Knjazĭ Danilo da Jurĭe Knjazĭ Jurĭevy děti Gagarina (Князь Данило да Юрье Князь Юрьевы дѣти
Гагарина)(1550年Vjáz'ma(スモレンスク州))
1
Dmitrij Davidovič Gagarin (Дмитрий Давидович Гагарин)(1550年Perm'(ペルミ地方))
2
knjaz Grigorěj knjaž Ivanov synŭ Gagarin (княз Григорѣ й княж Иванов сынъ Гагарин)
(1605年Nóvhorod-Síverskyi(ウクライナ、チェルニーヒウ州))
3=
knjaz Grigorěj Ivanovič Gagarin (княз Григорѣ й Иванович Гагарин)(1605年、同地)
3
Raman Ivanovič Gusev-Gogarin (Раман Іванович Гусев-Гогарин)(1606年Moskvá)
4
Ofonacej Gagarin (Оѳонасей Гагарин)(1610年Moskvá(?))
5=
Ofonacej Gogarin (Оѳонасей Гогарин)(1610年Možájsk(モスクワ州))
6
knjaz Semën knjaž Mikitin synŭ Gogarin (княз Семен княж Микитин сынъ Гогарин)(1611年Torópec(トヴェリ州))
7
Semën Gogarin (Семен Гогарин)(1630年Ánnino(リャザニ州ミハイロフ地区))
8
ニックネーム姓。露gagára(гага́ра)「アビ科の海鳥」
9に由来する。この語は、転義により「頭髪や皮膚が浅黒い人」
「ひょうきん者、よく笑う馬鹿者」「鈍間な、背が高い、頸の長い」の意味もあり、その様な特徴をもった人物に命名された渾名・個人名ガガーラ
(Gagára(Гага́ра))を語源としている。又、この鳥は水中に潜り魚を獲るので、ONCが指摘するように「水泳の名人」を表した渾名が起源の
可能性もある。渾名・個人名の最初期の記録では、封建ロシアの諸侯の一人であったミハイール・ゴリベソフスキー=スタロドゥプスキー(Mixail
Golibesovskij-Starodubskij:15世紀初頭)がおり、彼の非教会認定の世俗名がガガーラ(Gagára)であった。この人物はロシアきっての名門貴族の
一つガガーリン公爵家の開祖である。その他の、渾名・個人名の実際の用例は以下の通り。
Knjazĭ Vasilej Gogara, da Knjazĭ Ivanŭ Gogara, ..., da Knjazĭ Jurĭi Gogara (Князь Василей Гогара, да Князь
Иванъ Гогара, ..., да Князь Юрьи Гогара)(1238年、場所不明(モスクワ近隣?)
10
)
11
Ivanŭ Gagara (Иванъ Гагара)(1500年Perxovo
12:地主)
13
Vasilij Gogara (Василій Гогара)(1634年Kazan'(タタールスタン共和国))
14=
Vasilij Gagara (Василий Гагара)(17世紀Kazan')
15
この姓を持つ有名人にソ連の宇宙飛行士ユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン(Júrij Alekséjevič Gagárin(Ю́рий Алексе́евич
Гага́рин):1934.3.9 Klúšino(スモレンスク州)~1968.3.27 Kiržáč(ヴラジーミル州))がいる。彼の父親が次の様な事を言っている:
「私たちガガーリン家の者は陽気な人々だ。何故ならば、私達の姓がガガーリンだからだ。それが故に、私達は笑う事、郷土の言葉で言えば、
pogagarit'(погагарить)する事が出来るのだ。そして、人々を楽しませる人は、平和そのものに値する」
16。
宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンが人類初の宇宙飛行をしている時、先述の封建諸侯ミハイール・ガガーラの子孫の一人である海外在住の人物が、
ユーリィとの血縁関係を主張した事がある。だが、実際にはユーリィの先祖は封建諸侯に隷属する農奴にすぎなかった。ロシアでは、農奴身分制度の
崩壊以前は、農奴が自分の姓を持つ事は許されていなかった。だが1861年以降、先述の諸侯ガガーリンの諸分流家が多大な投資をつぎ込んでいた
旧帝政時代のリャザニ県やスモレンスク県等で、何千もの農民が以前の領主であったガガーリンの姓を自らも名乗りだしている
17。
[Fedosjuk(2004)p.56, Nikonov(1993)p.29, Ganžina(2001)p.118f., Veselovskij(1974)p.76,
Unbegaun(1972)p.187, ONC(2002)p.234, Tupikov(2005)p.125, Gruško et Medvedev(2000)p.106f.]
◆露gagára←擬音語起源(ベラルーシgagaráška「カササギ(Corvus pica)」,中高独gāge(r)n「ガチョウの様に喚く」,独gackern「(アヒルなどが)
がぁがぁ鳴く」,ラトヴィアgāgars「鵞鳥」)
18。
同じ様な意味発達を示す語に、露≪アルハンゲリスク方言≫revét'「動物が吼える」から生じた露≪アルハンゲリスク方言≫revúxa「アビ」がある。
1 Императорское Московское Общество Истории и
Древностей Российских "Временник Императорскаго Московскаго
Общества Истории и Древностей. vol.20"(1854)p.54
2 Mosin(2000)p.438
3 С. А. Белокуров "Разрядные записи за Смутное время (7113-7121 гг.)."(2014)p.2
4 ibid. p.42
5 ibid. p.18
6 ibid. p.54
7 ibid. p.106
8 Александр Иванович Цепков "Свод письменных источников
по истории Рязанского края 14-17 вв."(2005)p.475
9 研究社露和辞典p.344
10 原文は"А у Князя Михаила у Галибѣсовскаго болшой сынъ Князь
Василей Гогара, да Князь Иванъ Гогара ..."とある。このうちГалибѣсовскагоの部分が
所領地名に基づいた単語だと思うが、現在のロシアにこれに類する地名が確認できない。ニジニ・ノヴゴロド州ヴォスクレセンスコエ
(Voskresénskoe)地区にガリービハ(Galíbixa(Гали́биха))という小村が有るが、この地名と関係するものだろうか。取りあえず、モスクワの
年代記に見られる記述。
11 "Временник. vol.10"(1851)p.65
12 トゥピコフの原文では"Перховскаго погоста"とあるのみ。pogóstは「(古代ロシアの)村落共同体」の意。
Perxovoという名の村はロシアに少なくとも9ヵ所在るが、トゥピコフには特定につながる記述が無く、同定不能。
13 Tupikov(2005)p.125
14 Иван Егорович Забелин "Послание царя Ивана Васильевича к
александрийскому патриарху Иоакиму с купцом Василием Позняковым." p.ii
15 Ganžina(2001)p.119
16 Fedosyuk(2004)p.56
Wikipedia露語版にも見える記述だが、初出はフェドシュクの露姓語源辞典。
原出典は不明。末尾の"平和そのものに値する"の部分は誤訳しているかもしれない。一応、原文の最後の一文のみ以下に挙げておく。
"А кто людей веселит, за того и мир стоит."
17 Nikonov(1993)p.29
18 Vasmer(1950-1958) vol.1 p.380
更新履歴:
2015年3月9日 初稿アップ