hiltia,古ザクセンhild「戦い」25を第一要素に持つ男名の短縮愛称形にHiddo(1092年Hildesheim(独、 ニーダーザクセン州))26という形が有るので、それと関係が有るのではないかと 言いいたいのだと思う。そこから、語頭のH-が硬化して軟口蓋破裂音[g]に転じ、Giddoとなったと想定しているのであろう。h→gという変化は、 ゲルマン語の語頭子音クラスターhl-とhr-がフランス語化した場合にのみ見られる現象で、Hiddoの様な母音が直後に続く場合は発生しない(この場合はそのまま/h/で受容された)。 音韻的には無理が有るので、真っ先に排除されるべき説である。既に見たように、①と②で十分説得力のある説明が可能なため、 今更この様な問題のある説明には価値を見出せない。
1 Casimir Chevalier "Cartulaire de l'Abbaye de Noyers."(2010)p.146
2 http://e-gide.blogspot.jp/2015_08_01_archive.html
3 http://gw.geneanet.org/garric?lang=fr&p=paul&n=gide
4 Patrick Cabanel "Itinéraires protestants en Languedoc du XVIe au XXe siècle: Espace gardois."(2000)p.167
5 Morlet(1997)p.460
6 http://www.koeblergerhard.de/ae/ae_g.html
7 Searle(1969)p.257
8 Louis Ellies Du Pin "Kurtzer-Begriff Der gantzen Kirchen-Historie Von Anfang der Welt biß auf unsere Zeit. vol.2"(1713)p.599
9 Förstemann(1966)sp.513
10 "Etudes sur les Idiomes Pyreneens de la Region Francaise."(1973)p.312
11 "La Calabria Sacra E Profana Opera Del Secolo Decimosettimo."(1877)p.210
12 Benedict Gsell "Das Gültenbuch des Cistercienser-Stiftes Heiligenkreuz aus dem Ende des dreizehnten Jahrhunderts."(1866)p.38
13 Samfundet for Dansk genealogi og personalhistorie "Personalhistorisk tidsskrift."(1926)p.120
14 Giuseppe Bianchi "Thesaurus ecclesiae Aquilejensis, Opus sæculi XIV. quod cum ad Archiepiscopalem sedem nuper restitutam Zacharias Bricito."(1867)p.91
15 Aubert Le Mire, Jean François Foppens "Auberti Miraei. Opera diplomatic et historica."(1723)p.387
16 "Archiv für Österreichische Geschichte. vol.37"(1867)p.6
17 "Bulletin"()p.406
18 ibid. p.436
19 ibid. p.435
20 http://www.koeblergerhard.de/germ/germ_w.html
21 Förstemann(1966)sp.1292
22 脚注17の文献p.444
23 ibid. p.445
24 Förstemann(1966)sp.1279
25 http://www.koeblergerhard.de/germ/germ_h.html
26 Zoder vol.1(1968)p.741

更新履歴:
2016年4月30日  初稿アップ
PIE語根Gid-e①: 1.*ghedh-「結合する、繋げる、合致する」; 2.*-e/on- 名詞・形容詞形成接尾辞
②:1.*widhu-「木、森」; 2.*-e/on- 名詞・形容詞形成接尾辞

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