南仏の地名アルタニャン(Artagnan:「Artānius(人名)の地所」の意)より。人名はケルト*arto-「熊」の派生語で、「クマちゃんの(子孫)」の意。
Bernardus de Artanhan(1283年Vic-en-Bigorre(ジェール県))
1
地名姓。仏南部ミディ=ピレネー地域に見られる姓で、とくにジェール(Gers)県に多い。同語源の姓に
アルタニャン(Artagnan)があり、やはりジェール県が最多の分布。仏南部ミディ=ピレネー地方オート=ピレネー(Hautes-Pyrénées)県
タルブ(Tarbes)郡ヴィク=アン=ビゴール(Vic-en-Bigorre)小郡にあるアルタニャン(Artagnan)という村の名に由来する。これに、前置詞deが
膠着した形がDartagnan。地名の変遷は以下の通り。
Artagna(1200-1230年)
2
De
Artanhano(1300/1313/1342年)
2
Artanhan(1429年)
2
Artaignan(1650年)
3
Artagnan(18世紀)
2
地名の原義は「Artānius(人名)の地所」
4。アルターニウス(Artānius)
5はゴール=ロマン系の
男子名で、ケルト*arto-「熊」(アイルランドart「熊」,ウェールズarth「熊」)にケルト祖語の指小辞-ān(cf.カドガン(Cadogan))がついて生じたArtānus
6という男名の派生形容詞に由来する名前で、「*Artānus(「クマちゃん」の意)の(子孫)」を
意味する。実は*Artānusという男名は、ビートルズのポール・マッカートニー(Paul MacCartney)の姓(アイルランド語形Mac Artáin)の語源に
なっている人名Artánと全く同じ名前である。Artāniusという名前に、ラテン語の形容詞形成接尾辞-ānumが後続して地名が起こった。地名のオック
語形はアルタニャン(Artanhan)。少しややこしいので、派生経路をチャートに示す。
ケルト*arto-「熊」
↓←←←←←←指小辞-ānを接続
↓
ゴール=ロマン*Artānus(男名:「クマちゃん」の意)=アイルランドArtán(>アイルランド姓Mac Artáin(Artáinは属格形)>英語化MacCartney)
↓←←←←←←ラテン語の形容詞形成接尾辞-ius(←PIE*-yo-)を接続
↓
ゴール=ロマンArtānius(男名:「クマちゃんの(子孫)」の意)
↓←←←←←←ラテン語の形容詞形成接尾辞-ānum(←PIE*-no-)を接続
↓
地名Artagnan(「Artāniusの地所」の意)
↓←←←←←←前置詞のde「~から」が膠着
↓
姓Dartagnan、所領地名を示す添え名d'Artagnan
『三銃士』のダルタニアン(d'Artagnan)は、シャルル・オジェ・ド・バツ・ド・カステルモール(Charles Ogier de Batz de Castelmore d'Artagnan:1611-1615年の間 Lupiac
(ジェール県)~1673.6.25 Maastricht(蘭))というフランス王ルイ14世に仕えた銃士隊隊長、軍人をモデルとしている。この人物は、軍内部で
名の通りが良かった母方の祖父の所領地名を基にした添え名ダルタニャン(d'Artagnan)を名乗った。彼もジェール県の出身であり、
現在のアルタニャン姓、ダルタニャン姓の最大集住地と同じ。
[Morlet(1997)p.51]
◆ケルト*arto-(o語幹名詞(文法性不詳))「熊」(古アイルランドart「熊」,ウェールズ,コーンウォールarth「熊」,ブルトンarzh「熊」)←PIE*

tko-(<*H
2
t

o-)
「熊」(ギárktos「熊」,ラursus「熊」(>仏ours,伊orso,西oso,ルーマニアurs),リトアニアirštva「熊のいる谷」
,サンスクリットṛkṣá「熊」,アヴェスタarša-「熊」,アルメニアarǰ「熊」,古アルバニアar(<*arth(-thは指小辞と誤解された異分析により消失)),
ヒッタイトḫartaggas語義未詳)
7, 8。
ゲルマン、スラヴ、トカラの3語派以外に全て対応語あり。
ヒッタイトḫartaggasは「肉食獣、狼、熊、蛇、怪物」等の意味の解釈が有る。祖語の語形はPIE
*H
2rét

es「破壊」から派生した形容詞
*H
2
t

ós「破壊する(destroying)」(
語幹形成母音-o-は形容詞の派生も司る)の名詞転用に由来するという説がある
7。*H
2rét

es
からサンスクリットrákṣas「破壊」(cf.サンスクリットrākṣasa「羅刹(ラセツ)」)(=アヴェスタrašah)が規則的に導かれる。但し、rákṣas「破壊」は
ギerékhthein「引き裂く、壊す」と関係付ける説も有り
9、印欧祖語の「熊」の原義については固まった説は無い。
ケルト祖語で祖語に含まれていた*-k-の子音が失われている原因は判らない。祖語の*-tk-のメタテシスが生じた後、正則的にはケルト祖語*arχto-に
なると思うのだが。何か、私の知らない条件があるのかもしれない(-tk-又は-kt-の連続は、形態素の境目で生じた場合以外では、
ケルト祖語で-k-が消失?)。又、コーンウォールors「熊」,ブルトンourz「熊」も語源上関係するが、こちらは直接的にはラursus「熊」、或いはその後進である仏
ours「熊」からの借用。
1 Jean Justin Monlezun "Histoire de la Gascogne depuis les temps les plus reculés jusqu'à nos jours. vol.6"
(1849)p.367
2 http://www.archivesenligne65.fr/artagnan/
3 Immanuel Kant, Reinhard Brandt, Werner Stark "Vorlesungen über Anthropologie."(1997)p.68
4 Gerhard Rohlfs "Le gascon: études de philologie pyrénéenne."(1970)p.27、Nègre(1990)p.603
5 Nettleship(1889)p.290
6 Lörincz(1994)p.177 レーリンツのラテン人の個人名辞典では、Artanusの形で録す。俗ラテン語で母音の長短の区別が失われるので、
それほど問題ではないと思う。
7 http://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Proto-Indo-European/h%E2%82%82%C5%95%CC%A5t%E1%B8%B1os
8 Watkins(2000)p.72、Pokorny(1959)p.875、Buck(1949)p.186、Uhlenbeck(1866-1951)p.33
9 Uhlenbeck(1866-1951)p.242
執筆記録:
2011年12月22日 初稿アップ