概要
喪失地名に由来するが、様々な説が有る。
①古英gāra「角、土地の三角形部分」+古英feld「野原、耕地」よりなり、「長方形ハロン設定後に解放耕地の片隅に残った三角形の区画」の意とされる。
②古英grǣd,gǣrd「牧草、草」+古英feld「野原、耕地」よりなり、「草深い土地」が原義。
③その他。
詳細
Thomas Garfelde(1524年Ashby St Ledgers(ノーサンプトンシャー))1=Thomas Gardfylde
2=Thomas Gradfyld(1556年Ashby St Ledgers)3=thom's gardfyld
(1568年Ashby St Ledgers)3
Robert Garfyld(1543年Kilsby(ノーサンプトンシャー):上記Thomasの息子)2=Robert Gardfeld(1544年)2
=Robert gardefelde of ye p'yshe of Kyllysbye(1549年Kilsby)4=Robert Gardfyld(1557年)3=
T. Rob'ti Gerfyld of Asshbie Leagers(1568年Ashby St Ledgers)2
(=Test' Robti gerfyle de Ashebie Leagers(1568年Ashby St Ledgers(左記のデータと同じと思われる。別写本のものか))3)
=Robt. Geyfill(1568年Ashby St Ledgers)2(=Robt Geyfild of Ashebie Leagers(1568年Ashby St Ledgers
(左記のデータと同じと思われる。別写本のものか))3)
=Robert Garfeild(年代未記入:この人物の埋葬時)2
Hellen Gardfyld my wyf(1557年Ashby St Ledgers:上記Thomasの妻)3
Elizabethe Gardfyld my doughter(1557年Ashby St Ledgers:上記Thomasの娘)3
=Elizabeth gardfild(1568年Ashby St Ledgers)3
Josephe Garfeilde(1581年London)5
Nathaniell Garefield(1601年Ashby St Ledgers)6
Richard Garfeilde(1618年Gnosall(スタッフォードシャー))7
Benjamin Garfeilde(1618年Clerkenwell(ロンドン中部))8
Roger Gaffeeld(1631年Milton(ノーサンプトンシャー))9
地名姓。イングランド中西部のウースター(Worcester)に集住。上掲の如く、古くはかなり語形のばらつきが有り、中世末~近世初期にかけて上掲に挙げた以外にも
様々な異形が見られる。同一人物でも時期により、更には同じ文章の中でも綴りが違う場合すら存在する。現在のGarfieldの語形は17世紀に定着。
地名に由来する姓だが、苗字の集住地やその付近に同名の地名は見つかっておらず、喪失地名に由来していると考えられている10。
『Surname Database』によれば、14世紀以降グレート・ブリテン島では7千~1万件の小地名が失われたと見積もられており、その原因はこの時期以降
羊牧場の敷地開発によって大区画の開墾事業が行われた為とある5。これは多分、高校生の世界史の授業にも出てくる第1次囲い込み
(エンクロージャー)の事を言っているのだろう。古くはGard-という風に-d-を含む綴りが相当数見つかり(Grad-という形すらある)、又逆に-r-を含まない綴りも
しばしば見られ、どれが本来の語源的祖形を反映しているか判定し難い。語源は幾つかの説が提出されている。以下に挙げる。
①『Oxford Names Companion』(以下、ONC)によれば、第一要素は古英gāra「角、先、(山地の前面の)前山、楔形の野原(Ecke, Spitze, Vorgebirge, keilförmiges Feld)、
土地の三角形部分(triangular piece of land)」11, 12,中英gōr(e),gar(e)「土地の三角形部分」13に
由来するとされ、古英feld,felþ「野原、平地、耕地、戦場」14,中英fēld,veld,feild,field,fild,feald「平地、野原」
15と合わせて、「長方形ハロン設定後に解放耕地の片隅に残った三角形の区画」16を意味するとされている。
解放耕地制度(open-field system)とは、中世ヨーロッパに見られた土地制度で、個人の土地を垣や溝で分けず村落全体の耕地としてまとめ、
共同体の全員で耕作するというもの。個々の農家の所有耕地を村落の小作民全員に開放して耕すことからopen fieldと言う。この様な解放耕地は、
耕地内がストライプ状に区分けされていた。というのも重い鋤を引いて耕耘する牛のユニットを
方向転換するのが困難な為、一気に長い畝を耕すという方式が採られたからだった。このストライプ状の区画をrectangular furlong「長方形ハロン」と
呼んでいるらしく、解放耕地内部で「長方形ハロン」からあぶれた歪な形の耕地部分をGarfieldと呼称したとONCは想定しているのである。
囲い込み運動(enclosure movement)の進展により、次第にこうした解放耕地は大区画の羊牧場に組み込まれ、解放耕地起源の地名も失われていったと
考えられる。このONCの説は喪失地名起源と語義の両面をうまく説明できる点から、大変魅力的だろう(しかも、最も良く知られている説である)。だが、
Gard-の如き-d-を含む形が本来的語形であるなら、放棄せざるを得ない。cf.ゴア(Gore)
[ONC(2002)p.238,苅部(2011)p.109]
②一方、-dを持つ形を祖形と見る場合、俄然有力となるのが辻原康夫氏の『人名の世界史』に見える「草深い土地」17を原義とする説である。
『人名の世界史』では根拠が示されていないが、これは恐らく第一要素を古英grǣd,gǣrd「(牧畜が食べる)牧草、草」11(独Grat「尾根」と
同語源、英grass「草」と同根)とみる解釈と考えられる(マルピコス注)。こちらも姓の古い形を説明できる点から、大変魅力的な意見である。
[辻原(2005)p.51]
③その他にも様々な説が有る。例えば、第20代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド(James Abram Garfield:1831.11.19 Moreland Hills(オハイオ州)~
1881.9.19 Elberon(ニュージャージー州))自身は、自分の姓がウェールズに存在する城の名前Gaerfili、Carrphillyに由来すると考えていた。この
考えは大統領発の手紙の中に言及されているそうだ2(Mr. Porterなる人物が著した小冊子"President Garfield's Ancestry"に
その手紙が掲載されている模様18)。このウェールズの城の名は、ウェールズ地方グラモルガン地区の町ケアルフィリ(英Caerphilly
(ケアフィリ、ケルフィリーとも))の事と見られる。同名の城が有る。ウェールズ語名はCaerffili。地名の古形はKaerfili(1271年)
19、Kaerphilly(1314年)19で、「Ffili(人名)の砦」を意味する。Wikipedia日本語版の大統領の
記事でも、大統領はウェールズの祖先を持つとあり、この大統領自身の手紙の説明を引き継いだものと見られる。然し、英国の系図学者フィルモア(William
Phillimore Watts Phillimore)が指摘している様に、語形が漠然と似ているだけで、それ以上の根拠は何もない2。ネットでは、
他にもこの説を支持しているものがあり20、ケアルフィリの騎士が先祖で、最終的にはバイキングを経由してスカンジナビア発祥説を
唱えている。
他にも、イングランド西部のシュロップシャーに存在するコ―フィールド(Corfield(Stanton Long行政教区):Corfeldes Lesue(1553年)21)という
地名と関係付ける試みもあるが2、姓の分布地に近い位で根拠が薄弱である。ハリソンの苗字本にGorfieldの英姓が掲載されており、この地名に由来すると
している22。然し、Gorfieldという姓の実在が確認できない。ユタ州で活動したフェミニスト、作家のゲイツ(Susa Young Gates)が著した苗字本には、Garfield姓を「木立のある平野の住人(dweller
at the grove field)」としている23。こちらは、前半要素をどの様に解釈しているのか不明。
尚、米国での当姓の最初の記録は17世紀初頭に渡米したEdward Garfieldである。彼はマサチューセッツ州Watertownの最初の移住者の一人で、1672年に97歳で
亡くなった。大統領の先祖が、Edwardかは調べていない。
◆古英grǣd,gǣrd「(牧畜が食べる)牧草、草」←ゲルマン*grēdiz,*grǣdiz(i語幹男性名詞)「尾根、背骨」(古高独grāt「尾根、背骨」)←PIE*ghrē-ti-
(+名詞形成接尾辞)←*ghrē-「育つ、緑色になる」(ラgrāmen「草」,古英grōwan「育つ」,grēne「緑色の」,古教会スラヴgranĭ「枝」)24。
1 William Phillimore W. Phillimore "The Garfield family in England."(1883)p.8
2 ibid. p.3~4
3 W. Sweeting "Northamptonshire Notes and Queries. vol.2"(1888)p.153
4 Christopher A. Markham "Northamptonshire Notes and Queries. vol.5"(1894)p.134
5 https://www.surnamedb.com/Surname/Garfield
6 脚注3の文献 p.154
7 Staffordshire Parish Registers Society "Staffordshire Parish Registers Society. part 1. Gnosall, 1572-1699."(1922)p.75
8 Court of Quarter Sessions of the Peace (Middlesex) "Calendar to the Sessions records."(1941)p.290
9 脚注4の文献 p.135
10 現在、スコットランド、イースト・エアシャーのモホリン(Mauchline)という町の北東2㎞地点にGarfieldの地名が存するが、本姓とは無関係。
11 http://www.koeblergerhard.de/ae/ae_g.html
12 https://www.wordnik.com/words/gore
13 http://quod.lib.umich.edu/cgi/m/mec/med-idx?type=byte&byte=68585070&egdisplay=compact&egs=68594015
14 http://www.koeblergerhard.de/ae/ae_f.html
15 http://quod.lib.umich.edu/cgi/m/mec/med-idx?size=First+100&type=headword&q1=feld&rgxp=constrained
16 ONC(2002)p.238 原文は"a triangular area left at the corner of an open field after rectangular furlongs had been laid out."
解放耕地制度については、http://www.jkri.or.jp/PDF/archives/sogo_53_kiko2.pdfも参照の事。
17 『人名の世界史』(2005)p.51
18 この著作はEdward Griffin Porterの"Concerning President Garfield's Ancestry."(1881)であると思われる。残念ながら内容が不明の為、確証無し。
19 ONC(2002)p.968
20 http://garfield5489.homestead.com/History.html
21 Margaret Gelling, H. D. G. Foxall "The Place-names of Shropshire: The major names of Shropshire."(2001)p.77
22 Harrison(1912-1918) vol.1 p.170
23 Susa Young Gates "Surname Book and Racial History: A Compilation and Arrangement of Genealogical and Historical Data for
Use by the Students and Members of the Relief Society of the Church of Jesus Christ of Latter-day Saints."(1918)p.408
24 Pokorny(1959)p.454、http://www.koeblergerhard.de/germ/germ_g.html、Watkins(2000)p.31、Buck(1949)p.520
執筆記録:
2014年6月17日 初稿アップ
Copyright(C)2010~ Malpicos, All rights reserved.