Roger Brice(1240年Essex)
1
John Brice(1273年Lincolnshire)
2
①父称姓。スコットランドに多い。中英Bricius
3、Brice
1という男子名に由来する。この名前自体は
フランス語からの借用で、後ラBricius
4、Britius
4、
Brisius
4、Brictius
4に由来する。古フランス語ではこの人名は、聖人名に因む
地名の古形から判断すると、14世紀にBris
5、Briz
5という
形も存在していたようだ。現在のフランスではBrice、Brèsの綴りだが、
あまり個人名としては用いられていない。この名前は、聖マルティヌス(St. Martin)の甥で、その後を継いでフランスの
トゥール(Tours)市の司教を務めた聖ブリクティウス(Brictius:5世紀)の名にあやかって用いられる様になった。聖マルティヌスはフランスの
守護聖人で、彼の名に由来するマルタン(Martin)という姓がフランスで最も多い事からも判る様に、中世フランスではとても
尊敬され人気のあった人物で、その後を継いだブリクティウスの名も中世初期にある程度流行したのだった。
Brictiusが本来の語源的語形で、フランス語の源流の一つとなったケルト語の影響で子音連続[-kt-]の最初のkが弱化して消失し、
tは後続する前舌母音iにより硬口蓋化し[ts]に、更に[s]に転じてブリツィウス(Bricius)、ブリスィウス(Brisius)
の様な形が派生したと思われる。Brictiusの名前の語源に関しては、様々な説がある。以下に紹介してみると・・・。
ハリソン本の説明だと、ウェールズbrys「素早い;素早さ」
6に遡るとしている。この語は、
PIE*bhers-「素早い」に遡る語で、犬種名のボルゾイ(露borzóĭ←bórzyĭ《古語》「駿足の」)と語源上関係が有る。然し、
語源的綴りBrictiusの形と合わず、完全に誤った説明である。
ブルドネはゲルマン語のbrecht「名高い、目立つ」の異形bricktに由来するという説を提唱している
4。これは、ゲルマン*berχtaz
「明るい」(英brightはその後裔)に遡るとする解釈である。音位転換した形*breχtazを口蓋垂摩擦音[χ]を持っていないラテン語で
近似音の[k]に代用転写してBrictiusの形が生じたとすれば、結構いける案だと思う。
次にリーニー本にも紹介されている有名な説で、ウェールズbrych「斑(マダラ)の」
7に由来する
とするもの
8。但し、ウェールズ語の-ch-(軟口蓋摩擦音[x])はケルト祖語の二重子音
*-kk-に由来する為、ケルト*mrik-ko-に遡ると解釈すべきだろう。この場合の後半要素*-ko-はPIEの形容詞形成接尾辞
*-ko-
9に由来すると考えることが出来るので、語形成上あり得るといえる
10。然し、*mrik-ko-という形からはBrictiusという形を導く事は出来ない。私の考え
では寧ろ、この名前は同根のウェールズbrith「混じった、斑の」
11と直接関係すると思う。
brithはケルト*mrixto-「色彩に富んだ」に由来する語で(ケルト*-xt-からウェールズ-th-[θ]への変化は規則的。
語頭子音の[m]から[b]への変化は非鼻音化による:cf.ド・ブロイ(de Broglie))、[t]の前で弱化した軟口蓋摩擦音
[x](その起源は[k])を転写するのに、この子音を持っていなかったラテン語において近似音[k]を当て、更に末尾を
形容詞形成接尾辞*-yo-にすげ替えてBrictiusの形が生じたとすれば、音韻と語形成の面で問題の無い案といえる。
もう一つの可能性としては、ケルト*brixtā「呪文」
12,*brixto-「魔法(fórmula mágica)」
12(スペインbruja「魔女」はその後裔)に由来する
というもの(マルピコス説)。これも音韻・語形成の面から特に問題は無いが、他に提唱している人はいないようである。一先ず、
今の所、音韻上の問題は無いので、諸書が提唱する「斑の」由来説に従う。
[Reaney(1995)p.64,Harrison(1912-1918)p.54,Bardsley(1901)p.132,Black(1946)p.110,ONC(2002)p.92]
Grufydd ab Rhys ab Grufydd(1196-1202年:ウェールズ南部)
13
Owain ab Sion ab Rys(1580年Wales)
14
②父称姓。ウェールズ。ウェールズab,ap「息子」(アイルランド,スコットランド・ゲールmac「息子」と同語源)と男子名の
ウェールズRhys
15、古ウェールズRīs
15の連結によって生まれ
た姓で、「リース(Rhys)の息子」を意味する。男子名はウェールズrhýs「熱情」
16に由来する。
cf.ライス(Rice)、ペイリン(Palin③)
[Harrison(1912-1918)p.54,Bardsley(1901)p.132]
◆ウェールズbrith「混じった、斑の」(古ウェールズ語では文証されていないらしい)←ケルト*mrixto-「斑の」(古
アイルランドmrecht-「斑の」(>アイルランドbreachtach「斑の」),コーンウォールbruit「斑の」,ブルトンbriz「染みの
付いた」)←PIE*m

k-to-(ゼロ階梯+完了分詞語尾・形容詞形成接尾辞)←
*mer(ǝ)k-(古高独morgan「朝」,リトアニアmerkti「瞬きする」,露mórok「闇、霧」)(拡張形)←*mer-「光が揺らめく」
17。
1 Reaney(1995)p.64
2 Bardsley(1901)p.132
3 Reaney(1995)p.64 リーニーは
Bricius de Kyrkebi(12世紀Lincolnshire)の人名を
挙げている。
4 Bourdonné(1862)p.78
5 Morlet(1985)p.42
6 Pughe(1832)vol.1 p.176
7 Pughe(1832)vol.1 p.175
8 他にもONC(2002)p.718、http://www.geneanet.org/prenoms/signification/Brice等がこの説を採用している。
9 Watkins(2000)p.36
10 但しBezzenberger et Prellwitz(1894)p.3では別の説明がされている。ウェールズbrychはケルト*mrig-no-に遡るとしているの
である。この語の前半要素*mrig-はPIE*mer-「光が揺らめく」の拡張形*mer(ǝ)k-のゼロ階梯に由来するが、
ベッツェンベルガーらが何故わざわざ[k]を[g]に有声音化させてケルト祖語形を再建しているのか不明。有声音に挟まれたことによる
同化現象と見ているのだろうか。何かケルト語における音韻変化の規定等の根拠があるのかもしれないが、判らない(母音間の
無声子音が有声音化する例はケルト語には普通に見られるが)。100年以上も前の文献の言っている事なので、間違いが有るの
かも知れない。
11 Pughe(1832)vol.1 p.171
12 http://etimologias.dechile.net/?bruja
13 William Owen Pughe "The Cambrian biography: or, Historical notices of celebrated men among
the ancient Britons."(1803)p.148
14 "Catalogue of additions to the manuscripts in the British Museum in the years
MDCCCXLI - MDCCCXLV."(1801)p.52
15 Reaney(1995)p.376
16 Pughe vol.2(1832)p.491
17 Pokorny(1959)p.734、Buck(1949)p.995、http://iedo.brillonline.nl/dictionaries/
content/celtic/introduction.html
執筆記録:
2011年6月6日 初稿アップ