Geithner ガイトナー(独)
概要
「フイタン(*Chytan:人名、「摑まれた」が原義)の地所」を意味する地名ガイトハイン(Geithain)に由来。
詳細
Nicolaus Geitaner(1363年プラハ)1
H. Geytaner(1369年プラハ市民)2
Jorge Geythener(1524年Kürbitz)3
Augustinn Geithner(1548年Waltersdorf)3
Augsten Geitner(1569年Zechau)3
Georg Geittner(1594年Waltersdorf)3

地名姓。姓の初出形Nicolaus Geitanerは、バーロー本ではNic. Geytaner4の形で挙げる。 米国の政治家ティモシー・フランツ・ガイトナー(Timothy Franz Geithner:1961.8.18ニュー・ヨーク市~)の姓。ドイツ中部にある テューリンゲン州の東端のグライツ(Greiz)、ザーレ-=ホルツラント(Saale-Holzland)、ザーレ=オルラ(Saale-Orla)各郡、及びゲーラ (Gera)に集住する、地域特徴の強い姓である。彼の先祖もこの集住地の出身である。

以下は、家系サイトで有名な"ancestry.com"5と英Wikipedia6の 記事から引用した情報。ティモシー・フランツ・ガイトナーの父、ピーター・ フランツ(Peter Franz G.)は1932年米国生まれ、父方の祖父ポール・ハーマン(Paul Herman G.)は1902年ドイツ、テューリンゲン州東部 グライツ郡の町ツォイレンローダ(Zeulenroda)に生まれた。1908年に恐らく家族と共に米国のフィラデルフィア市に移住し、後に大工 の職業に就いた。その又父(ティモシーの曽祖父)ヘルマン・フランツ・ガイトナー(Hermann Franz Geithner)は、1873年9月24日ツォイレン ローダに生まれた。1907年8月28日付けのブレーメン発ニューヨーク・シティー行きの船"Kaiser Wilhelm II"の乗客名簿に彼の名が見え、 34才、ドイツのZeulwrader |sic|出身、指物師(joiner)とある。又、第一次世界大戦の米国における徴兵登録者カードに、"Herman Francis Geithner"の綴りで見えるが、本人のサインは"Hermann Franz Geithner"となっている。

姓は、東隣のザクセン州ライプツィヒ郡ガイトハイン行政共同体にある小さな町ガイトハイン(Geithain)に「~の者」を意味する接尾辞-er が接続して生じた。地名の歴史上の変遷は以下の通り。
in villa superiori Chiten(1186年)7, 8, 9, 10
Giten(1205年)7, 8, 9, 10
Eberhardus de Gieten(1272年:人名)7
Heinricus de Gythen(1301年:人名)7, 9, 10
Andrea de Giten(1317年:人名)3
Gyten/Giten(1350年)8
Gytan(1361年)7
Geythenn(1367年)8
Mertin vom Gythan(1372年:人名(Liegnitz))4
Gytin/Gyten/Geyten(1378年)8
Geytan(1389年)7
Gittan(1403年)7
Geythin(1416年)7, 8
Geythain(15世紀末)7
Geitan(1485/1548年)8
Geythan(1548年)8
Geithen(1751年)11
Gaythayn(1843年)12

地名の語源に関して、アイヒラーが詳細な解説をしているので、以下に該当部分の訳を掲載する7
"恐らく古ソルブ語の個人名フイタン(*Chytan)、そしてその所有形地名フイタニ(*Chytań)に遡る。高地ソルブchyčič「摑む」,低地ソルブ chysis「投げる」,チェコchytiti「摑む」(Trubačev FW VIII, 160f.)の元になったchytatiに因むが、これには又chytry「抜け目のない」 (高地ソルブchitry,chĕtry,低地ソルブchytšy)を想定する事も出来る(ibid. p.162f.)。確かに、これらの語源となった語彙は、 今日のスラヴ人の個人名の派生に殆ど関わる事は無くなっているが、例えば地名祖形*Chytin13に由来するダネンベルク(Dannenberg) 郡の地名ゲッティン(Göttin)(Geithin(1296年)、Gettyn(1450年))、及びポーランドのフイツィナ(Chycina)(Tr. II. 90;BP I. 93) 、チェコの姓フイティル(Chytil)14(Beneš 272)の様な例から、個人名の派生に用いられてきた過去が垣間見える。"

ロスポントも全く同じ解釈をしており9、地名の原義は「フイタン(*Chytan:人名)の地所」である。この男子名はスラヴ*chytati「摑む」の 被動形動詞に由来しており、原義は「摑まれた」を意味する渾名であった。これに所有を表す接尾辞-jが後続し、直前の子音nが硬口蓋化し *Chytańとなる。この硬口蓋化の影響で第二音節の母音-a-もウムラウトを受けて、初出形の-e-の形で現れているのであろう。 独Wikipediaのガイトハイン項では、人名フイト(Chyt)由来説を採っているが誤りである(Chytが語源ならば、地名の祖形は*Chytowとなり 、*Gitowとか*Götowという実在しない語形に行き着いてしまう)。スラヴ語の無声軟口蓋摩擦音を表すchが、有声軟口蓋破裂音gに転じる例は 他にも見られる(cf.ダリューゲ(Daluege))。
[Gottschald(1982)p.204,Kohlheim(2000)p.266,Bahlow(2002)p.147,Naumann(2007)p.116,Naumann et Hellfritzsch(1989)p.114]
◆高地ソルブchyčič「摑む」,チェコchytiti「摑む」←スラヴ*chytiti「摑む」←*chvatiti←*svatŭ←PIE*swō-t-←*swō-← *swe-「自分」15。語頭での子音sがch/χ/に転じるのは異例だが、次の様に説明される。動詞語根*svat-に接頭辞の*u-や*pri-が前置される事で ルキの法則が働き、/s/→/χ/の変化が生じた。この形が、接頭辞の無い*svatitiにも波及したのだろう。
1 Královská Česká Společnost Nauk "Abhandlungen der Königl. Böhmischen Gesellschaft der Wissenschaften."(1875)p.35
2 Österreichische Akademie der Wissenschaften. Historische Kommission "Archiv für österreichische Geschichte. vol.63" (1882)p.441
3 Grünert(1958)p.120
4 Bahlow(2002)p.147
5 http://freepages.genealogy.rootsweb.ancestry.com/~battle/celeb/geithner.htm
6 http://en.wikipedia.org/wiki/Zeulenroda
7 Eichler(1985)p.134
8 Blaschke et Baudisch vol.1(2006)p.244-245
9 Rospond(1966)p.298
10 Göschel(1964)p.274
11 "Allgemeines juristisches Oraculum, oder des heil. römisch-teutschen Reichs. vol.11"(1751)p.111
12 Georg Wilhelm von Hofmann "Zur Geschichte des Feldzugs von 1813."(1843)p.48
13 スラヴ*chytati「摑む」の語根から創出されたスラヴ人男子名フイタ(Chyta)の所有形容詞形。つまり、原義は「Chytaの地所」。
14 チェコchytiti「摑む」の男性・単数・過去形に由来する渾名*Chytilに由来する姓。原義は「摑んだ」。
15 Černych vol.2(1994)p.335-336

執筆記録:
2011年9月2日  初稿アップ
PIE語根Gei-th-n-er: 1.*s(w)e- 三人称・再帰代名詞; 2.*-t- 接尾辞; 3.*-no- 分詞形成接尾辞;4.語根不詳

Copyright(C)2010~ Malpicos, All rights reserved.