古蘭*Batouwa,*Betuwa「吉島、豊島」に由来するベルギー、リンブルフ州の地名ベート(Betho)に由来する。英best「最良の」,better「より良い」と同根。
un Arnold et un Guillaume de Betue(13世紀Tongeren(ベルギー、リンブルフ州))
1
Willem van Betho(1228年)
2
Walther van Betue=
Walter van Beethouwen(1282年Tongeren)
2
Wautier de Bethue(1314年Liège(ベルギー、リエージュ州))
1
Henri de Betuwe(1330年Tongeren:騎士)
1
Wautier et Goeswin de Betue(1375年)
1
Walter de Betouwe(1412年1月2日Tongeren)=
Wauttier de Bethouwe, fils de feu Wauttier de Bethouwe, bourgeois de Tongres
(1442年1月27日 同地)=
Wauthier de Bethouwe, fils de Wauthier de Bethouwe(1464年3月27日)=
Wauthier de Beitouwe(1474年1月19日)
3
Jehenne de Betouwe, fille de Wautier de Bethouwe(1478年12月14日Tongeren:上記Wautierの娘)=
de damoiselle Jehenne, fille de Gauthier
de Bethou(1496年4月9日)
3
Anne van Betuwen(1497年Tongeren)
4
Aert van Beerthoven(1601年Kampenhout(ベルギー、フラームス=ブラバント州))
2
Cornelius Biethoven(1736年1月17日Bonn)
5
地名姓。ドイツの作曲家ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(ベートホーフェン)(Ludwig van Beethoven:1770.12.16(?)
6 Bonn~
1827.3.26 Wien)の姓。日本語表記の"ベートーヴェン"や英語発音の/ˈbeɪ.toʊvən/が、語源的な祖形に近い読み。実は、良く知られている「ビート農場」を姓の
原義とする説は誤りである可能性が極めて高い。この説は、前半要素Beet-を蘭biet「ビート(アカザ科:学名Beta vulgaris)」、第二要素-hovenを蘭hof「耕作地、
農場」(この場合、語末の-enは複数与格語尾と解釈する)と想定するもので、Beethovenという綴りからは音韻的にも、文法的にも、意味の上でも問題の無い解釈である。
従って、世界的にも人口に膾炙している説で多くの文献で紹介されている。私自身の手持ちのドイツの苗字辞典でもその殆ど全てが「ビート農場」説を採用している
7。
いずれにしても、この苗字の古い記録を調べてみると、「ビート農場」では説明できない点が有り、少なくとも後半要素を「農場」と見るのは確実に誤りであると
見なさざるを得なくなってくる。以下に紹介する別説は、苗字本以外の海外の資料も調べた結果得た知見に基づいており、日本語では多分初めて知られる
ものの筈である(説の概要は既にYahoo知恵袋でも載せたことが有るが)。
ベートーヴェンの姓がオランダ語形であるのはvan「~から」という前置詞が添えられている事から解る。元々彼の家系はベルギー北部のフランドル地方の発祥であった。
彼の祖父ローデワイク(Lodewijk van Beethoven:1712~1773)は20歳の時に生まれ故郷のベルギー北部アントウェルペン州のメヘレン(Megeren)を離れ、ドイツ西部の
ボン(Bonn)に移住した。ローデワイクも音楽家であった。ローデワイクの父Michiel van Beethovenも1684年にメヘレンで誕生
8。職はパン焼き職人。更に
Michielの6代前の先祖はJan van Beethovenといい、1485年に生まれ、ベルギー北部フランドル地方のフラームス=ブラバント州ハレ=ヴィルフォールデ
(Halle-Vilvoorde)郡のカンペンホウト(Kampenhout)という町に住んでいた
9。これ以上の先祖は不明。
マン(Werner Mann)によれば、ベートーヴェン(Beethoven)の家名は古く様々な語形で綴られていた。マンの挙げる綴りは、以下の通り
10。
Beedthoven、
Beerthoven、
Beethoen、
Beethoeve、
Beethoeven、
Beethoffen、
Beethoffenen、
Beethoffuen
、
Beethouen、
Beethouwen、
Bethenhove、
Betho、
Bethoeven、
Bethofen、
Bethouen、
Bethoven、
Betouve、
Betouwe、
Bettenhove、
Bettenhoven、
Betthoven、
Bierthoven、
Bierthuven、
Biethoven、
Bettheven
実はベートーヴェンという苗字は、ベルギー北部フランドル地方リンブルフ州の都市トンヘレン(Tongeren)の近くにかつて存在した小地名に由来する。
この地名は現存しておらず、わずかにトンヘレン市内に存するベート城(Kasteel van Betho)という荘園邸宅(英manor house)の名に名残を留めるだけである
11。以下に地名の歴史上の変化を追ってみる。
Betho(1228年)
2
Betue(1291年)
2
Betuen(1305年)
12
domini de
Betues(1309年)
12
Ernous filz Ernoul de
Betus(1330年:人名)
12
de
Beetwis(1380年)
12
Betuenbossche(1458年)
12
tendens ad
Betuwis(15世紀)
12
de
Betowe(1524年)
3
de
Betouwe(1529年)
3
seigneur de
Bethowe, Orey, ...(1565年)
3
seigneur d'Orle, Donstain,
Bethoven, fait relief.(1582年)
3
de
Bethove(1668年)
3
Bhethouw(1674年)
12
de
Bethoz(1688年/1691年)
3
de
Betho(1728年/1744年)
3
Betou(1750年)
12
他にもクロッソン(Ernest Closson)は13~18世紀に現れるこの地名の綴りを以下の様に列挙している
13。
Betue、
Bethue、
Betuwe、
Betuis、
Betuwis、
Beetwis、
Betuen、
Betyes、
Beten、
Beeten、
Bethe、
Betthes、
Bethem、
Bethouwe、
Beitouwe、
Betowe、
Bethowe、
Bethoven、
Bethau、
Bethou、
Bhethouw、
Betou、
Betau、
Betho、
Bethoz
以上の如く、この名の古形から、後半要素が蘭hof「農場」ではない事は明らかである。hof「農場」だと思っていた要素の最初のh-は、前半要素の末尾子音[t]を
表す擬古典的綴り-th-の一部でしかない。この擬古典的綴りから、後半要素が「農場」と誤解され、更にそれに基づいた形が新たに分岐・発展していったと考えるのが
妥当である。この伝でいくと、ベートーヴェンという読みは案外古い読みを保存している可能性が有るのである。日本では、明治末期から戦前まで文献上
「ベェトォフェン」の表記が多かった
14。ドイツ語でも、ベートーフェンとも読まれる。ルートヴィヒが生きていた時代も、
本人も含めてそう呼んでいたのではないか?。
●ベート城の航空写真
●ベート城とトンヘレン市街地の位置関係
●近世のベート城(1743年、R. Leloupによる素描(出典:Wikipedia蘭語版))
こうして先程の「ビート農場」説に代わって登場する案が、中期オランダ語
15の*Betuwe「吉島、豊島」
16、
古期オランダ語の*Batouwa,*Betuwa「吉島、豊島」
16に由来するとみるもの。これは更に、ゲルマン祖語の*Batawjō
「吉島、豊島」
16に遡る。構成要素は、第一要素がゲルマン*bataz「良い」
17である。この語は英better
「より良い」とbest「最良の」の様に、歴史時代のゲルマン語には比較級と最上級の形しか残っておらず、原級の*bataz「良い」は歴史時代に入る前に死語となっていた。
第二要素はゲルマン語の地名に頻出する要素で、中蘭ouwe,古蘭*owe「島」
18(<ゲルマン*awjō「島」)に由来する。即ち、「耕作に適した
川中島、肥沃な川中島」を意味したものと考えられる。
但し、この説で問題なのは歴史時代にまで残る事が無かった語彙が含まれている点である。歴史時代以前に命名された古い地名なら、13世紀まで何百年もの間
一度も記録されないのは不自然だろう。遅くとも10世紀には地名が出現していてしかるべきである。又逆に11~12世紀頃成立の地名だとしたら、死滅した
語彙が地名の命名に用いられる筈がない為、論理的に無理がある。
そこで折衷案として、蘭biet「ビート」と中蘭ouwe「島」の合成語由来説も考えてみた。然しこれも、蘭biet「ビート」は中期オランダ語以前の用例が欠けており
19(ONCは中蘭beteを挙げているが、疑わしい
20)、更に語源となったラテン語のbēta「ビート」
21は強勢のある長母音ēを持ち、ラcrēta「白亜」→蘭krijtの様にこの母音はオランダ語内でie→ijに変化するので
19、Beet-の要素の説明には不向きである。一応、オランダ語の方言にbeet「ビート」も有るそうだが、同源の中低独bēte「ビート」(8世紀初出)
22とも連続するオランダ東部方言を起源とするものとされ
19、オランダ語西部方言域のフランドルでの
Be(e)t-という形には当てはめ難い。尚、蘭beetwortel「ビート」はラbētaの影響を受けた学術用語の為
19、同列には扱えない。
そこで更に別の提案をしてみたい。これも私の考えだが、このトンヘレンのBetho地名が元々移動地名(独Namensübertragung)であったとみる解釈である。
移動地名というのは、新しく建設・開墾された場所に、その建設者・開墾者の出身地や関係のある場所の地名を転用するなど、元々別の場所に
存在する地名を用いて命名することをいう。では、Bethoが移動地名だとして、その由来元となった地名は何かと言えば、オランダ東部ヘルダーラント州に存在する
ベートゥーウェ(Betuwe)という地域名である。ベートゥーウェ地方はライン川下流の三角州の一地域で、ライン川とそこから枝分かれしたワール(Waal)川とレク
(Lek)川に囲まれた東西に長細い広大な川中島である。この地は、現在果樹栽培が盛んで、ジャム製造工業も発達している。古くカエサルの『ガリア戦記』にも
記録のあるゲルマン人の一部族バタウィ(Batāvī)人が居住した地域とされており、この部族名から名を得たとされている
23
(或は、逆に地名が先に有って、部族名の方がそれに因んでいる可能性もある)。バタウィの名は明らかに上述の「吉島、豊島」を
原義とする名であり、元々このベートゥーウェ地域の肥沃さに因んだ名だったかもしれない。トンヘレンのベート(Betho)地名は、そんなベートゥーウェ地域に
あやかって名付けられたか、或はその地の所有者がベートゥーウェ地方の出身で、自身の故郷を記念して命名した可能性も有り得る(この様な移動地名はドイツでもよく見られる)。ベートゥーウェの名は
7世紀に初出で、歴史以前の語彙要素が含まれていても矛盾の無い年代である。以下に、地名の歴史上の変遷を列挙する。
in
Batua(673~691年)
24, 25
pagus
Bathua(725年)
25
pagus
Batuwe(793年)
24, 25
Battua(814年)
25
pagus
Batawa(814~815年)
25
Batavum(850年)
25
in
Batuve(855年)
25
Patavum(859年)
25
Batuua(864年)
24
Battawi(897年)
25
pagus qui dicitur
Betuam(1015年)
25
Betue(12世紀)
24
terra
Betuae(1244年)
25
Bettow(1318年)
25
Betu(1377年)
25
Betaw(1383年)
25
Betouwen(1527年)
25
Betuwe(15世紀)
24
参考までに以下に、ベトゥーウェ地方内の区分名(NederbetuweとOver-Betuwe)の歴史上の記録を挙げておく。
Nederbethu(1327年)
25
Nederbettouwen(1567年)
25
Overbethu(1327年)
25
Opbetue(1377年)
25
Batavia superior(1496年)
25
上述の如く、これがゲルマン語で「吉島、豊島」の意を示す地名であることは疑う余地がない。初出年から考えて、トンヘレンのBethoは蘭ヘルダーラントの
Betuweに由来する移動地名と見るのが無難である。
これらの語構成と全く同じ地名がドイツ南東部のバイエルン州ニーダーバイエルン地方に存する都市パッサウ(Passau)の名である。この地名の初出は以下の通り。
tribunus cohortis nonae
Batavorum, Batavis(425~430年)
26
後に、高地ドイツ語の音韻的変化を受けていく。まず、歯茎破裂音[t]が破擦音化し、
Bazzauua(754年:9世紀写本)
26
となった。更に、有声破裂音の系統が全て対応する無声音にシフトするという現象が起きる。
Pazauuua(764~788年:9世紀写本)
26
後に、破擦音が更に弱化し摩擦音となって現名のPassauとなった。ライツェンシュタイン(Wolf-Armin Freiherr von Reitzenstein)によれば、初出の記録形から
ローマ帝政後期に当地に駐屯したゲルマン系バタウィ人で構成された歩兵大隊に由来する地名としている
26。また、インドネシアの首都ジャカルタの
オランダ植民地時代の名バタヴィア(Batavia)もこのバタウィ人の名に由来している。
以上の様にベートーヴェンの姓は、各地名の初出年代や古形、方言の問題など様々な観点から、ヘルダーラントのベートゥーウェの移動地名と考えられるトンヘレンの地名ベート(Betho)に由来する
と見るのが、最も自然で妥当と考えられる。そして、ベートーヴェン姓はバイエルンの都市名パッサウ(Passau)とジャカルタの古名バタヴィア(Batavia)と、
同じ単語である可能性も高い訳である。
因みに、ベートーヴェン姓をベルギーの地名に由来すると指摘している文献はいくつかあるが、コールハイム本にはBeethovenと同名のフランドルの地名に由来、
クンツェ本にはリンブルフ州のBetuweという地名に由来としているが、いずれも正確さに欠ける。現在の地名の語形はベート(Betho)であって、Beethovenや
Betuweではない。いずれの形も、Betho地名の古形として存在した(又は、存在した可能性がある)が、恐らく後者はオランダのBetuwe地名と誤解しているの
ではないかと思われる。
尚、オランダ語のvanを伴う苗字は実在の(実在した)地名に由来する場合が殆どで、しかも完全に庶民のものである。vanは「~から」を意味する前置詞で、ドイツ語のvonと
同源で、後続の名詞は与格を取る。Beethovenの語末の-enはその与格語尾に他ならない。また、ドイツでも元々地名姓はvonを伴って表現されたが、
14世紀に省略される傾向が加速し、今日はドイツ北西部やスイスに化石的に庶民のvon地名姓が残るのみである。但し、ドイツ北西部では冠詞との共起か
(例:von der Decken姓)vanの綴りで行われる場合が多く(例:van Almsick姓)、これがオランダ語圏まで広がる。スイスのvon庶民姓は、Vonlanthen
姓の様に膠着する場合が見られる。貴族称号としてのvonは17世紀から発達したものもの。
●今回の解説で登場した地点を以下の地図で挙げておく●
●水色の斜線域が、元々の名前の発祥元である、オランダのベートゥーウェ(Betuwe)地域
●赤い★マークがベート城(Kasteel van Betho)の所在地
●緑の★マークがルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンの最古の先祖が住んでいたカンペンホウト(Kampenhout)
●青の★マークがルートヴィヒの生誕地ボン(Bonn)
[Gottschald(1982)p.107,Kohlheim(2000)p.114,Bahlow(2002)p.34,Naumann(2007)p.72,ONC(2002)p.58,辻原(2005)p.68,Kunze(1998)p.63]
1 http://www.ialg.be/ebibliotheque/chroniques/capl038.pdf
2 http://belgian-surnames-origin-meaning.skynetblogs.be/index-5.html
3 "Bulletin de l'Institut archéologique liégeois. vol.9"(1868)p.185-188
4 Société scientifique et littéraire du Limbourg "Bulletin. vol.16"(1884)p.48
5 Wernaer Mann "Beethoven in Bonn: seine Familie, seine Lehrer und Freunde : eine Freundesgabe."(1984)p.13
6 12月17日に洗礼を受けた記録が残っているが、誕生日は正確な日にちが解っていない。家族は16日に彼の誕生日を祝っていたそうだが、
証拠が無い。(http://en.wikipedia.org/wiki/Ludwig_van_Beethoven)
7 Gottschald(1982)p.107、Kohlheim(2000)p.114、Bahlow(2002)p.34、Naumann(2007)p.72、ONC(2002)p.58、辻原(2005)p.68
8 http://mechelen.mapt.be/wiki/Familie_Van_Beethoven
9 http://www.kampenhout.be/historisch/beethoven.php
10 脚注5の文献p.1、p.155
11 http://nl.wikipedia.org/wiki/Kasteel_van_Betho
12 "Isidoor Teirlinck album: verzamelde opstellen opgedragen aan Isidoor Teirlinck."(1931)p.137
13 Ernest Closson "The Fleming in Beethoven."(1936)p.162
14 http://www.pianist-sonobe.com/m/column11.html
15 蘭Middelnederlands, 英Middle Dutch。時代区分は蘭Wikipediaは1200~1500年、英語語源辞典p.xivは1100~1500年、ランダムハウス英和大辞典p.1711は
1200~16世紀としている。
16 http://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Proto-Germanic/Batawj%C5%8D#Proto-Germanic
17 http://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Proto-Germanic/bataz#Proto-Germanic
18 http://en.wiktionary.org/wiki/Appendix:Proto-Germanic/awj%C5%8D
19 De Vries(1987)p.56
20 ONC(2002)p.58
21 研究社「羅和辞典」p.78
22 Kohlheim(2000)p.114
23 http://en.wikipedia.org/wiki/Betuwe
24 I. Dornseiffen, J. H. Gallee et al. "Nomina geographica Neerlandica. vol.1"(1885)p.351
25 脚注12の文献p.140
26 Reitzenstein(2006)p.204f.
執筆記録:
2014年1月3日 初稿アップ
2014年11月20日 一部修正