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Cadwallader カドワラダー
概要
「戦い+支配者、指導者」、或いは「軍司令官」を意味する古ウェールズCatgualart、ウェールズCadwaladrという男子名に由来。
詳細
David ap Cadwallader(1322年ロンドン)1
Robert ap John Cadwalyder(1578年Gorhambury(ハートフォードシャー州))2
Mary Cadwallyder(1590年ロンドン)3
Heugh Cadwalleder(1610年Stepney(ロンドンの一地区))3
Charles Cadwaleder(1641年Shropshire)4
Thomas Cadwellader(1664年Somerset)4

父称姓。ウェールズ発祥。特にポーウィス(Powys)、サロップ(Salop)各州に多い。この姓は ウェールズ語の男子名カドワラドル(Cadwaladr)に由来していて、更にその男名も中世初期のウェールズの小王国の王の名前に因んで いる。その小王国とは、ブリテン島からローマ帝国の勢力が減退した後に幾つも誕生した国の一つであるグウィネズ朝 (Kingdom of Gwynedd:5世紀~1282年)で、王朝の11代目の王が「カドワロンの息子カドワラドル神聖王」(英Cadwallader the Blessed、 ウェールズCadwaladr Fendigaid ap Cadwallon:在位655年頃~682年頃)であった。カドワラドル王までの四代の王名は、全て 第一要素にCad-を持つ名前である。8代目の「ヤーゴの息子カドヴァン王(ウェールズCadfan ap Iago)」、9代目の「カドヴァンの息子 カドワロン王(同Cadwallon ap Cadfan)」、10代目の「キンヴェズの息子カダヴァイル怠惰王(同Cadafael Cadomedd ap Cynfeddw)」 といった具合である5。これら共通する要素Cad-はウェールズcad「戦い」6その ものである。

11代目カドワラドル王の古い記録を見てみよう。英Wikipediaの彼の項に大概の情報が記載されている7。それによると、 ある古いウェールズ語の文献では、王の名は"Kadwaladyr vendigeit"の形で現れているらしい。以下に、原文を引用する。
"Cynan tintaeth6y. M. Rodri mol6yna6c. M. Idwal I6rch. M. Kadwaladyr vendigeit. M. Katwalla6n. M. Kad6ga6n. M. Iago. M. Beli. M. Run hir. M. Maelg6n g6yned ..."8
又、9世紀のウェールズ人修道士ネンニウス(Nennius)の著作『ブリテン史(Historia Brittonum)』にもこの王の記録が有るが、そこでは "Catgualart"の綴りで現れている(父王のカドワロンもCatguollaunの形で見える)。以下に、原文を2か所引用する。
"Dum ipse (Osguid) regnabat venit mortalitas hominum, Catgualart regnante apud Britones post patrem suum et in ea periit." 9
"Mortalitas magna fuit in Britannia in qua Catgualart filius Catguollaun obiit."9
二番目の記事は、カドワラドル王が『大いなる死(mortalitas magna)』、つまりペストで亡くなった事を表している。この記事は、 ウェールズのディヴェッド(Dyfed)州の町St Davidsに残る古文書の記録をまとめた『ウェールズ年代記(Annales Cambriae)』にも 見え、682年にブリテン島でペストが流行し、王もその犠牲者の一人となったとしている。又、別の文献では、Catgualatyrの語形と、 古ブルトン語の対応する男子名Catuualart、Caduualartの語形を上げている10

Cadwaladrの名の第二要素はウェールズgwaladr「指導者、支配者」11, 12に由来するとされている。但し、 Pugheのウェールズ語辞典にはこの単語は見えず、同音異義語のgwaladr「処分するもの(disposer)」13という 男性名詞が録されているだけ。英Wiktionaryの記述では、「指導者」の語義を記すのみで、文法性等の詳細なデータが無く 11、ポコルニーの辞典も人名の語源説明の必要から引き合いに出している 為、少なくとも現在は死語ではないかと思う。ポコルニーはgwaladrの祖形を*valatrosとし、ネンニウスの記録するCatgualartの 後半要素に見える古ウェールズgualartはその音位転換形と見なす。一方、コッホ(John T. Koch)によれば、ウェールズCadwaladr、 古ウェールズCatgualartはブリトン*Catu-walatros「軍司令官(battle-leader)」に遡るとする14。一方、 アーサーは、gwaladr「支配者、指導者」はウェールズgwal「壁、防御(a wall or defense)」とウェールズadre「家に、外国に、いたるところに (at home or abroad, everywhere)」の合成語ではないかとしている15。前者の「壁、防御」の意の語は、 ウェールズgwal「壁、囲い地、保護されている場所、休息場、避難所、寝床、耕されている土地、休閑地」13, 16 (英wall「壁」からの借用)の事だと思われるが、後者のadreという単語は確認できない17。全く信用できない 説明である。

「支配者」を意味するケルト*walatro-(ポコルニーの*valatros)は、上掲のウェールズ語とブルトン語にしか後裔語が見出せない。 *walatro-は印欧祖語の動詞語根*wal-「強い」(形容詞ではない)に何等かの接尾辞が後続した*wal-a-という形に、行為者名詞を形成する 接尾辞PIE*-ter-18の無アクセント形(ゼロ階梯)と、更にo語幹形成接尾辞が接続して生じた形と考えられる (私マルピコスの考え)19。つまり、第二要素はヴァレンタイン(Valentine)とか、アーノルド(Arnold)の 第二要素、ヴラヂーミル(Vladímir)の第一要素等と語源上関係が有ることになる。いずれにしても、カドワラダーという姓・男名は ケルト語の「戦い」と「支配者」を意味する語彙の合成語に由来すると考えるのが、最も適当と言えそうだ。尚、リーニーはこの姓の語源を 古ウェールズCatguallonに由来するとしているが、誤りである4。何故間違えたのか不明だが、カドワラドル 王の父親の名前を誤入している。
[Reaney(1995)p.79,Harrison(1912-1918)p.65,Bardsley(1901)p.154,Arthur(1857)p.89,ONC(2002)p.106]
1 Bardsley(1901)p.154
2 Great Britain - Public Record Office "Calendar of the patent rolls preserved in the Public Record Office: Elizabeth [I]. vol.7"p.448
3 http://www.surnamedb.com/Surname/Cadwallader
4 Reaney(1995)p.79
5 http://en.wikipedia.org/wiki/Kingdom_of_Gwynedd
6 Pughe(1832)vol.1 p.186
7 http://en.wikipedia.org/wiki/Cadwaladr
8 英WikipediaのCadwaladr項より引用した(脚注7参照)。Wikipediaの記述は、Phillimore, Egerton, ed. "Pedigrees of the Jesus College MS. 20."(1887)p.87から抜粋したもの。"6"という転写表記は、古ウェールズ語固有のアルファベットを写したもので、 現代ウェールズ語では母音表記の-w-で表す。Idwalはカドワラドルの息子で、次代王。
9 William F Skene "The Four Ancient Books of Wales."(2011)p.50-51
10 Philological Society (Great Britain) "Philologica: journal of comparative philology."(1924)p.163
11 http://en.wiktionary.org/wiki/gwaladr
12 Pokorny(1959)p.1111-1112
13 Pughe vol.2(1832)p.145
14 Koch(2006)p.315
15 Arthur(1857)p.89
16 Buck(1949)p.473
17 同じ綴りのウェールズadre「楽しむ、楽しませる」という動詞があるが、意味が合わない。副詞のウェールズ adref「家へ、帰路上、元に戻って」では意味も形も微妙に違う。adrefはウェールズtref「居住地、家屋敷、小村、町」 (cf.トレローニー(Trelawney))に由来するので、語末の-fが抜けた形というのは不自然である。
18 Watkins(2000)p.91
19 *wal-a-の語尾-a-の詳しい素性は良く判らない。印欧祖語の動詞派生接尾辞に-eH2- がある(Martinet(2003)p.255)。或いはこの接尾辞に由来しているかもしれない。eH2という閉音節は 代償延長によって普通長母音*āに転じる。然し、ケルト*wal-a-では長母音ではなく短母音で現れている為、不規則である。印欧祖語には他にも 男性名詞、女性名詞、集合名詞を形成する-eH2-という接尾辞が存在するが(同形の動詞形成接辞も含め、 これら全てが同語源かどうかは私は調べれていない)、ワトキンズによれば短母音の*-a-に転じる場合もあるらしい(Watkins(2000)p.1)。 ケルト*wal-a-の語尾が動詞形成接辞-eH2-に由来するとすれば、今日はケルト諸語で失われているものの、 動詞語幹*wal-a-に基づく動詞が嘗て存在し、その語幹に行為者名詞形成接尾辞*-ter-が接続して「支配者」を意味する単語が作り出されたと 考えることが出来る。

執筆記録:
2011年8月4日  初稿アップ
PIE語根Cad-wall-a-der:1.*kat-2「戦う」;2.*wal-「強い」;3.*-eH 2-動詞形成接尾辞;4.*-ter-行為者名詞形成接尾辞

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