Pierre Danthon(1487年Taillebourg
1)
2
Pierre Dantun(1555年、ガール県のどこか)
3
Jacques Danton(1676年Nîmes(ガール県))
4
地名姓。フランス中部に広く散在。フランスの政治家ジョルジュ・ジャック・ダントン(Georges Jacques Danton:1759.10.26 Arcis-sur-Aube
(オーブ県)~1794.4.5 Paris)の姓。同源異綴の姓にダントン(Danthon)が有り、仏南東部のイゼール県に多く、特にラ・トゥール=デュ・パン
(La Tour-du-Pin)郡エドシュ(Eydoche)村に集住。イゼール県ヴィエンヌ(Vienne)郡ポン=ド=シェリュイ(Pont-de-Chéruy)小郡の村の名
アントン(Anthon)に前置詞de「~から」が前置してくっ付いて生じた姓である。地名の変遷は以下の通り。
Anton(12世紀)
5, 6
Antun(12世紀)
5, 6
Athon(12世紀)
6
Eccl. de
Anthone(14世紀)
7
Eccl. de
Antone(16世紀)
8
地名の原義は「Antōnius(人名)の地所」。恐らく、ラfundus「農場」という語の限定化のために付されていた人名だけが取り残されたもの
9。アントーニウス(Antōnius)はローマの氏族名だが、その語源は明らかでなく、エトルリア語起源ではないかと
いわれている
10。16世紀の英国の歴史家カムデン(William Camden)はギanthos「花」由来説を主張したが
11、殆ど何の根拠も無い俗説である。英国ではこの説に影響を受け、アンソニー(Anthony)の形が生じた。
アントーニウス氏族はギリシア神話の英雄ヘラクレスの息子アンテオーン(Anteon)
12の後裔で、家名もその人名に
因むとする解釈が、帝政ローマのギリシア人著述家プルタルコスの『対比列伝』(Antōnius, 第4節)に見えるが、これも作り話である
11, 13。
地名の起源については、他にもゴール語の人名*Antonus由来とも
9、ラテン語の人名*Antunnus由来ともされているが
5、いずれも文証されている名前ではなく、Antōnius説に勝るような説得力は無いと思われる。Antōnius由来説の
補強材料として、全く同じ語源で、ほぼ同じ変遷を辿った地名にベルギー西部エノー州トゥルネー(Tournai)郡
アントワン(Antoing)が
挙げられる。こちらの地名は比較的よく歴史上に姿が現れる。
de Lobiensi quam de
Anthonensi ecclesia(1078年)
14
De nobilitate vero
Anthonii(1095年)
15
et clerici
Anthonienses ... in eadem
Anthoniensi(1150年)
16
Hugonem quoque de
Antun, militem tunc pauparem, ... , fratrem Gosselini & Willelmi de
Antun(1183年)
17
van
Antoengen(1385年)
18
item ecclesiam beate Marie
Antogniensis(1447年)
19
この地名では、Antōniusという人名の-ni-という音節の子音-n-が、後続の-i-によって硬口蓋化していた事が解る綴りが多く見られ
(-eng-や-gni-、現名の-ingの綴字)、音韻的には正当な変化を辿っている。逆に1183年のAntunの綴りは、その硬口蓋化を示しておらず異常だが、
この形はイゼール県ヴィエンヌ郡のアントン(Anthon)の綴りと軌を一つにしている(こんな綴りが生じた理由は何かあるのかもしれないが、
詳細不明)。尚、ONCによれば、仏東部のオート=サヴォワ県ボンヌヴィル(Bonneville)郡タナンジュ(Taninges)小郡ミウシ(Mieussy)村の
小地名
アントン(Anthon)由来説も挙げている。小地名すぎて古い語形が見付からないが、この地名も同語源と見られる。
[Morlet(1997)p.274, ONC(2002)p.159]
1 この地名はフランスに3ヵ所ある。どのTaillebourgか確認が取れない。1.シャラント=マリティム県サン=ジャン=ダンジェリ
(Saint-Jean-d'Angély)郡サン=サヴィニャン(Saint-Savinien)小郡;2.ロテ=ガロンヌ県マルマンド(Marmande)郡マルマンド=エスト
(Marmande-Est)小郡;3.オート=ガロンヌ県サン=ゴーダン(Saint-Gaudens)郡モントレジョー(Montréjeau)小郡
本史料は、リムーザン地方を取り扱っているので、一番近い1のシャラント=マリティム県のTaillebourgかもしれないが、確証は無い。
2 Joseph Nadaud "Nobiliaire du diocèse et de la généralité de Limoges. vol.2"(1868-1872)p.41
3 Edouard Bondurand "Inventaire sommaire des Archives departementales anterieures a 1790: Notaires."(1904)p.341
4 MM. Eugène, Émile Haag "La France protestante. vol.6"(1877)
5 Nègre(1990)p.640
6 André Plank "L'origine des noms des communes du département de l'Isère."(1995)p.11
7 Auguste Bernard "Petit cartulaire de l'abbaye d'Ainay."(1853)p.944
8 ibid. p.995
9 Morlet(1997)p.274
10 ONC(2002)p.703
11 http://en.wikipedia.org/wiki/Anthony_(given_name)
12 但し、Wikisource等の原文資料を確認すると、ヘラクレスの息子の名はAnteonではなくAntonとしているものが多い。
13 http://de.wikipedia.org/wiki/Antonier
14 Georg Heinrich Pertz "Historici Germaniae saec.XII."(1869)p.311
15 ibid. p.314
16 ibid. p.331
17 Gislebert de Mons, Francois Gabriel Joseph du Chasteler "Chronica Hannoniae."(1784)p.139
18 Jan Pieter Zaman "Exposition des trois etats du pais et comte de Flandres, scauoir."(1711)p.75
19 "Mémoires de la Société des antiquaires de Picardie."(1889)p.347
更新履歴:
2015年3月1日 初稿アップ